沈丁花の「反日は差別なり」

なぜ日韓関係が悪いのか?その原因は韓国の反日にある。 そして反日とは差別であるということを説明します。 その他中国を始めとする国際ネタ。国内政治ネタも少し触れます。 沈丁花(ちんちょうげ)とはブログ主の子供の頃のあだ名です。それ故に決して(じんちょうげ)とは読まないでください。

日本が見習うべき行動

沈丁花の名前で動画チャンネルもやっています。
2月17日更新 ぜひご覧ください。

日本共産党の松竹氏への除名処分は47年前に予言されていた。
「(共産党)松竹氏の除名処分は47年前に予言されていた!」
https://www.youtube.com/watch?v=gaRaQkd_wCY

引退する亀井静香の30年前の予言!そしてありがとう亀井静香

 
・亀井静香がひっそりと引退した
・彼の30年前の発言は現実化している
・そして…ありがとう!亀井静香!
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 最近のニュースはすっかり選挙が一番になった。今回の選挙は色々な意味でビックリさせられた。 
 
 何といっても一番大きなニュースは民進党が実質的に解党したことだ。民進党は賞味期限切れとはいえ、野党第一党であり、自民党、特に安倍政権への対抗馬の一番手だった。しかし蓮舫代表が変わって、前原新代表になったは良いが、頼みの山尾志桜里幹事長はスキャンダルで失脚した。
 
 
 そのため民進党は支持率の回復には至らなかった
 
 
 そこに降って湧いた今回の解散総選挙。安倍自民党は民進党の低支持率、小池新党(希望の党)の準備不足、自身の支持率の回復傾向の状況を鑑み、来年12月までの任期を考えて解散に踏み切った。
 
 
 一部からは大義なき解散と言われている。
 
 
 ところで今回ひっそりと引退した議員がいた。

  その名を亀井静香という。
 
 
 
 
 
 
哀愁の亀井静香
 
 亀井静香は元自民党の議員で、大臣経験もあり、党3役の経験もある。一時は自民党総裁選挙にも出馬した、自民党の有力議員だった


 
 しかし近年はその名を聞くこともになった。
 
 
 
 何といっても2005年の郵政解散が大きい。郵政民営化の是非を争点にした解散総選挙で、小泉政権が大勝した。その時に反対の急先鋒だったのが亀井氏だった。
 
 
 その時には自民党にいられなくなり、自民党から出て国民新党を作った。その後、色々な政党を作っては潰し、最後は無所属となっていた。
 
 
 因みに政党の変遷については「自民党」→「国民新党」→無所属→「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」→「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」→「日本未来の党」→「みどりの風」→無所属
 
となっている。
 
 

 その間、スポットを浴びたのが民主党政権(鳩山政権)の時、国民新党の代表として、政権に注文を付けていた時だ。当時は衆議院では圧勝していた民主党だったが、参議院では過半数を持っていなかった
 参議院では社民党と国民新党の連立をすることで、何とか過半数を確保していたのだ。
 
 
つまり国民新党の了解がなければ法案が通らなかった。そのため亀井氏にスポットが当たっていた。
 
 
しかしそれも一時的…だ。
 
 

2009年の8月の総選挙で政権を獲得した民主党だったが、翌年7月の参議院選挙では大敗し、国民新党の協力は意味がなくなる
 
 
それ以来、民主党においても国民新党(つまり亀井氏)には冷たくなる。
 
 
その後、国民新党からも離脱して無所属で活動することになる。一時は自民党の総裁候補になった政治家としては悲しい末路である。つまり2005年以降の12年間、ほんの数か月を除いて日陰暮らしを続けていたのだ。

さぞ辛かっただろう。
 
 


 
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亀井静香の慧眼!
 
 ところでなんで長々と亀井静香のことを書いていたのかというと、の慧眼を紹介したいからだ。それは1986年のことだ。
 
 
 当時の状況は中曽根政権だった。中曽根政権はこの年7月の衆参ダブル選挙で大勝し、任期を延長していた。当時の中曽根および中曽根に近いタカ派政治家は我が世の春を謳歌していた。
 
 
 しかし中曽根首相は1985年の靖国神社公式参拝時に、中国韓国からの反発を受けて消極的になった。それに対してタカ派政治家は不満を募らせていた。
 
 
さらに不満だったのは1982年の教科書問題だった。周辺国からの干渉を受けて反発する雰囲気があった。
この年も日本の教科書採択に関し、中韓との関係悪化が顕著になっていた


