お花畑だった私
目覚めるキッカケは慰安婦問題
決定的だった新聞記事を提供したい
 ――――――――――――――――――――――――――――――――
  
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
全てです
その情報を提供します。
よろしければLine@に登録してください。
または@exq6901kで検索してください。
   
 


なぜ日本人は謝り続けなければならないのか?
その理由を説明します。



 
このブログを書くキッカケ!
 
このブログを書き始めて、3年以上たちました。
この前見たら400記事ほど書いています。
 
最近は週1ペースなので、3年で400記事はあまり多くないのですが、
当初はほぼ毎日書いていました。
  
このブログを書くことを決めたのは2015年6月。
ちょうど日韓国交正常化50周年ですが、
正常化後最悪という状態でした。
 
その際に言われたのが、日本が真摯に謝罪しなければ…ということです。
 
 
 それはうだろう!
と思ったのがキッカケです。
 
 
 筆者はそれまでに、
 ・韓国の反日とは差別であること
 ・日韓関係の悪化は韓国の反日が原因であること
 ・反日の理由は、韓国人が面白いからということ
 ・そして韓国の反日=差別に迎合する日本人が、悪化を煽っていること
 
 このように考えておりました。
 
 その旨伝えるために、ブログを書き、ツイッターで拡散することをしてきました。
そして今年からはYOUTUBEで動画も発信しています。
  
 その内容は全て、
「韓国の反日は差別である」というものです
  
 ところでどうして筆者がこのような考えになったのかというと、
そのキッカケとは慰安婦問題でした。
  
 
 
 
慰安婦問題の衝撃!
 
 実は昔の筆者は、お花畑でした。
 筆者は50になるオッサンですが、それでも学生時代がありました。
  

 昔はほとんどそうですが、基本的に自虐的な教育がされておりました。

 その内容はそれほど激しくは無かったのですが、結論は決まっていました。

 

「日本が悪い」

 

 それが暗黙の了解であり、そう言えば無難に過ごすことができたのす。

逆に(特に戦前の)日本を肯定する意見を言う人は

 

 極右!


 と言われるような雰囲気がありました。





 当時、よく読んだのが、朝日新聞のエース記者、本多勝一氏です。
 
 あの朝日新聞の中でもエースと言われた人なので、当時の筆者が
どれだけ偏っていたかわかるでしょう。
 因みに本多氏は朝日新聞退社後、左翼系ミニコミ誌「週刊金曜日」を創刊しており、
現在も編集委員をやっています。
 
 
 そのような自分が現在のように変わるキッカケが、慰安婦問題でした。
現在でも脈々と続く慰安婦問題は、今では女性の人権問題となっていますが、当時は「強制連行」の問題でした。
 
 その根拠とは吉田証言です。
 
 実は当時の私は強制連行と聞いて「当たり前じゃん」と思っていました。それは「強制連行をやっても良い」という意味ではなく、悪逆非道な日本軍なら「そのくらいやっているだろう」という認識でした。
 だから当たり前だと思ったのです。
 
 
 慰安婦問題は1991年に日韓間で問題になったのですが、一般に広く知られるようになったのは討論番組に登場した1996年くらいからです。
 
 当時はその手の番組をよく見ていました(今は番組をほとんど見ない)
 
 
 その時は慰安婦の強制連行肯定派として番組を見ていたのですが、何度見ても“強制連行の証拠”が出てきません。
 
 それで逆に不安になってきました。
 なんで強制連行の証拠が無いんだ?
 
 そこで疑問が湧いたのです。
 
 
 
 
 
お花畑から目覚めるまで!
 
 その後は、いろいろな本を読みました。肯定派の本を読み、否定派の本を読み、色々な角度から検証しました。もちろん慰安婦だけではなく、韓国関係のことは多く調べました。
 
 その中で韓国の反日は差別であるという、結論に達したのです。
 
ただし少し困ったことがありました。それは何かというと、
筆者は今でもそうですが、読書は趣味なので、本を読むことには苦になりません。しかし困るのはその結論がまちまちなのです。
 
 
例えば、戦前の日本を肯定的に捉える著者は「よかった」と書くし、その逆も然りです。つまり著者の立場によって、同じことでも結論が180度変わってくるのです。
 
どっちをじればいいんだ?
 
その時にある記事が目に入りました。
実は筆者は新聞を読むのも好きで、古い新聞の縮刷版などを読んでいました。その時には目的もなく、ただ眺めていただけでした。
 
その際にこういう記事がありました。1954年12月4日の朝日新聞に載った日韓記者の対談です。そこにこのような一節がありました。
 
たとえば街の店に入る。日本人ということがわかると主人が「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で温かい空気を感じるが
 
 
 この中で日本人記者が韓国の店に入ると、韓国人が温かく迎えてくれと書いてある。これを読んだ時には大いなる違和感がありました。
 
 なんで温かく迎えているんだ?
 ※この記事についてはこちらをご覧ください。

 
 この時に筆者の中で何かが弾けました。
 後年に書いた著書ではなく、新聞記事を読み込むべきではないか?
 
 もちろん新聞記事にも、記者や新聞社の立場が反映されるだろう。しかしそれはあくまで当時の立場にすぎない。例えば数十年後の現在の立場は反映されていない。
 
 だから当時の記事を読めば、日本統治時代の韓国人の行動や考えが、間接的にでも分かるのではないか?
 
 
 そう考えて、1950年代から80年代までの韓国関係の記事を全て読もうと思ったのです。そしてそれを実行しました。
 
 
 その結果、日本統治時代の韓国人は日本を恨んでおらず
むしろ日本人に親近感を持っていたことがわかりました。
 
 その一つが上記の記事です。
 
 
 そう確信が持てれば、あとは怖いものなしです。
 「日本の統治は良かった」と自信を持って言えます。
 
 事実、併合時代を知っている50年代の韓国人が、日本を恨んでいなかった。今の韓国人が反日なのは、反日教育を受けているからです。だから日本時代を知らなくても、後天的に「反日を教えられていた」のです。
 
 もし本当に日本時代が悪ければ、50年代の韓国人が、日本人を温かく迎える訳がない。
 
 
 私は当時の記事を読むことで、お花畑からキッパリと断ち切ることができました。
そして「こういうことは一般には知られていない」と思いました。
 
 

だからこのブログを書いて、
皆さんに知らせようと思いました。

 
 今後もそのような情報を提供していきたいと思います。
 

私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
全てです
その情報を提供します。
よろしければLine@に登録してください。
または@exq6901kで検索してください。