沈丁花の「反日は差別なり」

なぜ日韓関係が悪いのか?その原因は韓国の反日にある。 そして反日とは差別であるということを説明します。 その他中国を始めとする国際ネタ。国内政治ネタも少し触れます。 沈丁花(ちんちょうげ)とはブログ主の子供の頃のあだ名です。それ故に決して(じんちょうげ)とは読まないでください。

沈丁花の名前で動画チャンネルもやっています。
2月17日更新 ぜひご覧ください。

日本共産党の松竹氏への除名処分は47年前に予言されていた。
「(共産党)松竹氏の除名処分は47年前に予言されていた!」
https://www.youtube.com/watch?v=gaRaQkd_wCY

共産党の松竹氏への処分は47年前に予言されていた!

 

 

 

日本共産党が代表公選制を訴えた党員を除名
党側は異論排除ではなく、規約違反と説明!
これは47年前に予言されていた!
――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

今回の処分を予言したジャーナリスト!
以下の文章は以前書いたこちらも併せてごらんください。

 

 
 動画も作りましたので、併せてごらんください。
 


除名処分!

ある人が党中央に反対の意見を持ち、

その意見を全党にアッピールできれば、

党中央の決定をくつがえすことができるかもしれないという場合でも、

その人がそうした動きをしたとたん規律違反で処分され

党から追い出されてしまう

「日本共産党の研究(1)」立花隆 P28より  赤字、強調は筆者


 

日本共産党の党員が著書を出した。

彼はその中で代表の公選制を共産党の執行部に訴えた。

日本共産党では20年以上、志位和夫委員長の体制が続いており、
その状況に危惧を感じて反旗を翻したのだ。

その主張をしたのが松竹伸幸

日本共産党には50年近く所属した人物だ。

その松竹氏が出した著書は「シン・日本共産党宣言」。
しかしその行動により松竹氏は党から除名処分を受けた。

日本共産党の規約では処分は4つあり、軽い順に
「警告」「権利停止」「機関からの罷免」「除名」とあり(第49条)
その中で「除名」は一番重い処分である(第54条)

第五十四条 除名は、党の最高の処分であり、

もっとも慎重におこなわなくてはならない。 ~後略~

赤字は筆者

 

今回の日本共産党の処分には批判が集まっている。

例えば朝日新聞では以下のような社説を掲げた

共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ

党のあり方を真剣に考えての問題提起を、

一方的に断罪するようなやり方は、

異論を許さぬ強権体質としか映るまい。

202328日 朝日新聞社説 
 


また毎日新聞でも社説で批判をした

共産の党員除名 時代にそぐわぬ異論封じ

 組織の論理にこだわるあまり、

異論を封じる閉鎖的な体質を印象付けてしまったのではないか。

2023210日 毎日新聞社説

 

 

異論があるから排除するのは民主主義的ではない。
それを「民主主義を守る」と公言している日本共産党
自ら反民主主義的な排除をするのは辻褄が合わない。

マルクスが創設した科学的社会主義(共産主義)の運動は、

民主主義と矛盾するどころか、民主主義を徹底して守り

発展させる立場に立つものです。

 200798日 しんぶん赤旗より  ※赤字は筆者

 

 それに対して日本共産党はこれらの批判に反発している。

例えば朝日新聞の社説に対して日本共産党の機関紙「赤旗」は
「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える
として反論を行った。


その内容は、松竹氏の除名処分は異論を言ったからではなく、
党の規約に違反したからだ。日本共産党は異論を容認している。

 と、いうものだった。

 今回の除名処分は、松竹氏が、あれこれの異論を持ったことに対してではなく

それを党規約がさだめたルールに基づいて表明することを一度もしないまま、

突然、規約と綱領に対する攻撃を公然と開始したことが、

党員の資格と両立しないものとして行われたものです。

赤字は筆者

 

 確かに日本共産党の規約にはそのような条文がある

3条第5

 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

5条第4

党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる。

5条第6

党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。

また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、

質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる。

 このように党の内部で異論は言える。
しかし党内で異論を言わず、外部に向かって意見を発信した
それ故に規約違反を理由に処分したという。

 つまり松竹氏への処分は、異論を言ったからではなく、
党の規約違反が理由だった。

 この日本共産党の主張は間違いだろうか

 

 

 

 

松竹氏の党規約違反は免れない!

 実はこの赤旗の言い分は全く間違っていない
松竹氏は間違いなく党規約に違反したのだ。

 松竹氏は日本共産党のベテラン党員だ。
その党員(だった人)が党規約を読んでいない訳がない。

 事実、今回出版する書籍の関係で
繰り返し読んでいることを認めている

私は、『シン・日本共産党宣言』を書くに当たって、

これまでの党員人生48年のなかでなかったほど、

綱領と規約を学びました。10回や20回程度ではありません。

 つまり松竹氏は党規約を理解しながらも党規約を破った。

 それなら処分(「除名」が適切かはさておき)されるのは仕方がない。

 

 それ故に日本共産党が主張しているのは間違っていない

 

 つまり異論は認めている訳だから、
日本共産党は極めて民主的な組織だ。

反民主的という批判は的外れだ。

松竹氏は異論があれば党内で提案すればよい。
そういう努力を全くしないでいきなり外に向かって発表した。

だから党規約違反となる。

日本共産党の処分は以下によると、


 松竹氏の一連の発言および行動は、

党規約の「党内に派閥・分派はつくらない」(第3条4項)

「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない」(第5条2項)

「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条5項)

という規定を踏みにじる重大な規律違反です。

 

 こう主張したいようだ。
これはそのまま首肯できるのだろうか?

 

 

 

 

 

党規約自体が問題!

