新型肺炎で評価されない日本政府

他方、多くの死者を出す国の指導者は称賛される。

それは銀行強盗事件と同じではないか?

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筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 死者数が多い国の指導者が支持率を上げる理由

 

 

なぜ日本の指導者は支持率を下げるのか?

 現在世界的に感染が拡大している新型肺炎。

 世界中はそれによって多くの被害を被っている。

 

 アメリカのジョンズポプキンス大学のデータによると

全世界の感染者数は約470万人、
 死者数は約
32万人になっている(5月18日)。

 

 これは非常に大きな損害であり、これによって全世界では市民活動が停滞し、
一部では都市封鎖が行われ、外出には許可が必要な状態になっている。

 

 

 そして日本においても同様に大きな被害が起きている。

 日本においては1月末ごろから感染が拡大しており、
もう既に3ヶ月半もの期間、このような生活が続いている。

 さらに日本政府は4月7日から一部地域に緊急事態宣言をし、行動の自粛を呼びかけた。
この宣言は4月16日には全国に拡大された。
そして39県で解除されたのは5月14日である。

 

 今は東京や大阪など月末を目途に緊急事態宣言を継続し、
該当地域の国民に自粛を呼びかけている。

 

 

 このような状態であるが、日本では徐々に光明も見えてきた

 一時は1日700人以上発生していた感染者数が減少し、
現在では1日100人を下回っている。

 また全国の感染者数は1万人を超えていたが、現在では治療終了による退院者も増加。

厚生労働省によると4,126人(5月18日)となっている。

 

 死者数はまだ二桁が続くが、これは長期治療により重症者が増えているからで、
感染者がバンバン増えていない以上、死者数も徐々に減っていくと思われる。

 

 

 このように日本はいまだに感染拡大が収まらない世界と比べても
十分評価される結果を出していると思われる。

 

 

 しかし国民の評価はそうでもない

 日本国民は政府の対策をあまり評価していないのだ。

 

 例えば本日(5月18日)の朝日新聞に世論調査が載っているが

「新型肺炎対策で安倍首相が指導力を発揮しているか?」と言う問いに、

 「発揮している」30  「発揮していない」57 となっており、

 多くの国民は「指導力を発揮していない」と考えている。

 

 因みに前回との比較では「発揮している」が3P低下(33→30)。

他方、「発揮していない」は変わらず。つまり評価が下がっているのだ。

 

 

 ここでの質問は(指導力を)「発揮している」かどうかを聞いているので、
必ずしも「評価している」かどうかは聞いていないが、
その辺の質問形式の違いはほとんど関係ないだろう。

 

 早い話、日本国民は安倍首相を評価していないのだ。

 

 

 

 

 

世界と日本の被害の比較

 ところで世界では日本より大変な生活をしている国が多いが、

意外なことにそれらの国々の多くは指導者の支持率が上がっている

 

 少し前の記事になるが、4月23日のフォーブスの記事によると

新型肺炎対策により、世界中の指導者の支持率が上がっているとのこと。

 

 しかしその中で例外があり、アメリカのトランプ大統領と
日本の安倍首相は支持率が低迷しているのだ。

 

 新型コロナ対策で各国リーダーの支持率が軒並み急上昇、一部の例外も

 

新型コロナウイルスの世界的流行が始まって以来、世界各地の民主主義国家を率いるリーダーたちの支持率は急激に上昇している。ただし、例外もある。とりわけ、米国のドナルド・トランプ大統領や日本の安倍晋三首相、ブラジルのジャイール・ボルソナーロ大統領には、危機対応をめぐって批判が集まっている。支持率は、上昇してもごくわずかか、もしくは低下している。

赤字は筆者

 


 このようにアメリカのトランプ大統領、ブラジルのボルソナーロ大統領と並んで、
日本の安倍首相を批判する記事となっている。

 

 世界最大の感染者と死者を出しているアメリカや感染症対策を放棄して
経済自粛も全くしないで感染拡大を招いているブラジル。
そして先進国中人口当たりの死者数が最低の日本を比較している。

 

例えば5月18日現在のこの3ヵ国の感染者数と死者数の比較で言うと

 

      (感染者数)  (死者数)    (人口)

アメリカ   約150万人  約9万人    約3億2千万人

ブラジル    約24万人  約1万6千人  約2億人

日本     約1万6千人  約750人   約1億2千万人

 

 

 このように比較すること自体が不適切な3ヵ国の指導者を、

一緒にして否定するとはどういうことだろう?

