◎護憲派はなぜ過剰に攻撃的なのか?
◎それは日本国憲法前文に理由があった。
◎前文には”日本人差別”の考えが含まれていた。
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
日本国憲法前文には日本人差別の考えが含まれている。
※動画も作りました。合わせてご覧ください。
◎護憲論者への違和感!
前回、日本国憲法について書いた。
その中で筆者は日本国憲法第9条および憲法前文の安全保障の部分を検討し、
日本では自衛を含めて一切の戦力を持てないと書いた。
※詳しくは前回のブログをご覧ください。
つまり自衛のためであっても自衛隊は違憲なのだ!
ところで今回はもう少し別のことを書きたい。
それは日本国憲法前文に対する違和感だ。
もう少し書くと、
日本国憲法前文には”日本人差別”の考えがあるのではないか?
最初、この考えを持ったのは護憲派の人たちに関するある違和感からだった。
つまり護憲派への違和感が、日本国憲法前文への違和感に繋がった。
護憲派と言っても色々あるだろうが、一番に思い出すのは憲法9条である。
「憲法9条を守れ!」
これが日本の護憲論者の言っていることだ。
護憲論者にはいわゆる左翼が多いというイメージがある。
昔の日本社会党や日本共産党などを支持している人たちだ。
そういう人たちは「憲法9条を守れ」と言いながら、
非常に攻撃的な活動を活発に行っている。
過去においても集会やデモを行い、普通の人が引いてしまうような激しい言動を繰り返していた。
例えば最近でも野党れいわ新選組の大石晃子議員の事例がある。
先日の国会で大石議員は、岸田首相に対して
「鬼」「資本家の犬」「財務省の犬」などと発言した。
れいわ新選組 大石晃子議員
「もう一度言わせていただきます。この鬼。もう一つ名前を差し上げます。資本家の犬、財務省の犬」
※2022年6月1日 TBSテレビ 赤字は筆者
大石議員は日本国憲法を「改正すべきではない」と考えており、9条に関しても同様だ。
問4:憲法改正に賛成ですか、反対ですか。 回答:反対
問6:憲法9条の改正について、考えに近いのはどれですか 回答:改正には反対だ
※毎日新聞 第49回衆議院選挙候補者アンケートより抜粋。 赤字は筆者
つまり大石議員は護憲派と考えらえる。
しかし国会の場で、首相に対して「鬼」「犬」などと発言するのは
まともな発言ではないだろう。
護憲論者はどうしてこのように攻撃的なのだろうか?
日本国憲法は”平和憲法”と言われている。
日本国憲法には3つの柱がある。
その3つとは「国民主権」「基本的人権の尊重」そして「平和主義」である。
その平和主義とは憲法のただ一つの条文によって成り立っている。
それが憲法9条なのだ!
他の「国民主権」や「基本的人権の尊重」は多くの条文によって成り立っているが、
こと「平和主義」だけは9条という一つの条文だけで成り立つ。
それ故に「平和主義」を守ろうとする人が、憲法9条の条文に敏感になるのは当然だろう。
筆者も平和が嫌いな訳ではない。
しかし憲法9条の平和主義とは、本当に「平和」を求めているものなのだろうか?
まず憲法9条を引用する。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
第一項は「戦争の放棄」を、第二項では「戦力の不保持」を謳っている。
この両者によって日本は「戦争を一切しない」と内外に宣言した。
ポイントは「戦力の不保持」である。
日本は自衛を含めて、一切の軍事力を持たない。
戦力を持たないので、戦争をしたくてもできない。
これによって侵略戦争をした過去の日本と決別することを宣言したのだ。
※「侵略戦争をした…」とは、
過去の日本政府の見解であり、必ずしも筆者の見解ではない。
しかしそのことは主題と関係ないのでここではこれ以上触れない。
このように一切の戦力を持たない。それ故に平和憲法と呼ばれるのが日本国憲法だ。
それなのに護憲派は攻撃的な姿勢で終始している。
仮にも平和憲法を擁護し、武力による解決を否定するはずの人たち(=護憲派)が、
こと政府批判になると、非常に攻撃的で威嚇的な言動になる。
特に憲法9条に関することでは、とても正常ではない反応をする。
先に述べたように、憲法9条とは平和主義を表している。
それは「戦争を放棄」し、「戦力を不保持」することで成り立っている。
それを支持する人たちが争いを放棄するのではなく、むしろ積極的に争い、しかもかなり好戦的な行動をとっている。
それはどうしてだろうか?
