沈丁花の「反日は差別なり」

なぜ日韓関係が悪いのか?その原因は韓国の反日にある。 そして反日とは差別であるということを説明します。 その他中国を始めとする国際ネタ。国内政治ネタも少し触れます。 沈丁花(ちんちょうげ)とはブログ主の子供の頃のあだ名です。それ故に決して(じんちょうげ)とは読まないでください。

2019年06月

沈丁花の名前で動画チャンネルもやっています。
2月17日更新 ぜひご覧ください。

日本共産党の松竹氏への除名処分は47年前に予言されていた。
「(共産党)松竹氏の除名処分は47年前に予言されていた!」
https://www.youtube.com/watch?v=gaRaQkd_wCY

「韓国人は反日」だといわれる。ところで「反日」とは何だろう?

 

 

「反日」とは何か?

日本を否定することが反日ではない

問題なのは愛国心だ!

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 「韓国人は反日である」 では反日って何?

 

 

韓国人は反日か?

 

「韓国人って反日だよな!」

 よく聞く言葉である。実は筆者もそう考えている。

 韓国人は反日であり、反日教育を受けており、それ故に反日行動を繰り返している。

 

 

しかしその際に気を付けなければならない。

それは「反日とは何であるか?」という定義である。

 

 

そんなことどうでもイイだろ?

 という声が聞こえてきそうだが、大切なことである。そうでなければ何でもかんでも日本を批判する言説が全て「反日」とレッテルを貼られてしまう。日本のための建設的な批判は日本のための有益な意見だ。これらも「反日」として捨て去ることは望ましいことではない。

 

 では…反日って何だろう?

 

 

 

日本の否定!

 韓国人ではないが、日本人でも反日の人は多い。その人たちに反日だというと、大体こういう反論をする。

 

「反日ではない。日本のために言ったのだ!」

                       

 こう言われた時に反論はできますか?

 

 

 確かに反日とは、日本を否定する言説を含むことは多い。それ故に日本を攻撃する言動に対して「反日」というレッテルを貼りつける傾向がある。

 

 

 しかし実際に日本を否定するから反日とは限らない。「日本を批判する」「日本を否定する」言説を弄する本人がどういう意図かは知らないが、日本のために良かれと思って苦言を呈することはよくある。

 

 個人的にも経験はあるだろうが、親や学校の先生や職場の上司に苦言を呈されるケースも多々ある。それらは確かに悪意に基づく「単なる悪口」もある。

 

 

 しかし親や先生や上司などは、ほとんどの場合、本人のために良かれと思って批判をしている。

 

 その批判が的外れであるか否かは別として、本人のために良かれと思っている苦言に関しては真摯に傾聴すべきだ。それさえも切り捨てるのはおかしいだろう。

 

 これら「単なる悪口」と「本人のための苦言」とは分けて考えなければならない。

 

 

 この両者は形としては同じように見える。全然知らない第3者が見ると区別はつかないだろう。事実、子供や生徒を怒っている親や教師を見ると、それが激しい叱責の場合、虐待か、それとも教育的措置かは区別できない。

 

 しかし継続してみていると、両者の違いは見えてくる。

 その区分は愛情の有無である。

 

 

 

 

相手に対する愛情はあるのか?

 相手に対する否定や批判をすることは、相手が間違っている時である。

 その相手が間違えており、また間違えそうな時に、相手に対して苦言を呈することで正しい道に戻してやろうとし、

 「それじゃーダメだろ!」というのだ。

 

 

 高校生のスポーツ選手である程度才能があり、練習しなくてもできてしまう選手がいる。その選手はそれ故に天狗になっている。

 

 この子は努力すればもっと伸びる

 そう思えば厳しく叱ることはあるだろう。

 

 

 

 頭が良くて、面倒見の良い生徒がいる。彼はそのためクラス委員にもなって、クラスの代表として仕事をしている。

 しかし彼らには少々欠点があった。それは自分に自信があり、間違いを認めず、人のせいにばかりすることだ。

 

 彼は頭が良いし、クラスのために積極的に奉仕活動もする。それ故にクラス委員もやっているのだが、うまくいかないと人のせいにする性格が、一部の生徒から反発を喰らっている。

 

 もう少し謙虚になれば、人にも好かれるのに

 そう思えば、苦言も呈することもあるだろう。

 

 

 

 このように批判する相手に欠点があり、それを正しい道に戻してやろうと思っている場合、その批判は「反○○」ではない。

その判断基準は、愛情の有無である。

批判する相手に対して、愛情があれば、そしてこれまでより良くなるように善導してやろうと思えば、苦言を呈することもある。

 

 

これを「反日云々」に当てはめると、日本への愛情の有無となる。日本に対して愛情があれば、反日ではなく「日本のために良かれと思った苦言」であり、「建設的な批判」となる。

 

日本に対する愛情。つまり愛国心があれば、日本に対する苦言も反日とはならず、むしろ愛国心の発露と見做されるだろう。

 

 

 

 

戦後日本の価値観(戦前の否定)!

