世界的に蔓延する新型肺炎!

その中でメディアの役割とは何か?

メディアの役割は権力批判ではない

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筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 権力批判がデマを引き起こすことも…!

 

 

感染症の世界的流行!

 最近の世界的ニュースと言えば、何と言っても新型肺炎のニュースだ。

 新型肺炎は中国の湖北省武漢で発生し、その後、世界的に蔓延して
猛威を振るっている。

 

 中国が発生源であり、当初は感染者数および死者数とも
中国が他国を圧倒していたが、現在では中国より多くの被害が出ている国がある。

 

 例えばイタリアは1万人を超える死者が出ており(中国は約3300人)、
アメリカでは感染者数が12万人を超える(中国は約8万人)。

 いずれも3月30日現在

 

 特に欧米諸国は初期の対応が失敗しており、それにより感染拡大が防げなかった。
最近では1日に千人を超える死者が出ている国もある。

 参考までに欧米各国の死者数(3月29日現在)をあげておくと

 イタリア:10,023人

 スペイン:5,820人

 フランス:2,314人

 アメリカ:1,997人

 イギリス:1,019人

 オランダ:  639人

 ドイツ :  433人

 ベルギー:  353人

 

(参考)

 中 国 :3,295人

 イラン :2,517人

 

となっている。

 

これらはここ2週間くらいで急速に広まっている。

例えばイタリアの場合死者数は

3月 1日:34人

   8日:366人(332人増)

  15日:1,809人(1,443人増)

  22日:5,476人(3,667人増)

  29日:10,023人(4,547人増)

 

となっており、加速度的に被害が広がっているのがわかる。

 

 

 これは正に世界的危機であり、東京オリンピックも1年の延期が決まった。
これまでオリンピックが予定通り行われないのは、戦争の時だけであり、
そういう意味では非常事態と言える。

各国政府やWHO(世界保健機関)は協力し合い感染を抑え込まなければならない。

 

 

 そして各国国民がパニックにならないように、
各メディアは正しい情報を提供しなければならない。

 

 

 ところでメディアの仕事とは国民に正しい情報を提供することだ。

 国民は、特に民主主義の国民は主権者である。主権者とは「最終決定者」のことで、
決定するには情報がいる。それも正確な情報を必要としている。

 

 国民が正しい情報を知らなければ、間違った行動をとってしまう。
間違った選択をしないためにも正しい情報は不可欠である。

 

 つまりメディアの仕事は正しい情報を提供することだ。

 

 

 

 しかしメディア関係者の中には別の考えを持っている人もいる。

 それはメディアの仕事は「権力を監視する」こと。

 権力を監視し、権力が暴走しないようにチェックすることこそ
メディアの仕事だという考えだ。

 

 そして正しい監視のためには権力と距離を置き、
そして極力権力と対決することが必要となる。

 権力に近ければ、権力に取り込まれてしまう。

 

 そうならないように権力と距離を置き、権力を監視し、権力に鋭く切れ込んでいく。

 

 権力監視こそがメディアの仕事である

 

 

 

 

 

権力監視の落とし穴!

 実はメディア関係者の中にはこのような考え方が多い。

 つまり「権力監視こそがメディアの仕事だ」という考えだ。

 

 もちろん筆者もその考えに反対ではない。

 メディアの仕事は「国民の知る権利」を充足すること。

 

 つまり国民は色々な意思決定をするにあたって情報を知らなければならない。
そのためには国民は自分で情報を取得するのではなく、
「権利」として情報に接触できなければならないのだ。

 

 因みにこの「国民の知る権利」とは国や地方の公共機関に課せられたものである。
それ故に政府などは国民の情報を隠してはならない。
そしてメディアには「国民の知る権利」を充足することが義務付けられてはいない。

 

 しかし政府が情報公開しても、それが国民に伝わらなければ意味がない。
そしてその情報を国民に伝える役割こそメディアの役割なのだ。

 

 

 だから権力を監視し、権力がおかしなことをやっていないかチェックすることは
メディアの役割であると言えるだろう。

 

 

 

 しかしここで落とし穴がある

 それは権力監視を目的にしてはならないということだ。

 

 先に書いたように、民主主義は国民が主権者だ。そして主権者とは最終決定者のこと。
つまり国民が自身で最終決定をするのだ。

 そのために国民には情報が必要となる

 

 正しい情報を知らなければ、正しい判断はできない。
間違った情報を提供されても国民は困るだけだ。

 