◎前文を含めて憲法9条を解釈する!
ところで憲法9条の条文を読んで、多くの人は疑問があるのではないだろうか?
それは戦力を保持しないのなら、侵略されたらどうするのか?ということだ。
もう一度、憲法9条第二項を思い出してもらいたい。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
「戦力は、これを保持しない」とハッキリ書いてある。
つまり日本国憲法では自衛を含めて戦力は一切持てないのだ。
※この部分に関して、詳しい説明は前回のブログをご覧ください。
では実際に侵略されたらどうするのか?
実は日本国憲法の中にはその答えが入っている。
それは日本国憲法前文の以下の部分だ。
日本国民は、 ~略~ 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
※赤字は筆者
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
日本国民の安全と生存を保持…するのだ。
我々の安全と生存は、全面的に他国に依存しているのだ。
だから侵略されたらどうするのか?という質問に対する答えは、
侵略されない!
これで終わりである。
だって侵略されないのだから。
だから侵略された場合の自衛の戦力は持つ必要は無い。
これが日本国憲法の平和主義の考え方なのだ。
ところでここでは憲法前文を引用して、憲法9条の考えを説明したが、
それは許されるのだろうか?
というより憲法前文の位置付けとは何か?
日本国憲法が施行された直後に、中学生向けに書かれた文部省の冊子
「あたらしい憲法のはなし」によると、前文は以下のような位置付けである。
この前文というものは、 ~略~ みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。 ~略~
※あたらしい憲法のはなし P5
このように前文とは、憲法の解釈の手引きになるもの。
それ故に憲法9条は、前文の安全保障の部分を手引きに解釈するべきである。
つまり平和を愛する諸国民しかいないのだから、戦力は持たない。
「戦力の不保持」とはそういう文脈で理解すべきなのだ。
◎好戦的な護憲派!
ところでこのような憲法解釈をするとおかしなことを感じる。
先にも書いたことだが、護憲派はおかしい。それは…
護憲派がなぜ好戦的なのか?
護憲派の人は非常に攻撃的に見える。
やたら徒党を組んでデモや集会で相手を罵倒する。
そこには一切の妥協が無いように見える。
ああいう行動を見ると、一般人は引いてしまうだろう。
大体、憲法9条は戦力を持たない。
それは相手がこちらを攻撃することを考えないからだ。
それならなぜ護憲派は好戦的なのか?
これは日本国憲法に問題があるからではないのか?
そしてそれは9条ではなく、前文に問題があるのだ。
それでは憲法前文を見てみよう。
全文は長いので以下で確認して頂きたい。
そして先にも引用したが、安全保障の該当箇所を抜き出すと…。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
※赤字は筆者
相手を信頼して、自分の安全を守る。
素晴らしい考えだ!
しかし実際はそうなっていない。護憲派はむしろ憲法前文の理念と違って
相手(特に政府・自民党)を全く信頼することなく、非常に好戦的になっている。
それは憲法前文の精神に反するのではないか?
しかしそうではない。むしろその逆だ。
もっというと憲法前文には日本人差別の側面があるのだ。
それ故に日本国民や日本政府は全く信頼しないのだ。
それは先に挙げた「平和を愛する諸国民…」という部分だ。
平和を愛する諸国民?
これに日本国民は入っているのか?