 ところで「愛国心」というと、日本では警戒される向きがある。

 愛国心=戦前の美化、もしくは愛国心=右翼などと考え、戦後の日本では否定されるべき価値観と考えられてきた。

 

 戦後の日本は、「戦前の否定が正しい」という考えがある。戦前を否定し、その反省の下に成立した戦後社会を肯定する傾向がある。

 

 つまり「戦前=悪」、「戦後=善」という考えだ。

 

 この「戦前=悪」「戦後=善」もこのままだと誤解を招く。一方的に「戦後=善」ではない。「戦前=悪」は一方的な、そして絶対的な価値観だが、「戦後=善」とは絶対的な価値観ではない

 

 「(戦前を否定した)戦後=善」なのだ。

 

 

 戦後でも色々な考えがあった。それ故に戦前を肯定する意見もある。しかしそういう意見とは「歴史修正主義」であり、「戦前回帰」であり、「復古思想」であり、なおかつ「軍国主義者」となる。

 

 決して戦前の全てを肯定しているだけでなく、一部肯定するだけでもダメなのだ。「日本は良いこともやった」と言えば、袋叩きになり、政治家なら厳しい批判を受ける。

 

 例えば1995年に当時の総務庁長官だった江藤隆美氏は、日本が悪いことをやったと認めつつ、「日本の朝鮮統治は良いこともやった」と述べたことを理由に辞任を余儀なくされている。

 

 

 つまり戦前を肯定する意見には厳しく批判されるが、戦前を否定した戦後の価値観は「絶対的な善」となる。

 それ故に政権批判する時には「戦前の復活」というレッテルを貼り付けることが有効となる。

 

 

 その文脈から「愛国心」は否定の対象となる。

戦前の日本(それも一時期だが)では「愛国心」が強調されていた。そうでなければ「非国民」と言われ、厳しい批判に晒された。自分を殺して、公のために、天皇陛下のために尽くす、これが正しい生き方だった。

 

 

戦前の考えを否定する、戦後の価値観から言うと、「愛国心」とは否定されるべき対象となるのだ。

 

 

 しかし愛国心とは否定されるべき対象ではない。国を愛するという当たり目の考えだ。自身の国を愛するというのは当たり前であり、それ自体を否定する必要はない。

 

 

 これは自身の子供に対する愛情と同じだ。

 

 子供が悪さをした場合、厳しく叱責することもあるだろう。しかしそれは子供を憎んでいるからではなく、愛しているからだ。

 

 愛するが故に厳しく叱るのだ

 

 そして子供を愛するというのは自然な考えだ。別に「愛するか否か」という命題は存在しない。愛するのが自然なのだ。

 

それと同様に、「国を愛する」というのは自然な感情だ。そう考えるべきである。それなら愛国心を持つことは、議論をする対象ではない。

 

 

国を愛することは自然なことである。故に日本に否定的な言説を弄する人でも国を愛しているのなら、それは「反日ではないということになる。逆に国を愛せず、悪口を言うことを目的としているのなら、それは「反日だ」と言えるだろう。

 

 

 

 

反日とは何か?

つまり日本という国を愛しているかどうかで、反日か否かが決まる。そこにあるのは「日本を否定する」「日本を批判する」という内容ではない。

 

 

それでは「反日」を定義するとどうなるだろうか?

