◎「反日」とは何か?
◎日本を否定することが反日ではない。
◎問題なのは愛国心だ!
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
「韓国人は反日である」 では反日って何?
◎韓国人は反日か?
「韓国人って反日だよな!」
よく聞く言葉である。実は筆者もそう考えている。
韓国人は反日であり、反日教育を受けており、それ故に反日行動を繰り返している。
しかしその際に気を付けなければならない。
それは「反日とは何であるか?」という定義である。
そんなことどうでもイイだろ?
という声が聞こえてきそうだが、大切なことである。そうでなければ何でもかんでも日本を批判する言説が全て「反日」とレッテルを貼られてしまう。日本のための建設的な批判は日本のための有益な意見だ。これらも「反日」として捨て去ることは望ましいことではない。
では…反日って何だろう?
◎日本の否定!
韓国人ではないが、日本人でも反日の人は多い。その人たちに「反日だ」というと、大体こういう反論をする。
「反日ではない。日本のために言ったのだ!」
こう言われた時に反論はできますか?
確かに反日とは、日本を否定する言説を含むことは多い。それ故に日本を攻撃する言動に対して「反日」というレッテルを貼りつける傾向がある。
しかし実際に日本を否定するから反日とは限らない。「日本を批判する」「日本を否定する」言説を弄する本人がどういう意図かは知らないが、日本のために良かれと思って苦言を呈することはよくある。
個人的にも経験はあるだろうが、親や学校の先生や職場の上司に苦言を呈されるケースも多々ある。それらは確かに悪意に基づく「単なる悪口」もある。
しかし親や先生や上司などは、ほとんどの場合、本人のために良かれと思って批判をしている。
その批判が的外れであるか否かは別として、本人のために良かれと思っている苦言に関しては真摯に傾聴すべきだ。それさえも切り捨てるのはおかしいだろう。
これら「単なる悪口」と「本人のための苦言」とは分けて考えなければならない。
この両者は形としては同じように見える。全然知らない第3者が見ると区別はつかないだろう。事実、子供や生徒を怒っている親や教師を見ると、それが激しい叱責の場合、虐待か、それとも教育的措置かは区別できない。
しかし継続してみていると、両者の違いは見えてくる。
その区分は愛情の有無である。
◎相手に対する愛情はあるのか?
相手に対する否定や批判をすることは、相手が間違っている時である。
その相手が間違えており、また間違えそうな時に、相手に対して苦言を呈することで正しい道に戻してやろうとし、
「それじゃーダメだろ!」というのだ。
高校生のスポーツ選手である程度才能があり、練習しなくてもできてしまう選手がいる。その選手はそれ故に天狗になっている。
この子は努力すればもっと伸びる
そう思えば厳しく叱ることはあるだろう。
頭が良くて、面倒見の良い生徒がいる。彼はそのためクラス委員にもなって、クラスの代表として仕事をしている。
しかし彼らには少々欠点があった。それは自分に自信があり、間違いを認めず、人のせいにばかりすることだ。
彼は頭が良いし、クラスのために積極的に奉仕活動もする。それ故にクラス委員もやっているのだが、うまくいかないと人のせいにする性格が、一部の生徒から反発を喰らっている。
もう少し謙虚になれば、人にも好かれるのに
そう思えば、苦言も呈することもあるだろう。
このように批判する相手に欠点があり、それを正しい道に戻してやろうと思っている場合、その批判は「反○○」ではない。
その判断基準は、愛情の有無である。
批判する相手に対して、愛情があれば、そしてこれまでより良くなるように善導してやろうと思えば、苦言を呈することもある。
これを「反日云々」に当てはめると、日本への愛情の有無となる。日本に対して愛情があれば、反日ではなく「日本のために良かれと思った苦言」であり、「建設的な批判」となる。
日本に対する愛情。つまり愛国心があれば、日本に対する苦言も反日とはならず、むしろ愛国心の発露と見做されるだろう。
◎戦後日本の価値観(戦前の否定)!