 

 

 

 しかしこれは仕方がないことなのだ。

 事実、支持率が下がっているのだから。

 

 

実はアメリカやブラジルのような国の指導者の支持率が下がるのは理解できる。
彼らは対策に手をこまねいているだけで、実質的な対策をほとんどしていない。

 

 

他方、日本はそれなりの対策をして、死者数も抑え込んでいるが、
それでも国民は不自由な生活をしている

 

会社や学校に行けず、自宅に待機して、外に出ることもままならず、
ストレスの多い生活をしている。

そしてそれが何時まで続くかわからない

それは非常に不満の貯まる生活だろう

 

 

確かにテレビなどを通じて他国の状況を理解している。

欧米の状況は日本と比べ物にならないものとは“頭では”理解している。

 

しかし自身が不自由な生活をしていることも事実だ。

 

 

他国の人が大変な状況であることより、
自分の不利益の方に敏感に反応するのは人間として仕方がないことだろう。

 

 

ところで先のフォーブスの記事を再掲するが

この記事は日本やアメリカを否定するだけではなく、
他の国の指導者の支持率が上がっていることを指摘している。

 

ドイツのメルケル首相、フランスのマクロン大統領、イタリアのコンテ首相、
イギリスのジョンソン首相、そしてカナダのトルドー首相などが支持率の上昇がみられる。

 

 そして先の3人を取り上げ、「彼ら5人に比べてダメだ」と言いたいようだ。

 

 

 しかしちょっと待って欲しい

 

 

ブラジルやアメリカの大統領はさておき、
日本の安倍首相は上記5人に劣っているのだろうか?

 

ではその成績を見てみよう(以下では人口データは削除した)

      (感染者数)   (死者数)    

ドイツ   約17.6万人    約8千人

フランス  約18.0万人   約2.8万人

イタリア  約22.5万人   約3.2万人

イギリス  約24.5万人   約3.5万人

カナダ    約7.8万人    約6千人

 

日本     約1.6万人    約750人   

 

 

 どうであろうか?

 本当に比較をするのがバカバカしくなる

 

 これらの国は日本より遥かに悪い成績しかあげていない。

 感染者数、死者数共にそうだ

 

 一部では日本の感染者数が少ないのは「検査数が少ないからだ」と言う意見があるが、

それでも死者数が少ないのは間違いないだろう。

 

 因みに日本では検査数が少ないことを殊更批判する向きがあるが、検査数を大幅に増やすことは意味がない。

 世界中で検査数を増やせば死者数が減るとは立証されていないからだ。

 むしろ検査数を増やすを死者数も増えるという弱い相関が示されている






 

 先のフォーブスの記事で、特に筆者が気に入らないのが

ドイツのメルケル首相を支持した部分だ。

 

特に注目すべきはドイツのアンゲラ・メルケル首相だ。3月はじめ以降、メルケルの支持率は11ポイント上昇して79%となったことが、ヴァーレン研究所(Forschungsgruppe Wahlen)の最新調査で明らかになった。

 

 

なんで自国民を8千人も損なっている首相が、その1/10以下の日本の首相より
評価されるのだろう?
非常に不思議

 

 ましてやドイツの人口は約8千万人。つまり日本では1.2万人の被害が出ていることになる。

 これはいかにも理不尽な評価だ。

 

 

 しかし先に書いたように、これは日本の有権者を批判するべきではない。

 

 日本の有権者も苦しい生活をしており、それに対する捌け口を探している。
それ自体は褒められたことではないが、やむを得ないことだろう。

 

 

 

 問題なのはドイツをはじめとするヨーロッパの国民だ

 彼らは自国が都市封鎖されて、買い物もままならない生活をしている。
外出するには許可が必要で、違反すると罰金が科せられる。

 

 他方、日本では外出自粛が言われているが、あくまで自粛だ。

 事実、スーパーでは普通に買い物をしているし、公園などでは家族連れも見られる。

 

 確かに個々人で意識的に距離を開けることは見られているが、
それでもテレビで見る欧米の生活からはかけ離れている。

 

 

 そんな苦しい生活をしているヨーロッパの人たちは、
どうして指導者を支持するのだろうか?