 ここで筆者が使っている反日の定義を提示すると以下の通りだ。 

反日とは、ことさら日本の悪口を言い、
 日本の不幸を喜ぶ態度・言動・傾向

 

 

 キーワードはことさらである。

 「ことさら」とは「わざわざ」とか「格別に」とかいう意味がある。つまりあえてやる必要がないのに「悪口を言ったり」「日本の失敗を喜んだり」すること。そういう「態度」や「言動(行動)」やそのような傾向のことを反日というのだ。

 

 日本の悪口を言うだけでは「反日ではない」。必要ないのに、またほかにも解釈ができるのに、あえて「悪いように解釈する」ことだ。

 

 単なる売春婦を「性奴隷」という。本人の意思で出稼ぎに来ているのに「強制連行」という。日本式に名前を替えたいと自ら要求しながら、「無理やり替えさせられた」と主張する。

 

 こういうことを反日というのだ。

 

 

 また「悪口を言う」とは、日本の肯定的側面を「言わない」という意味もある。つまり大金を貰っていた戦場の売春婦のケースをほとんど(もしくは全く)触れない場合などそれにあたる。

 

 

 このように物事を両面から捉えられるのに、あえて悪いことばかり強調するのを反日というのだ。

 

 

 

 こういうことを書くと「良いことだけを書けというのか?」という批判が起きることがある。しかしそうは言ってない。むしろ悪いことばかり言っているのが、現状ではないのか?

 

 良いことばかり書く必要はなく、また悪いことばかり書く必要はない。両方書けばいいのだ。もちろん一人に人間としてはスタンスがあるだろう。それ故に一人、もしくは一番組で、全て公平中立に書く必要はない。

 

 しかし反日的な言説ばかりが流通するのなら問題だ。そういう傾向(態度・言動・傾向)を反日という。

 

 

 

 

 

愛情の有無の見分け方!

 先に書いたように、「単なる悪口」と「本人のための苦言」とは同じような形を示す。それ故にパッと見は分からない。

 

 それではどうやって愛情の有無を見分ければいいのか?

 

 それが先程書いた「ことさら」だ
「わざわざ」や「格別に」「あえて」といった意味だが、このことにより、愛情があるかどうかが判別できる。

 

 

 つまりどんな時でも「日本が悪い」という観点からしか判断しない、行動しないというのは日本に対する愛情(愛国心)がないのだ。

 

 

子供が万引きをしたのなら、その子供をしっかり怒るべきだ。そして店の人には真摯に謝るべきだ。しかしそれが冤罪であり、子供は何も悪くなく、むしろ店の人が子供を犯人扱いしているのなら、親としては店と戦うべきだ。

 

子供を愛しているならそうすべきだ。

 

 

そういう意味では韓国軍艦の日本の自衛隊機に対するレーダー照射事件(2018年12月)などは韓国の行った反日行為であるし、日本への攻撃行動だ。

 

これに抗議をしない日本の政党があれば、

それは「反日」と言えるだろう。

 

 

 問題なのは日本に対する愛国心。それを何事が起きても「ことさら」日本を否定する言説を振り回す輩は、反日と言われても仕方がないだろう。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

本当に謝罪したのか?鳩山由紀夫の言葉は信用ならん!


 

 

日本国民に謝罪した韓国国会議長

しかしその謝罪には疑問もある。

そして鳩山由紀夫のボケた解釈とは?

――――――――――――――――――――――――――

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 本当におかしいのか、この人は?

 

 

韓国国家議長の発言!

 
 昨今の日韓関係は特に悪化している。

その理由はたくさんある。昨年の「慰安婦の財団解散」
「自衛艦の寄港阻止」「徴用工判決」「自衛隊機へのレーダー照射」
などが理由となっている。

 

もちろんそれ以前に日韓関係の悪化が見られたが、特に最近は悪化している。

 

その関係悪化の理由の一つに、
 韓国国会議長の天皇陛下への侮蔑発言であった。

 

 

現在では代替わりして、上皇陛下になられたが、当時の天皇陛下に対して、
韓国国家議長の文喜相(ムンヒサン)は、「戦争犯罪の主犯の息子」と言った。

 

 

この発言により、日本の世論は沸騰し、韓国に対する嫌韓意識が高まった。

 

当初、日本の謝罪要求に対して、文議長は拒否していた。

 

 

 

しかし日韓関係の悪化に伴い、方針転換をしたようだ。先日、韓国を訪れていた
元首相の鳩山由紀夫氏に、謝罪の言葉を述べたという

 

その記事の中から一部を抜粋すると、

文議長はこの日、ソウル汝矣島(ヨイド)のある食堂で鳩山由紀夫元首相に会って該当発言に対して「(その発言で)心が傷ついた方々に申し訳なく思う」と話したと議長室が明らかにした。

2019年6月14日 中央日報   ※赤字は筆者

 

 

 鳩山由紀夫氏に…???

