◎韓国で東郷平八郎の記念碑?
◎マスコミに言われて結局断念
◎日本の統治時代は悪くなかった証拠!
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
韓国で東郷平八郎の記念碑?
◎記念碑好きの韓国!
韓国というのは記念碑好きだ。何かというと記念碑を作る。
昨今の日韓関係を悪化させていることに、徴用工の問題がある。
日本統治時代、当時の朝鮮人に対して、徴用が行われた。これは徴兵が施行されていない朝鮮人に対して労働提供を求めるものであり、当時としては合法だった。
現在韓国では、これを「強制された」という文脈で説明されているが、それは事実ではない。先に書いたように労働提供を義務化したものであり、当時の日本人は徴兵が義務化されていたのだ。つまり決して強制連行を目的とするものではない。
ましてや朝鮮人はほとんど徴用されておらず、官斡旋や募集がほとんどだった。強制連行など真っ赤な嘘である。
話が逸れたが、この徴用に対して韓国では徴用工像を作ってアピールしている。それだけではなく、慰安婦像なども作ってたくさん設置している。
つまり彼らは記念碑好きなのだ。
その韓国で東郷平八郎の記念碑を復元する動きがあったことをご存じだろうか?
◎東郷元帥の記念碑!
1982年5月12日 朝日新聞3面に以下の記事が載った。
※以下の引用記事も同じ
東郷記念碑の復元は見送り
日本海海戦のゆかりの地、韓国南部の巨済島で計画されていた明治の連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥の記念碑復元が、マスコミの反対などで見送りになった。
※赤字は筆者
この記事は「東郷平八郎の記念碑が見送りになった」ことを伝えているが、復元する計画があったことを伝えている。
東郷平八郎と言えば、日露戦争の英雄である。日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を撃破。その功績で神社ができるほどであった。
つまり日本の軍国主義の象徴であり、日本にヒドイ目に遭った韓国では不倶戴天の敵と言えるだろう。
その韓国で、韓国人が東郷元帥の記念碑の復元が計画されていた?
しかも1982年に!
◎1982年の日韓関係!
1982年は激動の年だった。教科書問題があったからだ。
教科書問題は「中国への侵略を進出と書き換えた」ということから始まった。当初はそれほどでもなかったが、徐々にエスカレートしていった。そこに韓国も加わって大きな騒動となった。
それが起きたのが1982年6月26日の報道がキッカケだった。つまり東郷記念碑の記事の1か月ほど後だ。
確かに教科書問題の前であったが、韓国国民の意識は変わらない。たった1ヶ月で意識など変わる訳がない。それなのに日本の軍国主義の権化である東郷平八郎の記念碑を復元しようという動きが当時あったのだ。
なんかイメージと違う。
今なら労働組合が暴動を起こしていただろう(笑)。
◎記念碑復元の不許可!
この記念碑は日本統治時代に設置されていたものだ。
日論戦争でバルチック艦隊を迎え撃った際に、連合艦隊の待機場所となった鎮海湾、そこに面している巨済島に設置されていた。
しかし日本敗戦後は撤去されており、現地警察の倉庫に保管されていた。2年前にその存在が明らかになり、日韓文化交流協会と地元で復元計画が作られた。
計画はすぐにまとまり、資金は日本企業から募集することが決まった。そして資金はすぐに集まった。
資金を出すのは日本企業だが、これは地元も同意している。故に日本人と韓国人が合同で計画を推進したのだ。
しかし韓国のマスコミが嗅ぎ付けて、それに対する反対の論陣を張ったので、地元を所管する慶尚南道は「計画を許可しない」と決めた。
しかし記事の中でも行政がマスコミに押される形で断念したように書いてあるが、今とはだいぶ違うニュアンスだ。以下のように書く
結局、マスコミに押された形で、行政当局も復元不許可の決定を下した
行政が不本意にも、マスコミに押されて不許可にした様が見て取れる。
◎マスコミの言い分!
ところでその韓国マスコミだが、この論調にも現在では考えられない表現が入っている。それはこのようなものだ。
日本人の気持ちは分かるが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻と日帝三十六年の遺恨を持つわれわれには強い抵抗感がある。
※赤字は筆者
日本人の気持ちは分かるが…?
分かるのか?
これはこういうことだろう。
東郷記念碑を復元しようという日本人の気持ちは分かるが…
当時の韓国マスコミは、日本人の気持ちを理解してくれている。現在では絶対にありえない表現が、当時の韓国の新聞記事には入っている。
これは察するに、当時の韓国では日本時代を知っている人が多くいたからではないか?日本時代を知り、日本の良い部分を理解していたので、このように日本人の気持ちを理解する発言が出てくるのだろう。
日本の統治時代は良い時代だった。
少なくとも現在言われているような、過酷な支配などは微塵もなかった。それ故に終戦間際でも反乱が起きなかったのだ。
日本の統治時代は良い時代だった。
東郷記念碑の復元を試みた、当時の韓国人こそがそれを証明している。
※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?