 

 つまり日本の指導者の支持率が上がらないことではなく、

 ヨーロッパの指導者の支持率が上がる理由を探るべきなのだ。

 

 そして筆者には一つの仮説がある!それは…

 

 

 

 

 

 

(仮説)ストックホルム症候群!

 
それはストックホルム症候群ではないか?

 

 ストックホルム症候群とは

 1973年8月、スウェーデンの首都ストックホルムで起きた銀行強盗事件。

この中で犯人は銀行に人質をとって立てこもり、数日間警察とにらみ合った。

 

 その中で人質と犯人の間に奇妙な共感関係が生まれた。

 

 人質は犯人に脅迫されながらも、犯人に自主的に協力をした。
そして犯人が逮捕されてからも犯人を庇い、警察に非協力的だった。

 

 このように本来敵対する関係のはずが、極限の空間に長くいると
共感関係が生まれることをその場所の名をとって「ストックホルム症候群」という。

 

 

 

 実は新型肺炎が広まっている時、ヨーロッパ諸国に起きたのは

このストックホルム症候群ではないか?

 

 

この「ストックホルム症候群」と言う言葉を生んだのは
アメリカの精神科医であるフランク=オッシュバーグであるが、
彼によると3つの要素がある。

 

1.人質は犯人に対する愛着や、時には愛情さえもが芽生える。

2.それに報いる形で、犯人も人質を気遣うようになる。

3.両者がそろって「外界」に対する軽蔑を抱くようになる。

 

 

まず「1」だが、人質は自分の生命を犯人に握られる。
それも前触れもなくいきなりそういう状況になる。

 それに対して人間の本能は生存するために生殺与奪権を握る権力者=犯人
迎合しようという心理になる。

 

 この状況で犯人に逆らうことは生命を危機に晒す。
そのため犯人に迎合しやすい心理=犯人への好感を無意識のうちに持つようになる。

 

 

 そして「2」では、そういった人質の行動を見て、犯人はソフトな対応をするようになる。
自身に対する敵意を見せない人質にある種の情が湧き、彼らに対する好感が生まれる。

 

 

 両者に好感が生まれると「3」で、そこに共感関係が生まれる。

 それも極限状態の異常な空間を共に経験しているという共感。
そして運命共同体であるという共感が生まれ、自分達(犯人+人質)が、
外界(警察や野次馬など)と別の存在であり、彼らは自分達と別の存在と感じ、
軽蔑を抱くようになる。

 

 

 そしてそういった両者の関係は、犯人が捕まってからも続くことになる。

 

 

 

 ストックホルム症候群が起きるには前提がある

 それは「突然起きる生命の危機を感じる極限状態である」と言うことだ。

 

 我々は通常、生命の危機など感じない。
日常生活で「死ぬかもしれない」とは感じないのだ。もしそういうことがあっても、
例えば警察官や消防署員などは仕事の最中にそういうことを考えるかもしれない。

 

 しかし彼らはそういう状態が突然来ない」

 仕事上、そういう危険性があるという心の準備ができている。

 

 しかし銀行強盗の人質になるなど、普通は想定していない

 故に急に自由が奪われる状態になると冷静に対策を考えるのではなく、
本能が生きるために生殺与奪権を持っている人に迎合する=好感を持つようになる

 

 その生殺与奪権を持つ人物こそ犯人だったのだ

 

 

 本来なら自分の自由を拘束した犯人が憎いのだが、

それを考える余裕がないままに自由を奪われる

そして移動することも、何か食べることも、休むこともできない。

 

 そういう状況を生き延びるために、犯人に(無意識に)迎合するようになるのだが、
それも犯人に好感を持つことで
「より迎合しやすくなる」

 

 そして犯人が何か優しくしてくれると、それに過剰に感激してしまうのだ。

 

 元々、自由の状態では感謝することなどなかった行為、例えばトイレに行けたり、
食事を食べさせてくれたりという行為がそれだけで感激するようになる。

 

 

 我々もそれほど腹が減っていない時に食べるモノよりも、
遭難して数日間山中を彷徨ってから救出されて食べるクッキーの味は一生忘れられない。

まさに感激するものだろう。

 

 そういう状態では少しの好意が多大な効果を発揮することになる。

 

 

 

 

 

ヨーロッパで起きていた極限状態!