 

 

 

 

これは日本国民への謝罪ではない!

 

これは日本国民への謝罪ではない

 

 鳩山氏は元首相かも知れないが、現在は民間人である。
その鳩山氏に対して、謝罪の意を表したところで、
日本もしくは日本国民への謝罪にならないだろう。

 

 文議長は韓国の国会議長である。
 そして当時の天皇陛下(現上皇)は、日本国民の象徴である。

 

 韓国の代表者が、日本国民の象徴を愚弄したのだ。

 

それなら日本の代表者に対して、謝罪すべきだろう。

 

例えば、安倍首相や河野外相などである。

今月末にはG20があるが、その際に来日して、安倍首相に謝罪すべきだろう。そうすれば、(許すかどうかは別にして)日本国民への謝罪であるということができる。

 

 

最低でも国会議員(国民の代表だ)に対して謝罪すべきだ。

そうでなければ、日本国民への謝罪とは言えない。

 

 

 

 

本当に謝罪したのか?

 ところでこの謝罪は本当にしたのだろうか?

 一応、両者(文氏及び鳩山氏)とも認めているようだが、
 どうも信じがたい
 口裏を合わせているケースも十分考えられる。

 

 今回の会談は公開されておらず、当人と通訳のみで行われたようだ。
 そのため当該の発言が本当にあったのかどうか確認することはできない。

 

 つまり謝罪をしていないことも考えられる。

 

 

大体、文議長は海外のメディアの取材に答えて発言をしているので、
間違いがなく公に発信したものだ。

 

他方、今回の話は公開されないため、公の発言とは言いにくい。
ましてや文氏はともかく、鳩山氏は民間人だ。日本の民間人に
個別に謝ったからと言って、日本国民に謝ったことにならないのは常識である。

 

 

このように謝ったのは

  1. 日本の民間人であること

  2. 公開の場ではないこと

  3. 本当に謝ったのかどうかは確認できないこと

 

 等を考えると、謝罪とは言えない

 

 

 

 そのため菅官房長官もこのようなコメントをしているのだ。

  

 だが、日本政府はこの発言を評価していない。菅義偉官房長官は
614日午前の会見で、苦笑いしながら
「まあ、鳩山さんとの会談で、ですからね
...コメントは控えます」
と述べるだけだった。

 ※2019年6月15日 J―CASTニュース

 

 

 民間人への、しかも密室での謝罪を評価できないのは当然だろう。
それ故に無視されることになる。

 

 まあ本当に謝る気があるのなら、公開の場で、日本国の代表者に対して謝罪すべきだな。
そうじゃなければ無意味になるだろう。

 

 

 ところで鳩山氏は訳の分からないことを言っている。

 この菅氏の評価を受けてのコメントのようだが、以下のようなツィートを発信している。

 

 私個人にではあったが日本国民に謝られたのである。

  鳩山と文喜相1



 

 私個人だが、日本国民に謝った???

 

 鳩山氏よ。ボケたことを言わないでもらいたい。

 

 あなた個人に対してなら、あなた個人だ。決して日本国民ではない。
あなたは日本国民を代表する立場ではない。

以前はそうだったかもしれないが、現在は市井の一市民だ。

 

 

こういうことを言っているから、日本国民から相手にされなくなるのだ。

 

名門鳩山家も遂にお終いだな!

 

合掌!

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

朝日新聞社説の間違いを訂正する(1)

 
2019年6月4日の朝日新聞に間違いがあったので、訂正してみた。


 

 

(社説)天安門30年 弾圧の歴史は消せない

 

(真実の社説) 慰安婦報道約30年 捏造の歴史は消せない

 

 

 あの夜、いったいどれだけの血が流されたのだろうか

 

 あの日以来、いったいどれだけの嘘が拡散したのだろうか。

 

 

 1989年6月4日。中国の民主化を求めた学生らが、人民解放軍の部隊によって殺された。天安門事件から、きょうで30年の節目である

 

 1991年8月11日。慰安婦が「強制連行された」というデマをまき散らされてから、今年で約30年がたった。

 

 

 いまも真相は闇に包まれている。死者数を当局は319人としているが、実際ははるかに多いとの見方が根強い

 

 なぜこのようなデマがまかり通ったのか、いまも真相は闇に包まれている。新聞社は挺身隊と慰安婦を結び付けたが、実態は嘘だという見方が根強い

 