 これは形式的には正しい。しかしやはり民主主義的では全くない。
なぜなら党規約自体が反民主主義の内容だからだ。

 それはなぜか?
日本共産党の規約には以下のような内容がある(以下赤字は筆者)

5条第5

 ~略~  党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない

5条第8

党の内部問題は、党内で解決する。

 つまり内部の意見を外に発表することができない
例えば自民党議員などがやるように記者会見をして、
もしくはテレビに出て党の方針と違うことは言えない。

 事実、今回の松竹氏への処分もこれが理由の一つになっている

「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条5項)



 さらに党規約は異論があっても上部組織の命令を拒否できない。

5条第5

党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、

自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する

 

 つまり異論がある場合、党から外へ勝手に意見を発表できない。
また部内では意見は言えるが、それはただ聞き置かれるだけで、
「それでもやれ」と命令されたら、実行しなければならない。

 大体、党規約第5条第6項には党中央への質問は許されるが、
それを党中央が回答する義務は無いのだ。

5条第6

~略~  中央委員会にいたるどの機関にたいしても、

質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる

 このように「できる」であり、党中央の回答義務はない

 

 それでも部内で意見を言えるのなら、徐々に賛同者を増やしていき、
それで上層部を突き上げればいいではないか?
そう思うかもしれない。

 しかしそれもできないのだ

 なぜなら分派活動は禁止されているから。

3条第4

党内に派閥・分派はつくらない。

 このように共産党内部で同志を募り、執行部の突き上げなどはできないのだ。

 

 だから言論の力で日本共産党を変えようと思ってもできない。
それは「分派活動の禁止」などの党規約に必ず抵触するからだ。
日本共産党では異論が言えないように規約が決まっているのだ。

 日本共産党は「異論があれば言うことができる」としながら、
実際には異論が言えないようになっているのだ。

 これは民主的な規約に問題がある

 そのことを指摘したのがジャーナリストの立花隆氏である。

 

 立花氏は約47年前(1976年)に文藝春秋誌上において、
日本共産党の研究」の連載を始めた。
連載は約2年間続き、その後書籍化された。

 立花氏は著書の中で戦前の日本共産党の創成期から遡り、
日本共産党の体質を炙り出している。

 その中に今回のことを予言したかのような記述がある。

 

 

 

 

民主集中制とは?

 立花氏によると、日本共産党(というより全ての共産党)
非常に大きな弊害とは民主集中制である、という。

 民主集中制は共産党の組織形態で、現在でもそれは守っている

第三条 党は、~略~ 民主集中制を組織の原則とする。 ~略~

 

では民主集中制とは何か?

 立花氏によると民主集中制は「民主主義」と「中央集権制」を
「中央集権制」を優位にミックスさせたものであるという。

 民主集中制とは、民主主義と中央集権制という水と油の要素を

後者の優位の上に組立てたものである。

 日本共産党の研究(1)」立花隆 P27より  赤字は筆者。

  この民主主義の部分は、中央集権の部分にくらべていかにも弱い

 ※日本共産党の研究(1)」立花隆 P28より  赤字は筆者。

 

 このように民主集中制とはあくまで「中央集権制」であり、
民主主義とは相容れないものなのだ。

 

 ではどうして日本共産党は民主集中制を維持しているのかというと、
立花氏によると、それは暴力革命を目指すものだからという。

 民主集中制は、その本質が独裁制であるが故に、

日常的な政治システムとしてはまったくいただけないものであるが、

革命組織の組織原則としては、きわめて有効なものである。

とりわけ暴力革命をめざす組織としては、 ~略~

これ以上に有効な組織原則を見出すことはできないだろう。

 日本共産党の研究(1)」立花隆 P3031より  赤字は筆者。

 

 民主集中制とは軍隊のようなものであり、
日常的な政治を行うには不適切であるが、
有事の時に機動的に動かすには極めて有効なものだ。

 それ故に日本共産党は民主集中制を維持している。
立花氏はそう言っているのだ。

 

 

 

 

立花隆の予言!

 そして「日本共産党の研究」には
今回の松竹氏の事件を予言したような箇所がある。
それが以下の部分だ。

ある人が党中央に反対の意見を持ち、

その意見を全党にアッピールできれば、

党中央の決定をくつがえすことができるかもしれないという場合でも、

その人がそうした動きをしたとたん規律違反で処分され

党から追い出されてしまう

日本共産党の研究(1)」立花隆 P28より  赤字、強調は筆者

 

 これはまさに今回の松竹氏のことを指摘しているのではないか?

 確かに松竹氏は「全党にアッピール」しなかった。
しかし異論を述べた。そしてそれだけで排除された。

 それも規律違反で!

 

 先に指摘したように、日本共産党の規約では異論は言えない。
例え党内で言ったところで、もみ消されるのがオチだ。

 外には言えないし、仲間を集めると分派活動で処分される。
つまり党内で、たった一人で言うしかない。

 しかも上層部の命令には絶対服従なのだ。

 事実上、異論は言えないのだ!

 だから立花氏もこのように指摘する。

 結局、この民主集中制という制度のもとでは

党中央反対者は個人としてしかありえない

日本共産党の研究(1)」立花隆 P28より  赤字は筆者

 

 日本共産党は民主的な組織ではない。
元々、共産主義など民主的ではないのだ。
今回の松竹氏の事件はそれが明らかになっただけであり、
日本共産党の体質は47年前も今も少しも変わっていない
1976年の連載開始から2023年まで

 

 今回の日本共産党の言い訳は
「異論を言ったからではなく、規約違反だ」というもの。

 しかしそれも47年前から使っている

 (数々の反対派追い出しの実例を挙げた上で)

こうした反対派の追い出しが象徴する

党内言論の自由の圧殺に関して、

共産党中央がその説明に必ず用いる詭弁は、

「彼らが追い出されたのは反対意見を述べたからではない。

反対意見を述べる自由は党内で保障されている。

彼らが除名されたのは、すべて反党行為、

分派活動などの規律違反を犯したからだ。」

というものである。

日本共産党の研究(1)」立花隆 P346より  赤字は筆者

 

上記の詭弁を47年後の日本共産党も述べている。
 日本共産党の田村智子政策委員長は以下のように述べた

 松竹氏を除名処分にしたのは異論を持っているからではない。

 ~略~ それは党規約上のルールに全く反するものであるということだ

 2023210日 産経新聞

 

全くそっくりだ!