 
 
そういう状況で亀井氏は韓国の大使に対してこう発言した。
1986年10月29日朝日新聞夕刊1面 ※赤字は筆者
 
韓国大使に暴言 「干渉続けば戦争
 
 

情報が錯綜しているが、亀井氏はこのように発言したようだ。
 
(現在は日本韓国共にアメリカとの同盟関係があるので歯止めになるが)今後もこの関係が続くかわからない。歯止めがなくなると(教科書問題のような干渉があると)両国間でストレスが溜まり、危険なことになりかねない。
 
 
と、韓国大使に発言した。
 

 
つまり日米および米韓の同盟関係があるので、現在(1986年当時)は大きな問題になっていないが、それの枠組みも将来なくなるかもしれない。
その時にこんな内政干渉が続くと、日韓間でストレスが溜まって取り返しがつかない事態になるぞ
  
と言っているのだ。
  
 
まさしく現在の状態を予言しているかのようだ。
 
 
 
もちろん日韓で戦争をする事態とは思わないし、日米および米韓の同盟関係は歯止めとして機能している。
 
 
しかし日本および韓国の両国民はかなりストレスが溜まっていると思う。特に日本国民に
 
 
 
亀井氏の言う通りに、韓国が反日行動をエスカレートさせることで、日韓間にストレスが溜まっている。それを制御できなくなった時にはどういう状態になるか?
 
 
そろそろ韓国側も考えた方が良いだろう。
 
 
少なくとも日本側は韓国に譲歩することはない。もう日本国民はそんなことを許さない
 
 
 
亀井氏が約30年前に予言したことは、現在その通りになっている。
 
 
 

 
最後に亀井氏には御礼を申し上げる。
 
 
彼は民主党政権の時に国民新党で連立に参加していたことは先に書いた通りだが、その時民主党政権が実現しようとした政策の一つに「定住外国人への地方参政権の付与」がある。
 
 
つまり在日コリアンに地方参政権を与えるのだ。
 
 
この政策は実現しかかっていた
 
 
何故なら民主党の政権公約に明記されていたし、連立仲間の社民党はもちろん賛成、さらに野党公明党も賛成だったのだ。
 
 
そこに立ち塞がったのが亀井氏だった。
 
 
彼は連立政権内で絶対反対を唱え、結局合意しなかった。そのうちに参議院選挙で民主党が敗北して、実現できなくなった(実は公明党が協力すればできたのだが、自公の枠組みが壊れることを恐れ、公明党は踏み出せなかった)。
 
 
 
そういう面では筆者は亀井氏には恩義を感じている。実は政策的にはあまり賛成できない政治家だが、最後の最後で在日コリアンへの地方参政権付与を阻止したのは、亀井氏一人の手柄と言ってもよい。
そのために御礼申し上げる。
 
 
 
亀井静香よ!ありがとう!
 
そしてお疲れ様
 



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ローマ法王庁の日本人戦犯釈放の取り組み!

 
・日本の国連加盟時の外相は元A級戦犯
・国際社会は日本を受け入れていた!
ローマ法王庁も戦犯釈放に協力していた。
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日本の国連加盟
 
 以前、日本の国連加盟について書いたことがある。
 
「日本の国連加盟」
 
 
 
 国連は戦勝国が作ったもので、日本は加盟が認められなかった。1952年に再独立した後、国連加盟を申請したのであるが、何回も却下された。


 それは必ずしも日本側だけに問題があったのではなく、国際政治に翻弄された部分もあった。
 
 
例えば1955年の加盟の際、米ソの対立で新興国の国連加盟が遅々として進まなかった。その時、カナダが提案したのは18カ国の一括承認案であった。これは1国ずつだと、米ソが拒否権を使うので、承認が進まない。
 
 
そこで18カ国を一括して審議し、全部一括して承認することを目指したのだ。こうすれば多少否定する国があっても、味方の国も承認される。だから拒否権の行使がしにくいという理由であった。
  