 

 「動乱」「反革命暴乱」と当局は決めつけたが、学生らは対話要求など平和的な運動をしただけだ。遺族はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている

 

 日本による「強制連行」「性奴隷」と新聞社は決めつけたが、多くの日本国民は「売春婦」だと知っている。ある識者はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている

 

 

 共産党政権はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている

 

 新聞社はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている

 

 

 国内メディアは事件について何も伝えず、ネットでの検索もできない。関連する言葉をSNSで発信するのも難しい。少なからぬ若者らは事件自体を知らないという

 

 新聞社はアリバイ作りの調査もどきを行っただけで、あとは何も伝えず、英語版ではメタタグを入れて検索できないようにし、関連する記事を書かない。少なからぬ世界の人々はいまだに「性奴隷」と信じているという

 

 

 今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。天安門事件を歴史から消し去ってはならない

 

 今年は創立140年。新聞社はこの間、戦争遂行を煽り続け、戦後は一転反日記事を量産しながら、報道の自由を吹聴している。ならば、なぜ真実を隠すのか。売春婦を性奴隷などという歴史の偽造をしてはならない

 

 

 共産党政権はかねて強権発動の理由として「社会の安定」を挙げる。だが長期的な安定を望むなら、人々の不満や願いを抑えつけるのではなく、政治に生かす改革こそ必要だ

 

 新聞社はかねてデマ吹聴の理由として「報道の自由」を挙げる。だが長期的な信頼を望むなら、人々をデマで煽り、中韓に迎合するのではなく、国民に真実を知らしめることこそ必要だ

 

 

 この30年間、経済は発展し、国民の暮らしは豊かになった。だが、思想や言論をめぐる環境はどれほど変わったか

 

 この30年間、ネットメディアの台頭など、国民の情報の選択肢は豊かになった。だが、マスメディアの思想や言論をめぐる意識はどれほど変わったか

 

 

 ノーベル平和賞を受けた劉暁波(リウシアオポー)氏はおととし、政権転覆扇動の罪に問われたまま事実上の獄死を遂げた。人権派の弁護士らは長期拘束が相次ぐ

 

 政権交代をし、首相になった鳩山由紀夫は、最近、与野党からまったく相手にされず、政治的な死を迎えた。元民主党議員の長期低迷も相次ぐ

 

 

 「安定」の名で異論を封じる統治は、ネット時代になってさらに徹底している。あのとき学生らが渇望した民主化は今なお押しつぶされたままだ

 

 「報道の自由」の名で、異論を封じ、真実を隠す報道は、ネット時代になって、さらに徹底している。国民らが熱望した「慰安婦=売春婦」の真実は今なお押しつぶされたままだ

 

 

 どんな体制の国であれ、国民の命と自由を奪う正当性などありえない。軍事弾圧が「正しかった」と言い続ける限り、共産党政権に正義はない

 

 どんな報道であれ、国民の知る権利を奪う正当性などありえない。デマを「正しかった」と言い続ける限り、新聞社に正義はない

 

 

 事件は対外的な国の姿にも色濃く尾を引いている。中国が「通商の自由」「平和発展」などを語っても不信感が拭えないのは、人権や自由という基本的な価値の共有もできない国情を事件が思いださせるからだ

 

 事件は対外的な日本国のイメージにも色濃く尾を引いている。新聞社が「報道の自由」「国民の知る権利」などと語っても不信感が拭えないのは、「嘘を書かない」という基本的な価値観の共有もできない社情を長年の慰安婦報道が思い出させるからだ

 

 

 当時、西側主要国が対中制裁を続けたなかで、日本はいち早く経済支援の再開を表明した。孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した

 

 当時、国際社会はあまり反応しなかったなかで、河野はいち早く謝罪の表明をした。とにかく認めて謝罪しなければ、国際社会から孤立すると主張した

 

 

 その見通しは甘かった。だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ。あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本は果たしていきたい

 

 その見通しは甘かった。むしろ河野談話などを出したことで、国際社会でデマが拡散した。だが新聞社の真実を伝える意欲は今こそ発揮するべきだ。慰安婦報道の“真の”総括なくして、新聞社の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本国民は果たしていきたい







<参 考>

(社説)天安門30年 弾圧の歴史は消せない

 

 あの夜、いったいどれだけの血が流されたのだろうか。

 