 

日本共産党の体質は変わっていない。
それは民主集中制という組織形態を持っているが故の必然である。
民主集中制とは中央集権制であり独裁制だ
民主主義と相容れないものだ

それであるが故に、異論を言った松竹氏を除名したのだ。


 しかし日本共産党はこれまでもそういう政党だった。
 だから驚くにはあたらない。
 今回の事件でそれが白日の下に晒されたに過ぎない。

ところで問題なのは他の野党だ。

もしこんな日本共産党と今後も連携していくのなら、
その政党も民主主義的と言われても仕方がない。

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

来年こそ良い年になりますように!

 

 

 

2022年は内外とも激動1年だった。
筆者の予測は大外れ
来年こそウクライナに平和が訪れますように!
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 いつも拙ブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。
今回で今年は最後の記事になります。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。


 

2022年の世の中!

 2022年も本日で最後になった。
今年は激動の年だった。
2
月にはロシアがウクライナに侵略し、今でも続いている。
現在のところ終戦の見通しは立っていない。

また国内では7月の参議院選挙の直前に
安倍元首相が銃撃されて死亡した。

その後、特に安倍派(清和会)を中心に自民党は混乱している。

さらに後半の日本政界は自民党と旧統一教会を巡って批判が高まり、
マスコミは過剰なまでの反応を示している。

旧統一教会を巡っては特に自民党と旧統一教会が
“親密な関係”であるかのような報道が続いている。

しかし何度か取り上げたように、そういったことは事実無根であり、
実際には大した関係などは無い。

それについてはこちらこちらをご覧ください。

 

誤解されたら困るが筆者は旧統一教会による被害(特に家族への被害)が
“大したことはない”と言っている訳ではない
家族の分断を唆すなど、旧統一教会の被害は大きなものがある。

しかし筆者のポイントは自民党と旧統一教会の関係だ。
自民党と旧統一教会の関係が“大したことはない”と言っている。

旧統一教会は自民党の支持団体の一つであり、
それ以上でも以下でもない。
その旧統一教会が自民党を操っていたなどは皆無であり、
政策的な一致があった部分があるが、
その点で協力していたように見えたに過ぎない。
それは旧統一教会を長年取材し続けてきた鈴木エイト氏も認めている

ただ、ここで注意しなければならないのは、

旧統一教会が自民党を操っていたという実態はありません

あくまで政策面で共鳴していたにすぎません。

赤字は筆者 

また自民党に強い影響力があったことも否定している

「旧統一教会の信者は、実際には10万人程度です。

選挙権を持たない2世が約3万人とみられているので、

組織票としてはわずか8万票ほどしかありません。 ~略~

国政選挙に強い影響力があったとは考えにくい

 赤字は筆者 

このような状況であるにもかかわらず、
マスコミは両者に“親密な関係”であるかのような報道を続けた。

むしろマスコミがデマを煽っているかのような印象を受けた。

 

 

 

 

2022年の予測の外れ!

 旧統一教会と自民党の関係はともかく、
当然、筆者はそのような世の中になるとは全く予測していなかった

しかしそれ以外にも筆者は予測を外した。

 昨年の同じ時期、筆者は韓国大統領に李在明が成ると明言した

  

 しかし予測は大いに外れ、実際には尹錫悦氏が成った。

 一応言い訳を書いておくと、筆者は“予測しにくい”と明言していた。

 つまり難しい予測だったのだ。

 また尹祖錫悦新大統領と李在明候補の得票率は僅差だった
尹錫悦 48.56
李在明 47.83

 というように、両者の間は1%も差がない

 これほど僅差なので外してしまった。

 

 まあ言い訳はさておき、外したのは事実だ。
申し訳ございません!

 

 因みに尹新大統領であるが、議会が野党有利の状況なので
政権運営には苦慮している。

 それ故にライバルである李在明へのスキャンダル暴き
一生懸命やっている。

  

いずれにせよ韓国では大統領の与党が
議会での少数派であるという現実は変わらない。
例えば野党共に民主党は180の議席を確保しているが、
与党側は100を少し超えるだけだ(定数は300)。

それ故にこれからも尹大統領は厳しい状況が続くが、
それを野党のスキャンダル暴きで対応しようとするだろう。

 

 来年の注目点は何といってもウクライナ情勢だろう。
これからも紆余曲折があるだろうが、
できれば早く終戦してもらいたいものだ。

 

 そして日本の政治は岸田政権がどれだけもつか?
現在の低支持率なら来年春の統一地方選挙では敗北する。
そうすると自民党の中では岸田降ろしが激しくなるだろう。

 

 また韓国では野党の李在明代表への捜査がいかに進むか?
この行方によっては再来年の国会議員選挙の前に
韓国政界は大混乱になるだろう。

 

 それでは皆さん、良いお年を!

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

宮台真司氏への傷害事件が起きたのは必然だった!

 

 

 

 

東京都立大学の宮台真司教授が襲撃された。
この事件が起きたのは必然ではないか?

キッカケは安倍元首相の事件ではないか?
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 宮台真司氏への傷害事件は必然である!

 

 

社会学者宮台真司への襲撃!

20221129日 大きなニュースが飛び込んできた。

社会学者で東京都立大学教授宮台真司氏が襲撃された。

ただ命に別状はなく、意識はハッキリしている

 

報道によると、事件が起きたのは1129日午後417分ごろ
東京都立大学南大沢キャンパスで、
講義を終えて駐車場まで歩いているところを背後から襲撃された。

警察によると講義は午後410分まで行われており、
その直後に襲われたことから、犯人は事前に予定を把握していた。
つまり計画的犯行であると見做している。

ただし宮台氏によると、犯人と面識は無いという。

 

宮台氏はテレビにも出ている著名な社会学者で、
時事問題などにも積極的に発言している。

このような著名な人物が襲撃されたことは各方面に波紋を広げている。

例えば同じくテレビでの発言も多い作家の乙武洋匡氏は

『私もいつか刺されるのか』という底知れぬ恐怖」を感じていると述べ、


また宮台氏と共演も豊富なタレントの大竹まこと氏も
驚いたことは驚いたね」とショックを表現していた。

 

犯人は2030歳で180㎝程の長身でガッシリした体型。
まだ逃亡しており、事件の背景などはわかっていない1211900現在)

 

筆者は宮台氏の諸々の考えに対してはそれほど評価していない。
しかしだからと言ってこのような事件は全く容認できない。

筆者はこの事件の犯人に対して最大限の非難をするとともに、
宮台氏の一日も早いご快復をお祈りいたします

 

先に指摘したように、この犯人はまだ捕まっていない。
それ故に事件の背景などはわかりようがない。

しかし

・宮台氏を狙った計画的犯行 

・宮台氏の顔見知りではない。

・首を狙って執拗に攻撃しており、殺意が感じられる。

などから宮台氏の発言などに一方的に反発して、
氏を狙って犯行に至ったのではないか?

