内田樹氏の「嫌韓の構造」

その一面的見解に脱力する

「日本が悪い」という怠惰な風潮を危惧する

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筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 内田樹の一面的な見解

 

 

「嫌韓」批判の傾向    
                 

 内田樹という人物がいる。

 
 

 神戸女学院大学名誉教授で、翻訳家、思想家であり、武道家でもある多彩な人である。

 かなり著名な人であり、世間ではリベラルだと捉えられているが、
自身は保守であると述べている

 

 ――ところで、先生はリベラル派文化人と見られていますが?

  内田 僕は保守ですよ。武道やって、能楽やって、滝行して、禊ぎ祓いやって、
毎朝祝詞を唱えている天皇主義者がどうして「左翼」なんですか?

 

 

 このように内田氏自身は「保守」を自任している。その一方で安倍政権のことは大嫌いだ。
選挙で選ばれた安倍政権を「独裁」と決めつけて罵倒している

 

 

 

 同じ文脈かどうかわからないが、内田氏は現在、世間を賑わしている「嫌韓」が嫌いだ。
そしてそれに対する批判的な論陣を張っている。

 例えば「韓国なんかいらない」と書いた週刊ポストには怒りを露わにしているし、「日韓関係論」なるアンソロジー企画を請け負って、韓国との関係改善を模索したりしている。

 

 

 まあ現在の日本を覆っている「嫌韓の風潮」に反対するのは構わないし、
それを分析して解決策を模索するのも良いだろう。しかしそれには前提がある。

 できる限り、虚心に物事を見ることだ

 

 自分の望む結論を出すために、もしくは自身の不満の捌け口のために、
現在の嫌韓の風潮を捻じ曲げて解釈してはならない。

 日本国内に嫌韓的風潮があるのは事実だが、
事実より自分の願望を優先させてはならないのだ。

 

 

 そういう前提で見ると、内田氏がブログで書いた「嫌韓の構造」は、
とても虚心坦懐に物事を見ているように思えない

 そして嫌韓を批判する多くの識者?との共通点があるように思う。
その共通点とは自分の都合の良い前提で物事を見ているということだ。

 

 

 そこで内田氏の主張を俎上に置いて、嫌韓批判する人の問題点を指摘してみたい。

 

 

 

 

 

嫌韓の構造

 まず2019年10月13日の内田氏のブログに掲載された記事
「嫌韓の構造」を取り上げる。
これは内田氏が雑誌「潮」に掲載したのを再掲したものだ。

 内田氏はこの記事の後半部分を掲載した。
そのため今回の批判も雑誌掲載の後半部分のみを対象に行う。

 

 

 「嫌韓の構造」に書かれた内容を箇条書きにすると、 

 ・昨今の嫌韓の風潮に便乗した記事や番組が多く作られている。

 ・それらは覚悟して作られてない。なぜなら批判されるとすぐに撤回するから。

 ・彼らは金のためにやっている。

 ・もう一つの理由は誰かを傷つけたいという「本源的な攻撃性」のため

 ・現在の風潮ならそれが許されるから軽い気持ちでやっている。

 ・そういう風潮が普通の人を犯罪に走らせ、恐ろしい結果を生む。

 ・そして(嫌韓)ブームが去ると、彼らは韓国を忘れ日常に戻る。

 

 このような内容だ。

 内田氏はこういった無責任な風潮は攻撃をする「大義名分」と
「処罰されない」という心理が一定の人を動かすことを「怖い」と言っている。

 詳しくは内田氏のブログをご覧ください

 

 

 筆者はこの文章を読んだ時にある既視感が襲った。
それは「またか?」という感覚だ。その既視感とは何だろうか?

 

 

 

 

 

内田氏の意見で共感できるところ!

 内田氏の意見には共感できる部分もある。
それは「覚悟を持ってやっていない」という部分だ。

 内田氏もあげている新潮45のケースはまさにそうだ。
嫌韓報道自体は問題がないが、それを批判されたらすぐに撤回する。
それどころか雑誌自体を廃刊にしてしまう。

 

 これはメディアの風上にも置けないだろう

 

 もちろん彼らも商売でやっているのだろう。それ故に売れるから
やっている面も否めない。しかしメディアはそれだけではダメだろう。

 仮にも「報道の自由」を標榜しているのなら、
報道する価値があることを報道すべきだ。
そして価値があると思えば、異論があっても断固報道すべきだ。

 

 しかし昨今のメディアはその覚悟がない。
これは内田氏が記事内で主張している通りだ。
そしてコメンテーターの中には覚悟を持って
発言している人がいるのだろうが、番組の責任者にはそういう人物が少ない。

 

 

 それなら嫌韓報道がヘイトと間違えられても、言い訳できないだろう。
視聴率がとれるから、部数が捌けるから嫌韓を訴えているだけで、

 

それ以外には一切の理由はない

突き詰めればそう言っているように感じる。

 

 

 

 

 

内田氏の意見に疑問な部分

 内田氏は嫌韓記事を垂れ流すメディアに苦言を呈しながら、
彼らは書きたくて書いているのではなく、それが売れるから書いているという。

 