 1989年6月4日。中国の民主化を求めた学生らが、人民解放軍の部隊によって殺された。天安門事件から、きょうで30年の節目である。

 

 いまも真相は闇に包まれている。死者数を当局は319人としているが、実際ははるかに多いとの見方が根強い。

 

 「動乱」「反革命暴乱」と当局は決めつけたが、学生らは対話要求など平和的な運動をしただけだ。遺族はそう訴え、再評価や名誉回復を求めている。

 

 共産党政権はこうした声に応えて真相解明を進め、公表すべきだ。ところが、現実にはその逆のことが行われている。

 

 国内メディアは事件について何も伝えず、ネットでの検索もできない。関連する言葉をSNSで発信するのも難しい。少なからぬ若者らは事件自体を知らないという。

 

 今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。天安門事件を歴史から消し去ってはならない。

 

 共産党政権はかねて強権発動の理由として「社会の安定」を挙げる。だが長期的な安定を望むなら、人々の不満や願いを抑えつけるのではなく、政治に生かす改革こそ必要だ。

 

 この30年間、経済は発展し、国民の暮らしは豊かになった。だが、思想や言論をめぐる環境はどれほど変わったか。

 

 ノーベル平和賞を受けた劉暁波(リウシアオポー)氏はおととし、政権転覆扇動の罪に問われたまま事実上の獄死を遂げた。人権派の弁護士らは長期拘束が相次ぐ。

 

 「安定」の名で異論を封じる統治は、ネット時代になってさらに徹底している。あのとき学生らが渇望した民主化は今なお押しつぶされたままだ。

 

 どんな体制の国であれ、国民の命と自由を奪う正当性などありえない。軍事弾圧が「正しかった」と言い続ける限り、共産党政権に正義はない。

 

 事件は対外的な国の姿にも色濃く尾を引いている。中国が「通商の自由」「平和発展」などを語っても不信感が拭えないのは、人権や自由という基本的な価値の共有もできない国情を事件が思いださせるからだ。

 

 当時、西側主要国が対中制裁を続けたなかで、日本はいち早く経済支援の再開を表明した。孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した。

 

 その見通しは甘かった。だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ。あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない。そう言い続ける責務を日本は果たしていきたい。



※引用元:2019年6月4日 朝日新聞社説
https://www.asahi.com/articles/DA3S14041928.html?iref=editorial_backnumber




日韓防衛相会談は岩屋大臣の失態だ!

 
 
日韓国防相会談!
岩屋大臣は勘違いしている。
岩屋大臣は日韓関係を破壊している。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 
 
 岩屋防衛大臣は韓国からを貰っている。
 
 
レーダー照射事件後初の…!
 昨今の日韓関係は特に悪化している。
その理由はたくさんある。昨年の「慰安婦の財団解散」「自衛艦の寄港阻止」「徴用工判決」「韓国国会議長の天皇陛下侮蔑発言」などが立て続けに起こっている。
 
その一つに韓国海軍による「自衛隊機へのレーダー照射事件」がある。
 
 


 昨年12月、日本海沖で韓国海軍の艦船が、上空通過中の自衛隊機へレーダー照射をした事件だ。
 
 この行為は敵対行為であり、一応友好国の軍隊に対して行うことではない。これによって日韓関係は、特に軍事関係は非常に悪化した。
 
 
 その韓国と日本が国防相会談をした。
 2019年6月1日の産経新聞によると、シンガポールで約40分間の会談をしたとのこと。

 
 
筆者は思った。
岩屋毅は韓国から金を貰っている!
 
 
 
どう考えてもおかしな対応だろう。
韓国は日本の自衛隊機に対して、攻撃の姿勢を示したのだ。それに対して韓国は謝罪するどころか、レーダー照射の事実を否定し、なおかつ日本の自衛隊機が低空飛行したと逆に日本を批判しているのだ。
 
 
こういう状況は全く改善していない
それであるのに韓国の国防相と笑顔で握手するとは、何を考えているのだろうか?
 
 
記事によると、「再発しないように、両国が緊密に連携することで一致した」とのこと。
「今後両国が緊密に協力し、こうしたことが再発しないよう(関係を)発展させていこう、という意見で一致した」
 
 
再発もくそも、相手は事実関係を認めていないだろう。それなのにどうして今後韓国側がレーダー照射しないといえるのか?
 
 
言える訳ないだろう()!
 
