◎お花畑だった私
◎目覚めるキッカケは慰安婦問題
◎決定的だった新聞記事を提供したい
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私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
全てです。
その情報を提供します。
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または@exq6901kで検索してください。
なぜ日本人は謝り続けなければならないのか?
その理由を説明します。
◎このブログを書くキッカケ!
このブログを書き始めて、3年以上たちました。
この前見たら400記事ほど書いています。
最近は週1ペースなので、3年で400記事はあまり多くないのですが、
当初はほぼ毎日書いていました。
当初はほぼ毎日書いていました。
このブログを書くことを決めたのは2015年6月。
ちょうど日韓国交正常化50周年ですが、正常化後最悪という状態でした。
ちょうど日韓国交正常化50周年ですが、正常化後最悪という状態でした。
その際に言われたのが、日本が真摯に謝罪しなければ…ということです。
それは違うだろう!
と思ったのがキッカケです。
筆者はそれまでに、
・韓国の反日とは差別であること
・日韓関係の悪化は韓国の反日が原因であること
・反日の理由は、韓国人が面白いからということ
・そして韓国の反日=差別に迎合する日本人が、悪化を煽っていること
このように考えておりました。
その内容は全て、
「韓国の反日は差別である」というものです
ところでどうして筆者がこのような考えになったのかというと、
そのキッカケとは慰安婦問題でした。
◎慰安婦問題の衝撃!
実は昔の筆者は、お花畑でした。
筆者は50になるオッサンですが、それでも学生時代がありました。
昔はほとんどそうですが、基本的に自虐的な教育がされておりました。
その内容はそれほど激しくは無かったのですが、結論は決まっていました。
「日本が悪い」
それが暗黙の了解であり、そう言えば無難に過ごすことができたのす。
逆に(特に戦前の)日本を肯定する意見を言う人は
極右!
と言われるような雰囲気がありました。
当時、よく読んだのが、朝日新聞のエース記者、本多勝一氏です。
あの朝日新聞の中でもエースと言われた人なので、当時の筆者が
どれだけ偏っていたかわかるでしょう。
どれだけ偏っていたかわかるでしょう。
因みに本多氏は朝日新聞退社後、左翼系ミニコミ誌「週刊金曜日」を創刊しており、
現在も編集委員をやっています。
現在も編集委員をやっています。
そのような自分が現在のように変わるキッカケが、慰安婦問題でした。
現在でも脈々と続く慰安婦問題は、今では女性の人権問題となっていますが、当時は「強制連行」の問題でした。
その根拠とは吉田証言です。
実は当時の私は強制連行と聞いて「当たり前じゃん」と思っていました。それは「強制連行をやっても良い」という意味ではなく、悪逆非道な日本軍なら「そのくらいやっているだろう」という認識でした。
だから当たり前だと思ったのです。
慰安婦問題は1991年に日韓間で問題になったのですが、一般に広く知られるようになったのは討論番組に登場した1996年くらいからです。
当時はその手の番組をよく見ていました(今は番組をほとんど見ない)
その時は慰安婦の強制連行肯定派として番組を見ていたのですが、何度見ても“強制連行の証拠”が出てきません。
それで逆に不安になってきました。
なんで強制連行の証拠が無いんだ?
そこで疑問が湧いたのです。
◎お花畑から目覚めるまで!
その後は、いろいろな本を読みました。肯定派の本を読み、否定派の本を読み、色々な角度から検証しました。もちろん慰安婦だけではなく、韓国関係のことは多く調べました。
その中で韓国の反日は差別であるという、結論に達したのです。
ただし少し困ったことがありました。それは何かというと、
筆者は今でもそうですが、読書は趣味なので、本を読むことには苦になりません。しかし困るのはその結論がまちまちなのです。
例えば、戦前の日本を肯定的に捉える著者は「よかった」と書くし、その逆も然りです。つまり著者の立場によって、同じことでも結論が180度変わってくるのです。
どっちを信じればいいんだ?
その時にある記事が目に入りました。
実は筆者は新聞を読むのも好きで、古い新聞の縮刷版などを読んでいました。その時には目的もなく、ただ眺めていただけでした。
その際にこういう記事がありました。1954年12月4日の朝日新聞に載った日韓記者の対談です。そこにこのような一節がありました。
たとえば街の店に入る。日本人ということがわかると主人が「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で温かい空気を感じるが
この中で日本人記者が韓国の店に入ると、韓国人が温かく迎えてくれると書いてある。これを読んだ時には大いなる違和感がありました。
なんで温かく迎えているんだ?
※この記事についてはこちらをご覧ください。
この時に筆者の中で何かが弾けました。
後年に書いた著書ではなく、新聞記事を読み込むべきではないか?
もちろん新聞記事にも、記者や新聞社の立場が反映されるだろう。しかしそれはあくまで当時の立場にすぎない。例えば数十年後の現在の立場は反映されていない。
だから当時の記事を読めば、日本統治時代の韓国人の行動や考えが、間接的にでも分かるのではないか?
そう考えて、1950年代から80年代までの韓国関係の記事を全て読もうと思ったのです。そしてそれを実行しました。
その結果、日本統治時代の韓国人は日本を恨んでおらず、
むしろ日本人に親近感を持っていたことがわかりました。
むしろ日本人に親近感を持っていたことがわかりました。
その一つが上記の記事です。
そう確信が持てれば、あとは怖いものなしです。
「日本の統治は良かった」と自信を持って言えます。
事実、併合時代を知っている50年代の韓国人が、日本を恨んでいなかった。今の韓国人が反日なのは、反日教育を受けているからです。だから日本時代を知らなくても、後天的に「反日を教えられていた」のです。
もし本当に日本時代が悪ければ、50年代の韓国人が、日本人を温かく迎える訳がない。
私は当時の記事を読むことで、お花畑からキッパリと断ち切ることができました。
そして「こういうことは一般には知られていない」と思いました。
そして「こういうことは一般には知られていない」と思いました。
だからこのブログを書いて、
皆さんに知らせようと思いました。
今後もそのような情報を提供していきたいと思います。
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
全てです。
その情報を提供します。
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