 

これはもちろん仮定の仮定といった強引な解釈であるが、
それほど大きく外れているとは思えない。

氏の発言に一方的に反発しての犯行
という可能性は高いのではないか?

 少なくとも愉快犯的や無差別的なものでもない。
しっかりと宮台氏を狙った犯行であるだろう。

 非常に平たく言うと、

 氏の発言にムカついたから襲撃した!

 こういうことなのだ。
以下の文章は上記の仮定に基づいて記載する。

 

 

 

 

安倍元首相との共通点!

 これは安倍元首相への事件と基本的に一致する。

 
安倍元首相への事件とは202278日に
参議院選挙の応援演説中、山上徹也容疑者に襲撃され、
安倍氏の命を奪われた、あの事件である


 山上容疑者は自分の母親が旧統一教会に入信し、
その後多額の献金をしたことで破産し、
大学に進学できなかったなどの多大な影響を受けた。

 それにより旧統一教会に恨みを持っていたが、
安倍元首相が旧統一教会と“親密な関係”であると思い込み、
犯行に及んだという。

 この事件は当初こそ、安倍氏に対する哀悼の意を表する意見が多かったが、
旧統一教会と自民党もしくは安倍元首相との間に
“親密な関係”があるとの報道が繰り返されたことで、
安倍元首相や自民党への批判的意見が増加した。

 翻って山上容疑者に対する支持が増加し、
報道によると多くの差し入れが行われているという。

 

 つまりテロの容疑者を英雄視しているのだ。

 

因みに安倍元首相が旧統一教会と“親密な関係”いうのは
山上容疑者の勘違いであり、事実はそうではない。
自民党と旧統一教会に“親密な関係”などない

 

 ところで安倍元首相の事件と宮台真司氏の襲撃の共通点は何かというと、
犯人は私怨で気に食わない人物を襲撃した、というものだ。

 

 

 

 

テロリストへの礼賛!

 山上容疑者は旧統一教会によって家庭が崩壊し、
その恨みを晴らすために安倍元首相を襲撃した。

 そして宮台氏への事件も宮台氏への個人的恨みが
犯行の原動力になったと思われる

 宮台氏への首を狙い執拗に攻撃したことから殺意があっただろう。

 しかし安倍元首相と違い、宮台氏に対しては
特定の団体との関係はなかっただろう。

 ただ氏の発言に反発しての犯行である可能性が
高いように思われる。

 

 いずれにせよ、つまり旧統一教会と
“親密な関係”と勘違いしたにせよ、

 テレビに出ている有名人の発言に反発したにせよ、
個人的な反発が犯行理由になっている。

 

そして宮台氏への犯行の遠縁となっているのが、
安倍元首相への襲撃事件である可能性がある。

つまり山上容疑者への礼賛である。

 

 山上容疑者は当初こそ非難の対象だったが、
母親が信者となり多額の献金で家庭崩壊した事実が伝わると、
彼に対する好意的な意見が出てきた。

 そして多くの差し入れが届き、
その量は拘置所に収容しきれないほどだという。

 

 またネット署名による減刑嘆願も多く集まり、

 現在では1万にも及ぶ2022121日現在)
 

 

 このようなテロリストを礼賛する雰囲気は、
同種の犯罪を助長することになりかねず、非常に危険である。

 テロが政治的影響をもたらすものであれば、まさに山上容疑者はテロリストである

 

 しかしこのようなテロリストへの礼賛は一部の個人が行っているのではない。
日本社会全体でそれを肯定するかのような雰囲気がある。

 つまり安倍元首相へのテロを非難する論調が希薄であるのだ。

 

 

 

 

当初は同情的な世論も…!

 安倍元首相はその政治手法および政治的傾向から
多くの反発を受ける人であった。
当然野党においても安倍氏を敵視する風潮があった。

しかし銃撃事件直後には、政治的傾向が違う多くの人々から
哀悼の意を表されていた


例えば立憲民主党泉健太代表は

「心からご冥福をお祈りするとともに

このようなテロ行為が発生したことは許されず、断固として非難したい。

立憲民主党とは異なる政治的スタンスを持たれていたが

国政に多大なる歩みを残され、わが国をリードされた元総理大臣として

心から哀悼の誠をささげたい」

と述べた。

 

また日本共産党志位和夫委員長は

「心からのお悔やみを申し上げたい。政治的立場は異にしていたが、

同じ年に生まれ、当選も同期で同時代をともに生きた者として大変悲しく寂しい思いだ」

と述べた。

 

またれいわ新撰組山本太郎代表は

「ショックしかない。安倍氏は私たちとは政治的なスタンスは対極にあるが、

2度も総理大臣を務め、非常に大きな力を持った政治家だった。

銃撃で命を失われたことにまだ自分の中で整理がつかない。

言論を暴力で封じようとする動きに私たちが言論で

徹底的にたたかっていくことを誓うしかない」

と述べた。

 

このように当初は安倍元首相には同情的だった。
しかしその傾向は徐々に変化する

 その理由は旧統一教会と安倍元首相(もしくは自民党)が
“親密な関係”であるかのような報道が続いたからだ。

 