 
 
 
岩屋大臣はなぜ弱腰か?
 岩屋大臣はどうしてこんなに弱腰なんだろうか?
 筆者が見るに、岩屋大臣は冷戦思考が残っているようだ。
 
 冷戦思考
 つまり西側陣営と東側陣営に分かれて対立していた時代だ。現在でもそのような傾向はあるが、その後、対立概念は弱まっている。
 
 例えば、ウクライナは昔のソ連の一部だった。それ故に東側陣営に属する。しかし現在では東側の一部を除いて、西側への支持傾向が強い。
 ウクライナはむしろ現在のロシアと対立する状態である。
 
 このように時代の変化とともに、冷戦構造は壊れている。しかし日本の政治家の中にはその冷戦構造がそのまま残っている人がいる。
 
 
 その典型が岩屋大臣だ
 
 彼の冷戦思考から、
韓国とは仲良くしなければならない
 という固定観念がある。
 
 それは対北朝鮮からそう考えるのだ。
 
 
 北朝鮮と対峙するためには韓国と協力するべきだ。そのためにはこういうことで日韓関係を悪化させたままにする訳にはいかない。
 だからこの辺で妥協しよう
 
 
 このように考えて、関係改善を模索していた。事実、岩屋大臣は以前から韓国との関係改善を求めていた。
 

岩屋毅防衛相が18日、韓国について「元の関係に戻したい」と述べて関係改善に意欲を示した。
2019年5月20日 中央日報
 
このように妥協する気満々だった。
 
それ以外にも筆者が何度も書いている。日本人特有の韓国人への贖罪意識があるだろう。戦後の日本では戦前の日本は「悪いことをやった」という自虐教育を受けており、それ故に過剰な贖罪意識を持つ人が多い。
 
だからこと韓国に関しては迎合しやすい心理になっている。
 
 岩屋大臣は1957年生まれ。戦後のそういう風潮にドップリつかって育ってきた。それ故に韓国の悪さ(レーダー照射)に対しても、非難することができないのだ。
 
 
 
 
 
岩屋大臣の大罪!
 岩屋大臣は考え違いしている。このような行動が日韓関係の協力を難しくしていることを。
 そして日韓関係を離反させているのは岩屋大臣なのだ。
 
 岩屋大臣は関係改善を進めることは日本の国益に資すると考えるだろう。しかしそうではないのだ。岩屋大臣は日韓関係を悪化させているのだ。
 
 
 どういうことか?
 
 日韓関係を悪化させているのは韓国の反日だ。韓国が反日行為をすることが、日韓関係を悪化させているのだ。
 韓国が反日をし、それに日本が反発して嫌韓が助長される。それ故に嫌韓意識が拡大しているのだ。
 
 「レーダー照射事件」「慰安婦財団の解散」「徴用工判決」「韓国国会議長の天皇陛下侮蔑発言」どれをとっても韓国が行った反日行為だ。それに日本側が反発して、日韓関係が悪化している。
 
 
 だから韓国が反日をしなければ、関係は悪化しない。
 
 
反日が先にありきで、嫌韓はその反発にすぎない。岩屋大臣にはそれがわかっていない。つまり韓国が反日をやめれば、関係は改善するのだ。
 
では韓国が反日をやめるには、どうすれば良いのか?
 

 それは韓国の反日にペナルティをえることだ。
 反日行為に報酬を与えない。有耶無耶にせず、とことん追求する。
 
それこそが韓国の反日を抑制することにつながる。
 
 
 先の対北朝鮮の連携を考えても、日本より韓国の方が問題なのだ。日本をいきなり攻撃するよりも、韓国を攻撃する可能性の方が遥かに高い。
 つまり日韓軍事連携をしなければ、困るのは韓国なのだ。
 
 それなのに岩屋大臣は迎合して、韓国の反日行為(レーダ照射)を不問に付してしまった。これは大いなる汚点となるだろう。
 
 
 岩屋大臣のやったことは、反日行為(レーダー照射)に対する韓国への報酬である。韓国が反日をしても不問に付すというこれまでの行動と同じだ。
 
 
 韓国の反日行為を不問に付すことで、日本国民の不満が溜まり、より嫌韓意識が強まっていくだろう。
 
 
 今回の岩屋大臣の行動は、日韓両国民の意識を離反させたということを認識してもらいたい。
 
 
  
 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 
 
 
 
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