・韓国とベトナムの歴史問題
・金大中大統領は謝罪した
・しかし参戦軍人は反発し、参戦碑を建てた
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私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
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韓国は日本に対して、「歴史を反省しろ」という。それに対して日本では韓国に対して、ベトナム戦争での残虐行為を批判する。
韓国は偉そうに言いながら、ベトナムに謝罪していない…と。
ところでそういう中で、韓国がベトナムに対してどのような行動をしてきたのか正確には知られていない。ましてや日本においては尚のことである。
そこで今回から数回にわたって、韓国の、ベトナム戦争に関する戦後処理を書いていきたいと思う。今回主に引用元にするのは「伊藤正子 戦争記憶の政治学」(平凡社)である。
伊藤は1964年生まれ。ベトナム現代史を専攻する学者で、中越国境地帯の民族についての研究で学士論文を書いている。
詳しくはこちらを参照してください
◎ハンギョレ21の記事!
2000年6月27日。ソウルにあるハンギョレ新聞社が、迷彩服を着た男たちに襲撃された。彼らはベトナム戦争の参戦軍人たちで、パソコンや自動車を破壊し、一部の髪に火をつけ、幹部数人を監禁するという事件を起こした。
一部暴徒は警察に連行されたが、抗議活動は翌日も翌々日も続き、被害総額は7000万ウォン(日本円で約680万円)に達した。
この抗議行動は、ハンギョレ新聞社が出版する週刊誌「ハンギョレ21」が開始した「ベトナム戦争に参戦した韓国軍の虐殺行為を検証して、ベトナムに謝罪しよう」というキャンペーンに反発して行われたものだった。このキャンペーンは1999年から1年間続けられた。
参戦軍人たちはハンギョレ21のキャンペーンに強い拒否反応を示したが、一方でベトナムに対する募金には1億1000万ウォン(約1000万円)が寄せられるなど、幅広い共感も得た。
このような大きな反発を受けたのは、韓国では、「ベトナム派遣は反共の戦い」という大義名分があったからである。
そして朝鮮戦争を経験して「反共」を旗印に戦後国家運営して来た韓国では、ベトナム戦争の大義名分には納得するものがあったのである。
もう一つあるのは、ベトナム戦争において、韓国民は被害者にならなかった。もちろん参戦軍人は大変な戦いをしてきたのだが、韓国民衆一般は「遠くでやっていた戦争」であり、そういう面では大多数の韓国人がベトナム戦争を反省する機会などは持たなかった。
それが急に韓国は「ベトナムで悪いことをやっていた」と言われたのだ。韓国世論が混乱するのもやむを得なかった。
◎金大中大統領の謝罪!
2001年8月23日 韓国を訪問したベトナムのチャン・ドゥック・ルオン国家主席に対して、当時の韓国金大中大統領が謝罪した。その部分を「戦争記憶の政治学」(P177)から引用すると、
「私たちは不幸な戦争に参加し、本意ではなくベトナム国民に苦痛を与えたことに対し、申し訳なく思い、慰めの言葉を申し上げます」と謝罪した。
上記の引用は金大統領が「ベトナムに訪問」となっているが、事実はベトナム国家主席が韓国を訪問した時である。
しかし韓国大統領がベトナムの国家主席に、公式に謝罪したのは事実であろう。ではこれでベトナムと韓国の間の和解は成立したのだろうか?
◎韓国参戦軍人会の活動!
韓国で、ベトナム戦争に参戦した参戦軍人はこのことに反発した。そしてベトナム参戦者の記念や顕彰に向かう活動をするようになる。
その一つがベトナム参戦前に訓練を受けていた江原道華川郡に「ベトナム参戦勇士出会いの場」を作った。広大な敷地の中に、ベトナム戦争記念館や追悼碑などを、国費などを投入し、完成式典には江原道知事や華川郡郡守、国務総理(首相)も参加、2000人余りの軍人、人気歌手も来賓した。
施設はこんな感じです。ちょっと常軌を逸している。
さらに参戦軍人会は韓国各地に「ベトナム参戦碑」を建てる。この碑にはベトナム戦争には「自由・平和を守るために行った」と書かれている。自分たちのベトナム戦争参戦を国家への貢献として歴史の残すのが目的である。
この参戦碑は100か所ほどある(2010年8月現在)が、その80%が21世紀になってから作られている。
先程のハンギョレ新聞のキャンペーンが1999年に始まっているが、ほとんどの参戦碑はその後に作られている。
つまりハンギョレ新聞がキャンペーンをやり、金大中大統領が謝罪しても、韓国国民、特に参戦軍人会はベトナムへの謝罪など必要ないと考えているのだ。そして多くの軍人もそれに賛成している。もちろん多くの国会議員も。
事実、2009年には韓国国会で、ベトナム戦争に参戦した軍人を「国家的功労者」に引き上げている。その趣旨説明の文書で、彼ら軍人を「世界平和の維持に貢献したベトナム参戦勇士」(※赤字は筆者)と説明している。
この文章にベトナム側は態度を硬化し、2009年10月の李明博大統領の訪越がダメになりかけた。
結局、「世界平和の維持に貢献した」という部分は削られたが、ベトナム参戦者を国家として顕彰しているのは事実である。
このように韓国ではベトナム戦争に対する反省はほとんどない。大統領が謝罪しても、国民のコンセンサスなどは無いに等しいのだ。
このような国が歴史を語るなど片腹痛い!
しかしそれでもベトナムと韓国の間では、あまり歴史問題でギクシャクしているように見えない。それはどうしてだろうか?
それは韓国側の問題というより、ベトナム側に問題がある。次回はベトナム側の問題に焦点を当ててみよう。
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
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