・朝日新聞が韓国政府のイヌに!
・天皇陛下の訪中を称賛
・そこまで韓国に迎合するか?
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私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
全てです。
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朝日新聞必死だな(笑)!
◎10月30日 朝日新聞1面
本日、10月30日の朝日新聞1面および2面に以下の記事が載った。
天皇陛下「中国訪問はよかった」 渦巻く思惑、親善貫く
記事は1992年に行われ天皇陛下の訪中についての記事だった。その中で現陛下が当時中国を訪問したことを「よかった」と思われていることを書いている。
天皇嫌いの朝日新聞が天皇陛下を持ち上げていることに苦笑する。
当時の状況は中国に不利だった。
1989年の天安門事件により国際的に孤立していた。当時の中国は現在と比べ物にならないほど経済力がなかった。
さらに冷戦が終結し、共産圏の崩壊が起きて中国の友好国が軒並み混乱状況に陥っていた。
このような状態から何とか抜け出そうと思っていた時に目を付けたのが日本だった。
◎ギクシャクしていた日中関係!
しかし日中関係もギクシャクしていた。
1982年に教科書問題が起き、1985年には靖国参拝問題が起きる。そして1986年には藤尾文部大臣が「日韓併合は合法」「戦争で人を殺しても殺人罪にはならぬ」といった発言をして、中国及び韓国から反発を受ける。
※筆者はそれほど問題ある発言とは思えぬが、当時は大問題になった。
そういった歴史認識問題等による内政干渉があり、自民党の保守派は天皇陛下の訪中に大反対していた。本日(10月30日)の朝日新聞の記事にもその旨記載している。
天皇訪中、保守強硬派の反発 当時の官邸は説得に半年余
1992年、天皇陛下の訪中をめざした宮沢喜一内閣が直面したのは、国内の激しい反対論だった。首相官邸幹部らが異例の「保守強硬派対策」に乗り出し、半年余りかけて訪中決定にこぎ着けた。「皇室外交」の歴史は、政治の責任とは何かを問いかけている。
このように自民党内から反発が起きていた。
このような状況で行われたのが、1992年10月の「天皇陛下の訪中」だった。
この時に天皇陛下の訪中を進めたのは、当時の宮沢首相によると、「日中友好のため行う」としていたが、その後の日中関係がそうなっていないのは衆知の通りである。
◎どうしてこの記事を1面に書いたのか?
朝日新聞としては、天皇陛下の訪中は「素晴らしかった」「陛下もそう言っているだろう」と言いたいらしい。
どうしてこの記事をこんな時期に載せたのかというと、最後にこう書いてあった。
訪中とともに懸案とされてきた天皇訪韓は、いまだ実現していない。
そういうことか!
10月27日の毎日新聞の記事だが、こう書いてある。 ※赤字は筆者
新駐日大使が天皇陛下の退位前の訪韓に期待
【ソウル米村耕一】韓国の李洙勲(イ・スフン)新駐日大使は27日、日本メディアとの懇談会で、天皇陛下の韓国訪問について「退位される前に訪問していただければ、韓日関係に特別な意味を持つと思う」と期待感を示した。
ただ、「さまざまな懸案が両国の間にはあり、そうした問題がよく管理され、あるいは解決されることで良い条件が整えられる」とも指摘。実現が簡単ではないとの認識も示した。そのうえで「日本に行って、そうした関係になるように努力する」と強調した。
文在寅(ムン・ジェイン)政権幹部からは天皇陛下の訪韓を期待する声が、これまでも相次いでいる。李大使は今月31日に東京へ赴任する。
韓国が天皇陛下を政治利用しようとし、それに対して迎合し、援護射撃しようとして作った記事が10月30日の1面2面の記事なのか。
そこまで韓国政府に迎合する必要はないのに…。
朝日は韓国政府に弱みでも握られているのか?
朝日新聞の綱領にはこうある。
不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、
民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
しかし不偏不党の中には、韓国政府は入っていないようだ。韓国の国家権力に阿ることは綱領違反にならないのだろうか?
ぜひ朝日新聞には聞いてみたいものだ。
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
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