その中に日本の名前があったのだ。
  
 
 当時の日本の報道を読むと、もう国連加盟が決まったかのようであった。しかし加盟は決まらなかった。その理由は中国の動向にあった。
 
 
 当時の中国とは現在の台湾政府(いわゆる「国府」で、それに対して現中国は「中共」と呼ばれていた)であった。彼らの動向とは、彼らが拒否権を行使したのだ。
 

 
どういうことかと、この一括案の中に「外モンゴル(現モンゴル)」が入っていたのだ。
 
 
国府は中国全土を自国領だと主張している。そして現在の中国と違い、外モンゴルも自国領だと主張していた。そのためソ連が外モンゴルの加盟を推進することは、自国領に対する侵害だと映ったのだ。
 
 
そして中国(国府)は外モンゴルの加盟について、拒否権を行使したのだ。そのトバッチリにあって、日本は加盟が見送られた。代わりに日本と外モンゴルを除いた16カ国一括承認案が提出され、それが承認された。
 
 
日本の加盟は翌年まで待たねばならなかった。
 
 
 
 しかしこの中で日本の戦犯問題などは全く問題になっていない。その証拠に、国連加盟が認められた時の外相は重光葵だった。彼は元A級戦犯だったのだ。それに対して世界各国は称賛し、日本の承認を認めたのだ。
詳しくは下記を参照してください。
 
「日本の国連加盟」
 
  
このように日本の戦犯に対して、国際世論は寛容だった。もちろん人にもよるだろうが、決して戦犯がいるから日本は反省していないなどとは言わなかったのである。





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ローマ法王庁の戦犯釈放の働きかけ!
 

 その中で特筆する動きがあった。
 
 それはローマ法王庁の日本人戦犯釈放の働きかけだ。
 
 
 当時の記事から見てみよう。
以下は1950年2月20日朝日新聞2面からの引用である。
赤字は筆者
 
 日本戦犯の釈放を要求 法王庁駐日代表語る

 シドニーのサンデーサン紙は十八日、「ローマ法王庁 日本人戦犯の釈放を要求」と題する同紙ヒューズ東京特派員の記事を載せる。
 
  
 この中でローマ法王庁駐日代表が、日本人戦犯の家族と会って、協力を約束している記事が載る。 
 
 ローマ法王庁駐日代表のマクスミラン=デ=フルステンブルグ師は十七日、嘆願にきた日本人婦女子代表に次のように述べている。

 「現在オーストラリア政府に抑留されている日本人戦犯の釈放実現のためには全力を尽くすつもりである。法王庁からもオーストラリア政府に対して同情と寛容とを要請することになろう。」
 
 
 オーストラリアはヨーロッパからの移民が多い。現在でも約六十%がキリスト教徒である。このような国に対してローマ法王庁の影響は強い。そして事実翌年1951年に戦犯裁判が終了する(効果のほどは不明)。ただし全員釈放はもう少し後年になる。
  
 
 先に書いたように、ローマ法王庁が戦犯釈放に協力したが、どこまで影響力があったのかはわからない。しかしここで注目したいのは戦後5年という早い時期に、日本人戦犯に対する釈放に協力していることである。
  
 
 日本人と戦った人が多く生き残っている時代に、ローマ法王庁が戦犯釈放に協力している。こういうことを多くの人は知っているのだろうか?
 
 
 「歴史を知る」ということはこういう事実も知ることではないか?何でも日本は悪かったといって、日本を批判する人が歴史を知っている訳ではないのだ。
 
 
 
むしろ彼らは歴史を偽造しているのである。
 
  

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フィリピンの戦争未亡人と韓国大統領

 
・1955年フィリピンから戦争未亡人が訪日。
・彼女たちは日本を許した
・その時韓国は反日に勤しんでいた。
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フィリピンの戦争未亡人!
 
 前々回、日本の戦争に苦しめられたフィリピンがなぜ反日ではないのか?という記事を書いた。その中でフィリピンは日本と戦って勝ったこと、それ故に歴史を偽造する必要性がなかったこと、それ故に反日教育をする必要性がなかったことを書いた。
 
 
他方、韓国では日本と一緒に連合国と戦っていた事、しかしコリアンの事大主義から戦後はアメリカに事大したこと、それ故に日本と一緒にアメリカと戦ってきたことが、都合が悪かったこと、それ故に「日本と戦って独立した」という歴史をねつ造したことを指摘した。特に当時、反日を「売り」にしていた李承晩が大統領だったこともあり、反日教育を強化してきた。
 
 
 
そして前回、フィリピンは政治リーダーが積極的に反日世論を抑制していた事、対して韓国は政治リーダーが積極的に反日を推奨してきたこと、そして元々反日ではなかった韓国世論も変化していったことを書いた。
 