 ではヨーロッパでは何が起きていたのだろうか?

 先の前提条件と3つの要素に即して考えてみよう。

 

 

 今回の新型肺炎は「突然起きた」ことだ。

 彼らも中国や日本で起きていることは知っていただろうが、
自分たちの生活に直撃するとは考えていなかった。

 

 それが突然来て、生活が一変していった。それもかなり速い速度で。

 

 アメリカのニューヨークなどでも2週間で都市封鎖をせざるを得なくなった。

 ほとんどの人は心の準備もできなかっただろう。

 

 

 そして日常が奪われ、自宅に拘束され、自由に外に出ることができない。

 これはストックホルムの人質に近い状態だ。

 

 

この前提で「1」生殺与奪権に握る権力者=指導者に愛情が芽生える。

指導者は極限の状態でテレビから国民に語りかける
この状況を打ち破ってくれる存在は指導者だけだ。彼(彼女)の指導力に期待することが、
自身の奪われた自由を回復する方法だ。そして国民は指導者に迎合していくようになる。

 

 

 そして「2」で指導者は厳しい外出制限などをしながら、休業補償などの政策に取り組む。
食料の提供などもする。全て軍隊などの権力機構を動かして提供される。

 

 

突然訪れた極限状態の中で、国民がその生殺与奪権を握る人物=指導者に迎合し、
愛情を芽生えさせ、指導者も国民を気遣うようになる。

 

 

そして「3」極限状態を経験することで共感関係が生まれ、外界に対して否定的な見解を持つ。
自国も苦しいが他国よりマシだ

 うちの指導者はよくやっている

 

 こういう共感が生まれてくる。

 

 ヨーロッパでは極限状態が起きていた

 

 

 ヨーロッパ各国は必ずしも感染者数や死者数などの数字上、恵まれているように見えないが、
それでも指導者に対する支持率が高い理由と言うのは、
この突然訪れた極限状態に対して、生殺与奪権を持つ権力者に迎合しようという心理
ストックホルム症候群の表れなのではないか?

 

 

 

 

 

日本ではなぜ起きないのか?

 ヨーロッパではストックホルム症候群が起きて、指導者への共感が起き、
それが支持率の上昇につながっているのではないか?

 それが正しいとするとおかしなことがある。

 

なぜ日本では起きないのだろうか?

 

 日本でも突然起きた極限状態と言える。

 安倍首相が学校の休校を宣言した時、多くの学校では突然の対応に困惑した。

 

 それでは日本でもストックホルム症候群が起き、

安倍首相への支持率が上昇してもおかしくない

 

 しかし日本ではなぜか起きていない。

 

 

 その理由は何だろうか?

 

 

 察するに、日本では極限状態が起きてなかった

 

 先の前提条件では、

突然起きた生命の危機を感じる極限状態

 と書いた。

 

 日本の場合では「突然起きた」「極限状態」ではあるが、
「生命の危機を感じる」ことは無かった。

 

 生活は苦しくなり、ストレスもたまる極限状態であっても、

 生命が危機に陥ることは感じていない。

 

 

 その証拠に結構自粛破りが行われていた

 

 先に書いたように筆者の自宅の傍でもスーパーには人が入っていたし、公園も人がいた。
さすがに屋内の店は空いていた(それでも何人かいた)が、生活レベルでは自粛はほどほどだった。

 

 もし新型肺炎で生命の危機を如実に感じていたら、そんな行動をとれるだろうか?

 

 欧米では罰則付きの外出禁止が行われていた。

 個人的には色々あったのだろうが、それを否定する向きは多くなかった。

 

 日本ではそこまで行かなかったのは、生命の危機を感じるほどではなかったからだろう。

 

 だから日本でも生活上の極限状態ではあったが、

生命上の極限状態ではなかった

 

 

 


 日本の指導者が支持されない理由。

 それは日本に生命上の極限状態が起きず
それ故に国民に指導者に対する愛情が芽生えなかったからではないか?

 

 

 しかしこれは良いことなのだ

 

 危機管理とは危機を起さないこと。

 生命の危機を感じさせなかった日本の安倍政権は、

少なくとも新型肺炎対策に関する限りは称賛されるべきではないか?

 

 

 それが正しい評価だと思う!

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?