◎なぜ戦前のコリアンは河原に住んでいたのか?
◎その理由は家を借りられなかったから。
◎それではなぜ家を借りられなかったのか?
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
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◎河原に住んでいた戦前のコリアン
筆者は生まれてから半世紀になる。当然戦前のことは知らない。
しかし筆者の両親は戦前のことを知っている。両親は現在でも健在であり、話を聞くことができる。
筆者の父は東京生まれであり、一時疎開の時を除いて、子供の頃から東京に住んでいる。また多摩川周辺でアルバイトをしていたこともあり、当時の多摩川のことを話してくれた。
その父がよく話してくれたのは
当時の多摩川には、朝鮮人がバラックを立てて住んでいた。
ということだった。
この話は昔から話してくれたのだが、当時はほとんど興味もなかったので、全く聞いていなかった。
しかし戦後に編集された在日朝鮮人に関係する資料を読んでいる時に、その父の言っていたことを思い出した。
河原に住んでいたコリアン
実は彼らが河原で住んでいたのには理由がある。それは戦前の日本人とコリアンの間の、大きな問題が横たわっていた。
※以下の資料は言及しない限り、朴慶植(パクキョンシク)編集の
「在日朝鮮人関係資料集成」より抜粋した資料である。
※以下赤字は筆者
◎なぜ河原に住んでいたのか?
ところで戦前のコリアンは、なぜ河原で住んでいたのだろうか?
それは簡単な話で、住む場所が無かったからだ。
ではどうして住む場所が無かったのだろうか?
戦後の我々が考えるに、コリアンは差別されていたので、住む場所を貸してもらえなかったと思うかもしれない。
事実、当時の朝鮮人もこう言っている。
一視同仁とか、何とか、いって表面は実に結構ですが、一般人の間に、朝鮮人が同一人格視されて居ないてふ事は、内地人が朝鮮人労働者に家を貸して呉れない一事によっても明らかである。
と述べている。
※大正13年 大阪市社会部調査課 朝鮮人労働問題
※「在日朝鮮人関係資料集成第1巻 P380より抜粋
このようにコリアン側からは「日本人が差別して家を貸してくれない」と思っていたようだ。事実、そのようなケースもあり、日本人の中にも「朝鮮人には家を貸したくない」という証言もある。
では日本人側はどうしてコリアンには家を貸さなかったのだろうか?本当に差別心から家を貸さなかったのだろうか?
◎日本人が家を貸さない理由!
日本人がコリアンに家を貸さなかったのは事実だが、それには理由がある。例えば大正15年12月、警保局保安課の資料「在留朝鮮人の状況」のP208には以下のように書いてある。
朝鮮人ノ借家紛議
在留朝鮮人ノ借家紛議ハ大正十三年始メテ大阪市ニ於テ発生シテヨリ漸次多キヲ加ヘ
このように日本人とコリアンの間で、大正13年ごろから大阪で、借家問題が起こっていた。つまり家の貸し借りの問題である。
その理由はコリアンの経済的困窮があるが、それはものの一面であり、他にも大きな理由があった。
それが先の文章の後半に書いてある。
一面朝鮮人ハ既ニ内地人ト民情風俗ヲ異ニシ又日常生活ハ不潔無節制ニシテ家屋を汚損スルコト甚シク且多数雑居シ喧騒スル性癖アル等近隣ノ反感ヲ買フコト多キニ基クモノノ如ク、自然一般家主ニ於テモ朝鮮人ニ家屋貸与スルヲ嫌忌スルニ至リ、 ~略~
このように当時の朝鮮人は日本人から家を借りても
・不潔に使い、家屋を毀損させる
・大勢で雑居して、大騒ぎする。
・家賃などを払わない。
といった傾向があり、それ故に日本人は朝鮮人に貸さないようになっていったのだ。
◎立退料に味をしめる!
このような状況から内地人はコリアンに家を貸さなくなったが、それに対してコリアンは「日本人名義で」家を借りようとする。その名義貸しをする日本人も現れたのだ。
そのような場合は、相手がコリアンと分かると、日本人は契約を解除して明渡しを要求するが、その際に「立ち退き料を請求するケース」もある。
家主ニシテ朝鮮人ナリト判明スルヤ直ニ家屋ノ明渡ヲ要求スルヲ以テ朝鮮人ハ之ニ対シ常ニ不当ノ立退料ヲ要求シ有利ニ解決スルコト多キカ為メ益々紛議ヲ馴致スルノ傾向アリ。
さらにその立退料を要求する傾向は強まっている。
然ルニ本年ニ入リ大阪市ニ於テハ斯ル趨勢ヲ奇貨トシ不良分子等ハ之ニ介在シテ事案ヲ一層紛糾セシムルノミナラス立退料領得ノ目的ヲ以テ詐欺的借家ヲ為スモノ続出スルニ至レリ。
このように「立退料目的で」家を借りるコリアンも出てきている。
戦前の日本に渡って来たコリアンは、日本の状況に不慣れな面もあっただろう。それ故に日本人とコリアンの間での意思疎通がうまくいかないケースもみられる。
ただしこのような借り家に関する問題は特に大阪や東京などでは頻発しており、借家問題として社会問題化していた。
そうしてコリアン相手に家を貸すと、
・金を払わない
・家を汚く使われて、家屋が汚損する
・集団で住んで、騒ぎを起こす
といったことが見られ、日本人は家を貸すのを敬遠するようになった。大阪のケースでは一部家主が同盟を作って、「朝鮮人には家を貸さない」といった決議までしているところもあった。
このようなことが重なって、河原で生活するまでになったのである。
筆者はコリアンの傾向に、何でも「他人のせいにする」というのがあると思う。これは韓国で現在でも尊敬されている独立運動家の安昌浩(アンチャンホ)が述べた言葉である。
彼はコリアンには2つの悪い癖があり、1つは「嘘をつくこと」、もう1つは「他人のせいにすること」と言った。
この戦前の借家問題を見るに、何でも人のせいにするという傾向が色濃く見える。日本人も最初から家を貸さない訳ではなかった。
しかし家を汚く使われたり、大勢で住み着いて大騒ぎしたり、金を払わなかったり、挙句の果てに立ち退き料を請求したりすれば、敬遠されても仕方がないだろう。
戦前の借家問題
これはコリアンの自業自得である。
この戦前の借家問題の
もう少し詳しい内容はこちらをご覧ください。
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