 事実、安倍元首相が選挙応援中にテロで倒れたというのに、
国会においては未だに非難決議も挙げられていない

 そしてその傾向は他でもいえる。

 当初はそういうこともあったが、多くの機関で安倍元首相の銃撃事件への
非難決議のようなものはほとんど挙げられていない。

 例えば日本ペンクラブ

日本ペンクラブのHPには以下のように書いてある

日本ペンクラブは、国際P.E.N. の日本センターとして、

言論・表現・出版の自由の擁護、文学の振興と文化の国際交流、

世界平和への寄与を目的とした団体です。

赤字は筆者


安倍元首相は参議院選挙の応援演説を行っていた。
これは言論活動の一環ではないのか?
その最中の凶弾とはまさに言論弾圧であろう。

それなのに日本ペンクラブでは安倍元首相へのテロにつき、
例えば非難の声明や談話を出していない

筆者がなぜ日本ペンクラブを取り上げるのかというと、
彼らは1990年の本島等長崎市長襲撃事件では
抗議声明を出しているからだ。


日本ペンクラブもテロに抗議の声明

1990131日(水) 朝日新聞夕刊9


この事件は当時長崎市長だった本島等氏が、
「天皇陛下には戦争責任がある」という趣旨の発言をし、
それに反発した右翼団体の構成員から襲撃された。
当時は“言論弾圧”だ!として多くの声が上がった。

日本ペンクラブはその時に声を上げた団体の一つだった。

本島氏は幸い一命をとりとめた。
しかし日本ペンクラブでは抗議声明を出している。

他方、安倍元首相は死亡したのだ。
それなのに日本ペンクラブでは抗議声明は全く出していない。

因みに安倍氏の国葬については、反対の声明を2度も出している
日本ペンクラブ声明 「安倍晋三氏の国葬について、まずは当面延期が望ましい」 202283

日本ペンクラブ声明 「日本ペンクラブは改めて今般の国葬に反対します」2022922


 

 

 

 

左翼の傾向!

 ところでこのような傾向は
日本の言論界が左翼に支配されていることが原因である。
 ところで左翼とは何だろう?

 本来、左翼とは共産主義者や社会主義者を言う。
 そして昔は実際にその通りだった。

 しかし東西冷戦以後はそのような傾向は無い。

 なぜなら共産主義者などは
 日本社会の中で嫌われているからだ。

 自分は共産主義者だ!
 そういうだけで嫌われてしまう。

 では日本社会での「左翼」とはどういう存在だろうか?

 日本の中で左翼とは共産主義者や社会主義者ではない。
 では日本の左翼とは何か
 筆者は日本の左翼について次の2点を挙げる。
・反自民党的スタンスを持つ。
・戦前の日本を絶対悪とする。

 これが日本の左翼の傾向である。

 日本の左翼とは反自民党的スタンスをとる人。
 つまり自民党に反対する人なのだ。

 これは荒唐無稽な定義ではない。

 「左翼」もしくは「右翼」とは
 フランス革命の時の議会の議席の並びに由来している。

当時の議会の議席は、

議長席から見て右側が保守的、
 左側が進歩的な人たちが占めていた。

 それ故に右翼=保守的、左翼=進歩的となった。

 そして保守的な人は現状をある程度肯定する。
進歩的な人は現状をある程度否定する傾向があった。

 現在の日本の現状とは自民党政治だ。
つまり自民党政治に関して基本的に肯定するのが保守。
基本的に否定するのが進歩というのはそれほどおかしな定義ではない。

 

 つまり左翼の傾向とは反権力反体制=反自民党であるといえるのだ。

 

 

 

 

マスコミの現状!

 ところで先ほど筆者は
日本のマスコミは左翼に支配されている、と書いた。

これはどういうことだろう?

それは自民党の支配と密接な関係がある。

戦後の日本政治は概ね自民党が支配してきた。
つまり自民党が政権与党だったのだ。

そしてマスコミは反権力反体制を旨とする。
つまり権力と対決している
これが正しい行動だと彼らは考えている。

現在の権力とは自民党、つまり保守的な政権だ。
それ故にその反対、つまり左翼がマスコミには生息しやすい。
自民党に反対の論陣を張るには
左翼的思考の記者の方が仕事をしやすいのだ。
自民党が政権与党であるが故に
マスコミは左翼が多くなるのだ。

 

そしてそれはマスコミだけではない。
反権力反体制を旨とする「知識人」「市民運動家」「弁護士」なども
いわゆる左翼が多くなる。当然日本ペンクラブもそうだ。

 

それ故に日本ペンクラブのような左翼にとって
都合が悪い政治家=安倍元首相が悲劇の政治家になることは困る。
だからその死を極力否定しようとするのだ。

それが安倍元首相へのテロを非難することを躊躇させている。

 

因みに安倍元首相が左翼にとって都合が悪い政治家というのは

彼らのもう一つの特徴である「戦前の日本を絶対悪とする価値観」に
安倍元首相が否定的だったからである。

それがマスコミの現状であり、
左翼の現状であるといえる。

 

 

 

 

テロ擁護の風潮が宮台事件の引き金に!

このように安倍元首相に対する左翼の反発が、
安倍元首相へのテロ行為に対して容認するという土壌となる。

彼らは「容認などしていない」というだろうが、
実際には容認している

なぜなら山上容疑者に対する非難をほとんどしないからだ。

事実、国会で非難決議さえしていない

彼らはよく言う。
「黙っているということは認めたということ」…と

つまり安倍元首相へのテロに黙っているということは、
テロ行為を容認したということなのだ。

つまり日本の国会や日本ペンクラブはテロを容認しているのだ

 

 そしてその傾向はマスコミでも、知識人でも顕著である。

 そういった傾向が

私怨を晴らすため相手を襲撃しても構わない

という風潮を作り、今回の宮台事件のキッカケになったといえるだろう。

 

先に書いたように、宮台事件に関しては
犯人が捕まっていないこともあり、犯行理由はわからない。

しかし安倍元首相への襲撃事件に対して、
犯人である山上容疑者に対して批判するより、
むしろ礼賛するような雰囲気さえある。
それに対してマスコミなどの危機意識は希薄である。

それこそが今度の事件を起こす犯人の
背中を押す動機になったのではないか?

 

現在の風潮は危険である
山上容疑者を徹底的に非難しないのは危険である。

こういう風潮が続けば、自分が気に入らない相手にテロをしても
それが容認されると勘違いする輩が出てくるだろう。

そういう意味では…これは…
宮台氏の事件が起きたのは必然だったといえるだろう。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

安倍元首相の国葬に法的問題は無い(2/2)

 

前回からの続き

 

「安倍元首相の国葬に法的問題は無い(1/2)」はこちら

 

以下の行政法に関してはこちらを参照しています。
行政法 [ 櫻井 敬子 ]
行政法 [ 櫻井 敬子 ]

 

行政法の考え方(2)法律による行政の原理!