ところで「愛国心」というと、日本では警戒される向きがある。
愛国心=戦前の美化、もしくは愛国心=右翼などと考え、戦後の日本では否定されるべき価値観と考えられてきた。
戦後の日本は、「戦前の否定が正しい」という考えがある。戦前を否定し、その反省の下に成立した戦後社会を肯定する傾向がある。
つまり「戦前=悪」、「戦後=善」という考えだ。
この「戦前=悪」「戦後=善」もこのままだと誤解を招く。一方的に「戦後=善」ではない。「戦前=悪」は一方的な、そして絶対的な価値観だが、「戦後=善」とは絶対的な価値観ではない。
「(戦前を否定した)戦後=善」なのだ。
戦後でも色々な考えがあった。それ故に戦前を肯定する意見もある。しかしそういう意見とは「歴史修正主義」であり、「戦前回帰」であり、「復古思想」であり、なおかつ「軍国主義者」となる。
決して戦前の全てを肯定しているだけでなく、一部肯定するだけでもダメなのだ。「日本は良いこともやった」と言えば、袋叩きになり、政治家なら厳しい批判を受ける。
例えば1995年に当時の総務庁長官だった江藤隆美氏は、日本が悪いことをやったと認めつつ、「日本の朝鮮統治は良いこともやった」と述べたことを理由に辞任を余儀なくされている。
つまり戦前を肯定する意見には厳しく批判されるが、戦前を否定した戦後の価値観は「絶対的な善」となる。
それ故に政権批判する時には「戦前の復活」というレッテルを貼り付けることが有効となる。
その文脈から「愛国心」は否定の対象となる。
戦前の日本(それも一時期だが)では「愛国心」が強調されていた。そうでなければ「非国民」と言われ、厳しい批判に晒された。自分を殺して、公のために、天皇陛下のために尽くす、これが正しい生き方だった。
戦前の考えを否定する、戦後の価値観から言うと、「愛国心」とは否定されるべき対象となるのだ。
しかし愛国心とは否定されるべき対象ではない。国を愛するという当たり目の考えだ。自身の国を愛するというのは当たり前であり、それ自体を否定する必要はない。
これは自身の子供に対する愛情と同じだ。
子供が悪さをした場合、厳しく叱責することもあるだろう。しかしそれは子供を憎んでいるからではなく、愛しているからだ。
愛するが故に厳しく叱るのだ。
そして子供を愛するというのは自然な考えだ。別に「愛するか否か」という命題は存在しない。愛するのが自然なのだ。
それと同様に、「国を愛する」というのは自然な感情だ。そう考えるべきである。それなら愛国心を持つことは、議論をする対象ではない。
国を愛することは自然なことである。故に日本に否定的な言説を弄する人でも国を愛しているのなら、それは「反日ではない」ということになる。逆に国を愛せず、悪口を言うことを目的としているのなら、それは「反日だ」と言えるだろう。
◎反日とは何か?
つまり日本という国を愛しているかどうかで、反日か否かが決まる。そこにあるのは「日本を否定する」「日本を批判する」という内容ではない。
それでは「反日」を定義するとどうなるだろうか?
ここで筆者が使っている反日の定義を提示すると以下の通りだ。
反日とは、ことさら日本の悪口を言い、
日本の不幸を喜ぶ態度・言動・傾向
キーワードは「ことさら」である。
「ことさら」とは「わざわざ」とか「格別に」とかいう意味がある。つまりあえてやる必要がないのに「悪口を言ったり」「日本の失敗を喜んだり」すること。そういう「態度」や「言動(行動)」やそのような傾向のことを反日というのだ。
日本の悪口を言うだけでは「反日ではない」。必要ないのに、またほかにも解釈ができるのに、あえて「悪いように解釈する」ことだ。
単なる売春婦を「性奴隷」という。本人の意思で出稼ぎに来ているのに「強制連行」という。日本式に名前を替えたいと自ら要求しながら、「無理やり替えさせられた」と主張する。
こういうことを反日というのだ。
また「悪口を言う」とは、日本の肯定的側面を「言わない」という意味もある。つまり大金を貰っていた戦場の売春婦のケースをほとんど(もしくは全く)触れない場合などそれにあたる。
このように物事を両面から捉えられるのに、あえて悪いことばかり強調するのを反日というのだ。
こういうことを書くと「良いことだけを書けというのか?」という批判が起きることがある。しかしそうは言ってない。むしろ悪いことばかり言っているのが、現状ではないのか?
良いことばかり書く必要はなく、また悪いことばかり書く必要はない。両方書けばいいのだ。もちろん一人に人間としてはスタンスがあるだろう。それ故に一人、もしくは一番組で、全て公平中立に書く必要はない。
しかし反日的な言説ばかりが流通するのなら問題だ。そういう傾向(態度・言動・傾向)を反日という。
◎愛情の有無の見分け方!
先に書いたように、「単なる悪口」と「本人のための苦言」とは同じような形を示す。それ故にパッと見は分からない。
それではどうやって愛情の有無を見分ければいいのか?
それが先程書いた「ことさら」だ。
「わざわざ」や「格別に」「あえて」といった意味だが、このことにより、愛情があるかどうかが判別できる。
つまりどんな時でも「日本が悪い」という観点からしか判断しない、行動しないというのは日本に対する愛情(愛国心)がないのだ。
子供が万引きをしたのなら、その子供をしっかり怒るべきだ。そして店の人には真摯に謝るべきだ。しかしそれが冤罪であり、子供は何も悪くなく、むしろ店の人が子供を犯人扱いしているのなら、親としては店と戦うべきだ。
子供を愛しているならそうすべきだ。
そういう意味では韓国軍艦の日本の自衛隊機に対するレーダー照射事件(2018年12月)などは韓国の行った反日行為であるし、日本への攻撃行動だ。
これに抗議をしない日本の政党があれば、
それは「反日」と言えるだろう。
問題なのは日本に対する愛国心。それを何事が起きても「ことさら」日本を否定する言説を振り回す輩は、反日と言われても仕方がないだろう。
※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?