平和を愛している諸国民に、日本国民は入っているのかいないのか?
これはかなり大きな論点だと思う!
◎日本人差別の前文!
結論から言うと、平和を愛する諸国民の中に
日本国民は入っていない!
なぜそう言えるのかというと、
前文には「諸国民」と「われら」の2つの表現が使われているからだ。
例えば先に引用した安全保障の部分
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を…」
他にも「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、…」
そしてこの「われら」とは日本国民を指す。
事実、平成15年7月の衆議院憲法調査会事務局の資料でも
「われら」は「日本国民」のことであるとしている。
〔3〕「われら」「諸国民との協和による成果」「自由のもたらす恵沢」の意味は?
「われら」とはこの前文冒頭の「日本国民」を指す。すなわち、冒頭には「日本国民」
とあるが、それは「われら日本国民」と書かれるべきであり(英文ではそのように
We, the Japanese people と書かれている)、その場合には「われら」が「日本国民」
を指すことが明らかである。
※平成15年7月衆議院憲法調査会事務局 P3 赤字は筆者
「われら」が「日本国民」を指すのなら、
「諸国民」は「日本国民以外」と解釈するべきだ。
このように「諸国民」の中に日本国民は含まれない。
そして前文の「平和を愛する諸国民」という表現の中にも
当然ながら日本国民は含まれない。
先に引用したように日本国憲法の前文は憲法解釈の手引きになるものだ。
そして前文では「われら」と「諸国民」を分け、「諸国民」は平和を愛するが故に全面的に信頼するのに対して、「われら」(=日本国民)は、信頼に値しない。
前文の中ではそのように位置付けているのだ。
もちろん前文には「われら」(=日本国民)が「信頼に値しない」とは書いていない。
しかし「諸国民」には「平和を愛する」という枕詞がついているのに対して、「われら」(=日本国民)にはそのような言葉が全く入っていないのは差をつけた表現。
つまり差別的な表現と言えるだろう。
つまり日本国憲法前文には日本人差別の考えが内包していると言えるだろう。
◎日本国憲法前文に忠実な護憲派!
そう考えると護憲派の行動も理解できる。
彼らは日本国憲法の前文に忠実なのだ。
前文では「諸国民」に対しては全面的に信頼する。
それが例えばロシアであろうと中国であろうと北朝鮮であろうと、
全て「平和を愛する諸国民」なのだ。
確かに憲法前文に書いてあるのは「諸国民」であり、ロシア政府などではない。
これらは専制国家であり、国民は人権侵害を受けている。
しかし憲法の考えでは国家が暴走しても「平和を愛するロシア国民」が立ち上がり、
政府を制御すると考える。
それ故に諸国民が平和を愛すれば、日本は安泰なのだ。
なぜなら相手は「平和を愛する諸国民」なのだから。
他国を侵略する訳が無いのだ!
しかし「われら」(=日本国民)に対しては違う。
日本国民は信頼するに値しない。
それは「諸国民」とは違って、「平和を愛する」人々では無いからだ。
日本以外の他国民は「平和を愛する」が、日本国民は「平和を愛しない」。
それならば「平和を愛しない」日本国民が選んだ日本政府など、
全く信頼できない!
そうであってもおかしくない。
日本国憲法は諸国民(外国人)を全面的に信頼する代わりに、
日本国民(日本人)は全く信頼しないという考えからできている。
それが故に護憲派は「憲法9条を守れ(=つまり外国への絶対的信頼)」と言いながら、
日本政府(=日本国民の代表)は全く信頼しないのだ。
そういう意味で護憲派が日本政府なりに、攻撃的な言動に終始するのは
極めて当然のことと言えるだろう。
それもこれも全て、日本国憲法に内包された”日本人差別”の側面に
護憲派が忠実であるからと言えるだろう。
日本国憲法には”日本人差別”の考えがある。
それ故に一刻も早く、憲法改正をすべきだろう。
※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?