 国葬には法的根拠が必要ない
それを説明するにはもう少し行政法を説明する必要がある。

行政法の最も重要な基本原理は法律による行政の原理である。
これは「法治主義」とも言われ、その意味は
「行政活動が法律に基づき、法律に従って行われなくてはならない」という基本原理である。
これは民主国家に生きている我々からすると、至極当たり前の原理である。

 ところで先程から筆者は、「行政」という言葉を定義しないで使ってきたが、
行政」とは何だろう?

 「行政」に対して「立法」と「司法」がある。
「立法」は法律を作ることで、議会によって行われる。
「司法」はある行為が法律に違反するか審査することで、裁判所で行われる。
それぞれ憲法41憲法76条第一項で規定されている。

第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び ~略~ 下級裁判所に属する。

  赤字は筆者

 そして「行政」は憲法65で規定される。

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

 このように「行政」「立法」「司法」は規定されているが、
「行政」とは国の機能から「立法」と「司法」を除いたもの、と定義される。
これは控除説と言われ、通説的見解となっている。

 確かに大雑把な定義だが、そうしないと「行政」を定義できない。
それは「行政」があまりにも多くの範囲をカバーするからである。

 

 

 

 

行政法の考え方(3)法律の留保!

 ところで「法律による行政の原理」は3つに分けられる。それが
・法律の法規創造力
・法律の優位
・法律の留保である。

ここでいう法規とは「法規事項」とも言い、
国民の自由を制約したり、義務を課したりする内容の事項のことである。

例えば税金などは国民の義務を課すものである。
また兵役の義務なども国民の自由を制約する。これらが「法規(事項)」である。

そして「法規(事項)」については必ず立法によって法律が作られなければならない。
これについては現在争いが無い定説になっている。

これは元々、国が国民の自由に影響を与えるような権力行使に関して、
事前に議会(国民)に了解を得るという考えからきている。

そして先に挙げた3つのうち、法律の法規創造力とは
法律のみによって「法規」を作ることができる、という意味。
逆に言うと国民の自由を制約したり、義務を課したりする法規は
必ず立法府によって法律にしなければならないという考え。

そして法律の優位とは、法律が存在する場合は、行政活動はこれに反してはならず、法律違反の行政活動は許されない、というものである。

この2(「法律の法規創造力」と「法律の優位」)については、
行政法の世界では現在、当然のこととされている。

 

しかしもう一つの法律の留保に関しては争いがある。
これは「行政が具体的な活動をするにあたって、
いかなる性質の行政活動についても法律の根拠が必要とされるか?」
という問題である。

先に記した「法律による行政の原理」を再掲すると、
行政活動が法律に基づき、法律に従って行われなくてはならない」というもの。

しかしこの原理は「行政権が国民の権利・自由を侵害するという近代自由主義の思想から生まれた」という経緯がある。
それ故に先に記した「法規(事項)国民の自由を制約したり、義務を課したりする内容の事項」について適用される考えであり、それ以外の適用については議論がある

  つまり「法規(事項):国民の自由を制約したり、義務を課したりする内容の事項」に対してだけ、法的根拠(根拠規範)が必要であり、それ以外は必要ないという考えもある。
これを侵害留保説という。「侵害」とは国民に負担を強いる行政(税金や兵役など)を「侵害行政」というところからきている。
対して社会主義的政策(補助金・給付金等)を「給付行政」という。

 「侵害留保説」は個人の権利を制約し、義務を課すような侵害行政は法的根拠を必要とするが、給付行政は個人のためになるのだから法律で縛ることをせず、自由にやるべきだ、という考えからきている。

 これに対して、民主主義の下では
「あらゆる行政活動が法的な正当性を持たなければならない」
という考えから、行政活動すべてに法的根拠が必要という考えがある。
これを全部留保説という。
しかし「全部留保説」は法的根拠が無い場合は迅速に国民のニーズを満たすことができないなど弊害もある。例えばのちにはできたが、新型コロナが起きた当初は
「自粛要請」などは法的根拠が無かった

 もし「全部留保説」であれば、このような活動などできなかったということになる。
「自粛要請」が正しいか否かはここでは問わない。

 この「侵害留保説」と「全部留保説」以外にも中間的な留保説がある。
例えば権力的な行政活動に関しては法的根拠を必要とする「権力留保説」、重要事項については法的根拠を必要とする「重要事項留保説」などがある。

 

 

 

 

国葬については法的根拠が必要ない!

 では日本においてどれが通説なのかというと、侵害留保説である
特に行政実務の現場では完全に侵害留保説である。
つまり政府の立場はこの侵害留保説をとっているのだ。

 因みに日本の国会(立法府)においてもこの侵害留保説は問題視されていない
立法府も行政府もそして司法(判例など)も侵害留保説をとっているのだ。

 つまりどういうことなのかというと、
侵害留保説に則ると、
「法規(事項)国民の自由を制約したり、義務を課したりする内容の事項」については
法的根拠(根拠規範)が必要となるが、そうじゃないものについては
必ずしも法的根拠(根拠規範)は必要が無いのだ。

 もちろん「法律の優位(法律が存在する場合は、行政活動はこれに反してはならず、法律違反の行政活動は許されない)」の原理から法律違反をしていい訳ではない

 しかし法律違反にならないのであれば、そして「法規(事項)」でなければ、
必ずしも法的根拠は必要としないのだ。

 それが日本の行政法としての考えなのだ。

 

 それでは翻って「国葬」とは何だろう
これは「法規(事項)」だろうか?

 「国葬」をすることで国民の自由を制約したり、義務を課したりするのだろうか?
それは全く無い
「国葬」をすることで国民が負担になることは無い。
例えば税金を使うが、これは既存の税金(予備費)を使って行うのであり、
新たな国民負担が発生する訳ではない
ましてや国葬時の黙禱を義務付けたり、自粛を強いたりすることなど無いので
何らかの義務を課すこともない

 それなら「法規(事項)」とは言えないので、日本の通説「侵害留保説」に則ると、
国葬を行う行政活動は法的根拠が必要ない、ということになる。

 

 

 

 

まとめ!

