・シベリア抑留者の帰還問題。
・帰還を日本共産党が邪魔をしていた。
・「反動は帰還させるな」と徳田氏が要請?
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シベリア抑留という悲劇があった。
第二次世界末期に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して参戦したソ連は、
戦勝国として名を連ねるとともに、多くの日本人の捕虜を得た。
その多くはシベリアの過酷な環境下で強制労働を強いられた。シベリア抑留は日本軍人を中心に約65万人が抑留され、6万人以上が栄養失調等で死亡した。
そして徐々に帰国が許され、一部には中国へ移送されるものもあったが、何人かは日本に帰国した。その扱いはまちまちで、早く帰還できる場合もあれば、長く留め置かれるケースもあった。
それらは色々な条件によって変わってくるのであるが、その一つの要因が日本にあった。
それが徳田要請問題であった。
◎徳田要請とは!
徳田要請とは当時、日本共産党の書記長だった徳田球一が、シベリアに抑留された日本軍人に対して、思想教育を徹底して、共産主義者にならない者に対しては帰国させないようにソ連に依頼したとされる事件である。
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当時シベリアの過酷な環境下で、強制労働を強いられていた日本人に対して、共産主義者にならないものは帰国をさせないように要請していたということは、日本人の指導者(当時徳田は衆議院議員だった)にあるまじき行為だった。
この事件は1950年2月13日の朝日新聞2面に掲載された。15日に帰国する373名の団長久保田氏は自分たちの帰国が遅れた理由は共産党の徳田球一の責任であると指摘した。
そして2月16日の新聞には ※赤字は筆者
反動は帰国させず ソ連強化に使ってくれ
と徳田氏が語ったと帰還兵が述べている。そしてソ連の収容所責任者の言葉として、その通訳をした菅季治(かんすえはる)氏は、以下のように答えている。 ※赤字は筆者
日本共産党のトクダは、諸君が反動ではなく、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している。
と述べて、そのように通訳したと証言している。当時のソ連は捕虜に対して、共産主義者という言葉を使わず、民主主義者という言葉を使っていた。つまり立派な共産主義者になれば帰国できるといっているのだ。
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◎国会および周辺にて!
当然徳田氏および日本共産党は否定している。「そんなことはない」…と。実は先ほどの菅氏の証言にも「要請」ではなく、「期待」という言葉を使っている。つまりそう希望しているだけで、要請などしていないとしている。
しかし徳田氏がそのような発言をして、ソ連側もそれを認識していたということは言える。つまり日本人の帰還に何らかの影響を与えた可能性は、十分に考えられるのだ。
この徳田要請問題は帰還した日本人の要請もあり、そして当時の共産党批判の政治的状況もあり、国会で取り上げられることになった。そしてこの年の3月4月を中心に帰還者や徳田球一氏、さらに先ほどの通訳をした菅氏なども国会で証言することになった。
そして影響はそれだけにとどまらない。極東委員会の出先機関である対日理事会では、徳田氏の処分を要求することになるし、別にソ連のタス通信では徳田要請を否定し、「悪意に満ちたつくりごと」と非難している。
つまり米ソの対立もここに反映されることになったのだ。
そして証拠として共産党の秘密指令も出る。それは指令347号でその中で
今度の引揚者は積極分子が多く、全員入党させよ。
と指令していた。 ※3月26日 朝日新聞1面 ※赤字は筆者
なぜ共産党が知っている?ソ連と通じているからだろう。
事実、その年1949年7月に引き上げた人たちは、共産主義に凝り固まっている分子が多く、到着するや日本共産党とともに大人民大会を開き、迎えに来た家族を困惑させた。そのため彼らのために用意していた臨時列車はほとんど空のまま出発することになる。
このような(共産主義への)積極分子は早く帰還が許されるのだが、そうじゃないのはしっかり教育して帰還させてほしいというのが徳田要請であった。
そして多くの証言者(通訳の証言も含む)や、秘密指令文書などが証拠となって、3月25日には参議院引揚委で「徳田要請は事実」という結論が出されることになる。
そのような状況の中、徳田要請はどのような結論になるのだろうか?実はそれを遥かに上回る事件のため、結果として立ち消えになるのだ。
それは朝鮮戦争の勃発と、共産党へのパージである。
それについては次回書こう。
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