 もちろん正しい情報のためには権力にベッタリではならない。

 権力は国民と対立することがよくある

 そのために必要な情報を出し渋ることがあるが、
権力に近すぎると権力の間違った(というより意図的だが)情報を
国民が受け取ることとなる。

そのためには権力と一定の距離を開けているメディアが必要となる。
権力と対決し、権力と距離を開け、権力を否定するメディアが必要となるのだ。

 

 

 しかし権力を監視し、権力を否定することを自己目的にしてはならない

 そうすると権力が正しいことを行っていても、それを否定すること、
つまりデタラメな情報を国民に知らせることになりかねないのだ。

 

 

 例えば、新型肺炎が蔓延してから何人かの医療専門家がテレビに出ていたが、
そのうちの幾人かは「検査をもっとやれ」と声高に叫んでいた。

 そして一部のメディアはそれを何度も放映していた。

 

 

 しかし検査を行えば、医療関係者には負担になる。
そのために医療崩壊を引き起こすことが考えられる。

事実、イタリアではそれによって医療関係者の負担が増え医療崩壊を引き起こした。

 

 幸い日本では闇雲に検査を増やすことはしておらず、重症者や高齢者に絞って
検査をしている。そのため医療崩壊は何とか食い止められている。

 

 

 しかし一部のメディアは検査を増やすように繰り返し報道し、
それによって一部の国民は検査を要求することが起き、現場が混乱することになった。

 

 最近でこそ、欧米の惨状が報道されることにより、医療崩壊の恐怖を目の当たりにして
「検査を増やせ」という意見が鳴りを潜めた(そう主張していた医療関係者も
テレビ出演が減ってきた)が、そのテレビ局はその時の報道を全く反省していない。

 

 

 このように「検査を増やせ」というのは間違った情報だった。

 もちろん「増やした方が良い」とは思うが、それには医療機関への負担を
極力増やさないことが求められる。

 現状、治療法がない新型肺炎には「早期発見するメリット」は感じにくく、
無理やり検査数を増やす必要はない。

 

 

ところでこのような誤情報はどうして声高に唱えられたのだろうか?

 

 筆者が察するに「メディアの権力批判=権力の反対をする」ことから来たのではないか?

 

 権力(というか専門家会議)は医療崩壊を防ぐために、
高齢者や重症者を検査することを選んだ。これは現在から考えるに適切な方法だった。

 

 しかし権力側が決めたことには反対しなければならない
権力の方針に賛成することはメディアの役割の放棄と考える。

 

 なぜならメディアは権力と対峙することだから。

 

 

 権力批判を自己目的化すると、権力が正しい行動をしていても

「権力がやっているのだから反対」となるのだ。

 

 そして国民をミスリードすることとなる。

 

 

 メディアは権力を主に考えるのではなく、国民を主に考えるべきだ。

 

 問題なのは国民に判断材料を提供すること。

そのためには誤情報はご法度

 

しかし権力と対峙することを目的とすると、権力が正しくても間違った情報を
「権力批判の美名の下に」報道することになる。そして国民が被害に遭うのだ。

 

 

今回の新型肺炎は今でも進行中であり、今後どうなるかはわからないが、
少なくとも日本では死者数:54人、感染者数:1,866(3月30日現在)。
日本は世界人口の約1/60だが、死者数では約1/5,000だ
(世界の死者数は29,898人)。

 

これは誇るべき成果と言ってよい。

 

もちろん現在の状況だけの評価だ。今後はどうなるかわからないので、
その後、日本で激増した場合、評価は変わってくる。

さらに少ないとはいえ50人以上死者が出ていることはおおいに反省すべきだろう。

 

 

しかし中国を除くとかなり早い時期に感染が蔓延(つまり情報がなかった)し、
なおかつイタリア以上に高齢化が進んでいる日本で
これだけの死者数で抑えているというのはかなりの高評価をつけても良いだろう。

 

 

メディアの仕事は権力を監視することではない。

国民の知る権利を充足することだ

 

国民が判断できるように正しい情報を提供することであり、
「権力と対峙」云々は二の次である。

 

 

権力が間違っているのなら、厳しく指弾すればよいが、
権力が正しいのなら殊更否定することは無い。

 

メディアが考えることは、権力ではなく国民だ。権力とどう向き合うかではなく、

国民に何を、どう伝えるか?

 

それこそ考えなけらばならないのではないか?

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?