 安倍元首相の国葬には「法的根拠がない」という批判がある。
それは半分あっているが、半分間違っている。
内閣府設置法が国葬の根拠となる。それは組織規範であっても法的根拠となり得る。

 もう一つは国葬には法的根拠の必要が無い。
行政法の通説は侵害留保説であり、国民負担を生まない国葬に法的根拠は必要ない。

 いずれにせよ国葬を行うのに法的な問題は無い

 それなら憲政史上最長の政権を担った安倍元首相には国葬が相応しい。

 

 

 

「安倍元首相の国葬に法的問題は無い(1/2)」はこちら

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

 

 

安倍元首相の国葬に法的問題は無い(1/2)

 

 

 

 

安倍元首相には国葬が相応しい。
国葬の法的根拠は内閣府設置法!

侵害留保説では、そもそも法的根拠は必要ない
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 安倍元首相の国葬に法的問題は無い

 

 

「安倍元首相の国葬に法的問題などは無い(2/2)」はこちら

 

 

安倍元首相の国葬!

以下の文章では名称を、現在の世界平和統一家庭連合(略称:家庭連合)」ではなく、
名称変更前の「世界基督教統一神霊協会(略称:統一教会)」を使用し、「旧統一教会」と記述する。

202278日に安倍元首相が銃撃されて死亡した。
起きたのは参議院選挙直前であり、その事件は各方面に衝撃を与えた。

その後、自民党(特に安倍派)と旧統一教会の関係が注目されて、
最近はその話題で持ちきりとなっている。

そして現在、大きな注目を集めているのが、安倍元首相への国葬である。
安倍元首相への国葬は是か?非か?
最近95日現在)では反対世論が多いように思う

 毎日新聞と社会調査研究センターが実施した全国世論調査(82021日)で、銃撃されて死亡した安倍晋三元首相の国葬について、「反対」は53%で「賛成」の30%を上回った。「どちらとも言えない」は17%だった。

2022822日 FLASH   赤字は筆者

 

またTBSの「ひるおび」によると、国葬の賛成が反対より多いのは一紙だけで、
その他は全て反対意見の方が多かったという

番組では、国葬の是非について報道各社が行った世論調査の結果をまとめ、日本経済新聞(72931日)賛成43%、反対47%、読売新聞(857日)評価する49%、評価しない46、共同通信(81011日)納得できる425%、納得できない56%、産経新聞(82021日)賛成408%、反対511%、毎日新聞(82021日)賛成30%、反対53%と伝えた。

赤字は筆者 

 

 このように世論は国葬反対に傾いているように思う。

 筆者の意見としては国葬に賛成である。

 その理由は安倍元首相が日本の憲政史上、一番長く首相をやったからである。
一番長くやったということは、一番国民に支持されたということであり、
国民の期待に長く答えた政権であるということだ。

 日本は民主国家である
その民主国家は国民の支持によって成り立っている。
つまり国民に支持されない政権は長く維持することすらできない。
国民に強く支持された政権が期待を裏切って失脚せざるを得なかったことが、
日本政治の中でもよくあることだ
安倍政権は国民の期待に応え続けたので、憲政史上一番長い政権を維持したのだ。

 これまでの政権で一番国民に支持され、一番期待に応えてきた政権。
その元首相が非業の死を迎えた。
それ故に最大限の礼節を持って送るべきだと思う。

 だから国葬に賛成である

 ところで先に記したように国葬に関しては賛成反対が入り混じっている。
民主国家であるから賛否があるのは健全なことである。
しかしいい加減な説明が世間をまかり通っているのは良くない。

 例えば政党として国葬に反対し、出席拒否を声明しているのが日本共産党だ。
その日本共産党は反対理由として以下の5点を挙げる

 

1.憲法14(法の下の平等)違反

2.憲法19(思想及び良心の自由)違反

3.法的根拠がない。

4.費用総額を示していない。

5.安倍氏の諸々の疑惑を隠し、敬意を強要する。

  ナンバリングは筆者。

 これらの中で「1」「2」「5」についてはくだらないとしか言いようがない。
どうして法の下の平等の違反になるのか?
日本共産党によると、「なぜ安倍元首相のみを特別扱いにして「国葬」を行うのか。」と言うことのようだが、安倍元首相のように国会議員になり、総理大臣になり、憲政史上最長の政権を作れば、誰でも対象となるだろう。

 もし日本共産党の志位委員長が政権を(民主的に)獲得して、憲政史上最長の政権を維持すれば、もちろん国葬に相応しいと議論になるだろう。
これは法の下の平等を何ら犯すことでは無い。

 また「2」については「弔意の強制」と言っているが、どうやってやるんだ?
弔意の強制などできる訳が無いだろう

各家庭に警察が乗り込んでいって、弔意を強制するとでもいうのか?

 また「5」に関しては、安倍氏の経歴には功罪があるだろう。
それは別に追求すればイイ。どうして国葬をやったら疑惑隠しになるのだ。 

このように日本共産党の国葬反対理由にはいい加減なものが多い

しかし「3」と「4」に関してはもっともな部分がある。
国葬の費用総額に関しては国民の税金であるからしっかり説明するべきである。

 そしてもう一つの反対意見が法的根拠がないということである。
今回はこの部分に焦点を当ててみたい。

 

 

 

 

法的根拠は無いのか?

 国葬に関しては戦前は「国葬令」という法律があった。
しかし1947年に現憲法が施行され、失効している。

 現在「国葬」そのものを行う法律は無い。  

 しかし国の行事としての法的根拠はある
それが内閣府設置法である。

 内閣府設置法第四条第3項三十三号に以下の条文がある。

国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関するこ

(他省の所掌に属するものを除く。)。

 このように「国の儀式」が内閣府の行う仕事として明記されている。
これは「国葬」とは書いていないが、
「国の儀式」の中には「国の葬儀」が入るのは当然だろう。
「国葬」というのか「国の葬儀」というのかはさておき、
国が主導して葬儀を行うのは法的に想定されているのだ。

そして内閣府設置法では「内閣府」の任務を以下のように記す

第三条 内閣府は、内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けることを任務とする。

赤字は筆者

 このように内閣府の仕事は「内閣の事務を助ける」ことが任務だと明記されている。

 つまり「国の儀式=(国葬・国の葬儀)」を内閣が行うことを当然の前提としているのだ。

 

 

 

 

「組織規範」とは何か?