そして以前自分を担当していた若い女性編集者が
「おじさん週刊誌」に移ったことに言及して彼女に
「大変でしょう」と語りかけると、件の編集者は「簡単です」と答える。

 

その理由は「テンプレートがあって、それに沿って埋めるだけ」で、
おじさん向けの記事が書けるそうである。

 

 そして内田氏は嫌韓記事も「テンプレート」に沿って書かれており、
そこには書き手の思いは何もない。
そしてそれを読むのは読解力が低い「誤読する読者」なので、
“「文責を負う人間」なんかどこにもいな”いのだ、と述べる。

 

 

 

 筆者は嫌韓記事が「テンプレートに沿って」書かれているかどうか知らないし、
それほど多くの嫌韓記事を読んでいる訳でもない(大体、嫌韓記事の定義がわからない)。

 しかしここには大きな誤解(内田氏の言葉によると「誤読」)がある。

 

 

 それは読み手が誤読している訳ではないということだ。

 

 

書き手がテンプレートで書いている(筆者は知らないが)のなら、
内田氏が言うように厳密には「文責を負う人間」はいないだろう。
しかしそれは書き手の問題であり、必ずしも読み手の問題ではない。

 

 

内田氏には読者をバカにする癖があるのか?
それとも嫌韓の読者を見下しているのかわからないが、
当然読者には誤読があるだろう。

 

しかしそれは嫌韓記事の読者だけではない

内田氏の読者でも普通に誤読をするし、的外れな思い込みをするだろう。
それ故に変な反応があるのと同時に、
誤読による好意的な反応もあるだろう。

 

それを嫌韓報道に対して“のみ”そういう指摘をするのは、
僭越の誹りを免れないだろう。そして内田氏がこういう的外れな思い込みをするのは、
嫌韓記事の読者に対する偏見があるのではないか?

 

 

そして全てとは言わないが、多くの嫌韓記事を読んでいる読者は
新鮮さを感じているのだと思う。

 

これまで一方的な「韓国擁護記事」ばかり見せられていた読者からは、
韓国を批判する内容というのは新しい感覚なのだろう。
それ故に多くの耳目を惹きつけているのだ。

 

今では信じがたいことだが、
終戦直後には雑誌「世界」の購入のために、徹夜で行列ができていた。

これは終戦直後の環境激変により、新たな考えを求めており、
そのため深刻な活字への飢えが起きていたからだ。

 

これまでの軍国主義礼賛の考えから、軍国主義否定へと急旋回した世の中。
その隙間を埋めるために、人々は新たな考えに飛びついたのだ。

 

 

これまでの報道が韓国擁護の考えで一貫しており、
それ以外の報道がほとんどされなかった。だから新たな嫌韓記事に人々は惹きつけられるのだ。

 

 

例えば2002年WCの頃、韓国礼賛報道しかしなかったのがメディアだったのだ。
その際には内田氏のような人物はそれに苦言を呈するどころか、
推奨していたのではないか?  

もちろん筆者はそれを確認していないが、
当時の雰囲気はまさに韓国批判を許さない状況で、
戦中も斯くの如きという雰囲気だった。

 

そういうメディアがゴリ押しで作った風潮に、
異議申立てしているのが現在の嫌韓世論なのだ。

 

 

韓国礼賛報道には一言も苦言を呈せず、嫌韓報道にはヒステリックに反発する。
こういう姿勢こそが世論の反発を受けていることに、内田氏は早く気付くべきだろう

 

 

 

 

 

既視感の正体

 先程、内田氏の言説を読んだ時に既視感に襲われたと述べた。

では既視感とは何だろう

 

それは日本側の責任ばかりを問う風潮だ

 

 日韓関係に問題があるのはその通りなのであり、
その原因を探ることは当たり前だろう。その場合、日本側および韓国側の問題が
検討されなければならない。

そして日本側に問題があれば、それを問うのは間違っていない。
だが韓国側の問題も問うべきではないか?

 

 

しかし内田氏のような考えの方は「日本の責任ばかり」問うのだ。

 

韓国側に問題がある場合でも、それを問わず、
日本側だけ問うて自分の中で完結している。
もし韓国側を問う場合でも「アリバイ的に少し触れる」だけでお茶を濁している。

 

戦後にはこういう風潮があったのではないか?

 

 

日本が悪い!

 

こう言っていれば、何でも良かった。
そういう時代を過ごしてきたのが内田氏のような人たちだ。
そういう人たちにとって、「韓国が悪い」ということは非常な違和感がある。
なぜならそれは
日本擁護」につながるからだ

 

 

「日本が悪い」という時の「日本」とは戦前の軍国主義の日本だ。
それが絶対的に悪いというのが、終戦後の知識人(内田氏も含まれる)の共通認識だ。

 

そしてそのためには韓国のような国は「被害国」なのだ。
その韓国を批判することは、「加害国・日本」としてはできない。

そういう思考が完成した人には、韓国批判は大罪と感じるのかもしれない。

 

 

内田氏の嫌韓批判が一面的であり、なおかつ既視感に襲われるのは、
戦後の知識人の「日本が悪い」とさえ言っておけば良いという
怠惰な側面を見なれているからかもしれない。

 

それこそ反日テンプレートで書かれた文章を見せられるように。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?