 ところでこの見解に対して、日本共産党はこのように言う

岸田首相が持ち出している内閣府設置法は、他省庁と区別した内閣府の「所掌事務」の範囲を明確にする組織規範にすぎず、「国葬」実施の根拠法にならない。 

  赤字は筆者

 ここでは内閣府設置法は「組織規範」に過ぎないので根拠法(つまり法的根拠)にならない、という。

 この「組織規範」とは何か?
以下の部分は「行政法第5版」櫻井敬子、橋本博之 著から引用する。

行政法 [ 櫻井 敬子 ]
行政法 [ 櫻井 敬子 ]


「組織規範」とは特定の行政機関の組織に関する定めのことをいう。

具体的な法律としては内閣法や財務省設置法のようにその組織を規定したもの。
当然、内閣府設置法も「組織規範」となる。例えば

第六条 内閣府の長は、内閣総理大臣とする。

第七条 内閣総理大臣は、内閣府の事務を統括し、職員の服務について統督する。

第十三条 内閣府に、副大臣三人を置く。

上記のように、内閣府の組織を規定しているのが内閣府設置法なのだ。

 

 それに対して、日本共産党は「「国葬」実施の根拠法にはならない」という。
例えば天皇陛下が崩御した時に行われる「大喪の礼」は
皇室典範が根拠法となっている。

第二十五条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。

 赤字は筆者

 このように大喪の礼は法律に基づいて実施が規定されており、
それにより内閣府設置法の「国の儀式」を行うことも認められているが、
「国葬」にはそういった法律が無い。

 故に認められない、と日本共産党はいうのだ。

 しかしそれは国葬反対の根拠にならない
なぜなら「組織規範」に過ぎなくても、それを根拠に行政権の行使はできるからだ。

 

 

 

 

行政法の考え方(1)!

 ここで「行政法」に関して基本的なことを記しておく。
なぜなら「国葬」に関する議論をするには行政法が避けて通れないからだ。

行政法とはごく簡単に言えば、行政に関わる法律関係を全般的に扱う学問である。

 そして行政法は3つに分けられる。
・行政組織法
・行政作用法
・行政救済法

 今筆者は「行政法」を始め、いくつかの法律名を挙げたが、
これらの法律は存在しない

 つまり「行政法」という名の法律は無い。
先に記したように「行政に関わる法律全般1,900ほどある)を指して行政法」という。
そして「行政組織法」も「行政作用法」も「行政救済法」も存在しない。
「行政○○法」の「行政」を外して、「組織法」「作用法」などともいう。以下はそのように記す

 そして「組織法」とは行政の組織を規定するもの(先の内閣府設置法や財務省設置法など)
「作用法」とは行政活動として国民に働きかける(作用を及ぼす)もの
(行政指導や行政調査、行政罰など多数)
「救済法」とは行政の作用によって起きた損害を救済するもの(国家賠償法や行政不服審査法など)

 先に記した「組織規範」とは「組織法」に対応する。
そして「作用法」に対応する規範は「根拠規範」という。

そして「法的根拠がない」とは、
この作用法に基づく「根拠規範がない」のと同義語である。

 日本共産党の見解ではこの「根拠規範」がないので、国葬には「法的根拠がない」というのだ。

 しかしそうではない

 

 

 

 

一斉検問の法的根拠!

「組織規範」であっても行政権の行使の根拠にはなるのだ。
それが一斉検問の法的根拠(根拠規範)の問題だ。

 警察組織も当然行政機関である。
それ故に組織法も作用法も存在する。その代表的なものは
警察法(組織法:組織規範)」と「警察官職務執行法(作用法:根拠規範)」である。

そして警察官職務執行法では、警察官は挙動不審者に対しては職務質問ができる。

しかし交通取り締まりの一斉検問は必ずしも挙動不審者ばかりではない

では一斉検問は法的根拠が無いのか?それが裁判で争われた。

結果は法的根拠がある1980922日最高裁)。

 最高裁は警察法第2条第一項で「交通の取締」を警察の責務と定めている点に注目。

第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。

赤字は筆者

 この「交通の取締」に対して最高裁はこのように言う。

 警察法21項が「交通の取締」を警察の責務として定めていることに照らすと、交通の安全及び交通秩序の維持などに必要な諸活動は、強制力を伴わない任意の手段による限り、一般的に許容される

赤字は筆者

 そしてその「必要な諸活動」として「一斉検問」が認められたのだ

先に記したように、警察法は組織法であり、組織規範である。
しかし最高裁判所は組織規範に対して行政権の行使(一斉検問)を認めた

 これは内閣府設置法という組織規範によっても、
「国の儀式(国葬)」が認められる可能性を示している

そして国の儀式(国葬)は行政権の行使である

そのことは松野官房長官ハッキリ述べている

内閣府設置法、第4条第3項第33号に内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが明記され、国葬儀を含む国の儀式の執行は、行政権に属することが法律上、明確となっており、閣議決定を根拠として行いうるものであると考えております。

2022722日 官房長官記者会見より  赤字は筆者

 このように「国の儀式」は「行政権に属する」と明言している。

 そして日本国憲法によって、行政権は内閣に属することも明記されている

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

そして組織規範である内閣府設置法によって「国の儀式」が規定されている以上、
国葬(国の儀式)は行うことができるのだ。

 

 ところで筆者は内閣府設置法(組織規範)を法的根拠に国葬ができる、と述べたが、
それには別の解釈もある

 つまり国葬に法的根拠は必要なのだろうか?

 そして筆者は言う。国葬に法的根拠は必要なく、閣議決定でできると。

 

長くなりましたから続きます。

 

「安倍元首相の国葬に法的問題などは無い(2/2)」はこちら

 

 

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