 
それについては以下の記事を参照。
 
「なぜフィリピンでは反日ではないか?」
 
「韓国との違い!フィリピンのリーダーシップ!」
  
 
 1955年にあった2つの出来事をもとにフィリピンと韓国の2か国を対比してみたい。 
 
 1955年5月7日 朝日新聞7面に以下の記事が載った。 
私は日本をこう見た。フィリピン戦争未亡人の感想
 
 
東南アジア最大の激戦地になったフィリピンでは多くの犠牲者が生まれた。特に民衆はゲリラを組織し、日本に対抗していた。その掃討に手を焼いていた日本軍はかなりひどいこともやった。
 当然のことながら、たくさんの未亡人が生まれた
 
 
その戦争未亡人の一部が、終戦10年の節目に訪日したのだった。そしてその戦争未亡人の感想がこの記事になっている。
 
 
 
記事の続きを見てみよう。  ※赤字は筆者
 
 底に流れる温かさ、苦しみと戦う人に共感

「日本人に対して最も激しい憎悪を持っていた。私は夫を殺され、私自身もひどい目にあった。日本人を見るのも嫌だった。」
 
 
 
この女性は当時42歳。つまり終戦時は32歳だった。夫がいつ殺されたのか書いていないが、まあ若い時分だろう。そして自身も被害になっている。
事実「最も激しい憎しみを持っていた」と述べている。
 
 
この女性が日本に来て、日本人と触れ合うことによって、共感したのだ。フィリピン人も日本人も戦争により被害にあっている。同じ被害者として共感したのだ。
 
 
 
 
そしてこの戦争未亡人一行は靖国神社に向かう
 
 
そう…靖国参拝をしたのだ
  

1955年5月6日 朝日新聞夕刊3面に以下のようにある。
 
フィリピン戦争未亡人 靖国神社にお参り
  
 
 東南アジアで最大の激戦地になり、100万人もの犠牲者を出したフィリピン。その戦争未亡人が靖国神社に参拝しているのだ。
 
 
確かに当時はまだA級戦犯が合祀されていない。しかし多くの英霊が祀られている靖国神社に被害国民の未亡人が参拝している。
 
 

 
実は靖国参拝は、最初の行程にはなかった
  
当然だろう。戦争被害者に、加害者を英霊として祀っている場所を参拝させるなど考える訳がない
 
 
 
しかし未亡人側が特に希望したのだった。
 
 
 
因みにフィリピン国内では、訪日する戦争未亡人への批判もある。それも当然だろう。しかしこのように積極的に日本人と接しようとするフィリピン人も確実にいたのである。
 
 
 前回、フィリピンの政治リーダーが反日世論を抑えようとしたと書いた。
 
 
 だがここで見たように、民間でも努力してきたのだ。
 



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対日往来の禁止!
 
 他方、韓国はその当時どうなっていたのか?
 
 
 韓国は1953年に朝鮮戦争が終結後も平和な時代が戻ったとは言えなかった。戦火は収まっていたが、国民生活は困窮していた。
 
 
1954年11月18日 朝日新聞には以下の記事が載った。
 
生活難に喘ぐ韓国 インフレ悪化す。
 
 
韓国はインフレに苦しんでいた。理由はアメリカの援助の遅れだった。
 
 
なぜ援助が遅れたのかというと、アメリカは韓国に援助するにあたり、日本からの購入を勧めていた。しかし李承晩大統領はそれを拒否した。
 
 
日本に対する嫌がらせのためである。国民の生活より、反日を優先する李承晩らしい行動である。これなら日本の統治時代の方がずっと良かったと言われても仕方がない。
  
 
そしてフィリピン戦争未亡人が訪日した1955年には、韓国人の対日往来禁止を発表した。8月17日のことである。
 
 
理由は北朝鮮寄りの在日コリアンが入ってくることを阻止するためであるが、本当の理由は翌56年に控えた大統領選挙のためである。
対立候補が「日本との国交正常化を進めるべき」と主張していたので、その対抗として往来禁止にしたのだ。李承晩曰く「日本から選挙資金が入ってくる」と警戒していたとのこと。 
 
 
それも事実ではないのだが…。
 
 
 国民の生活は無視して、自分の地位を維持することのみに腐心するリーダー、それが李承晩大統領であった。まあ自己中心的なコリアンには相応しいかもしれないが、彼のようなリーダーが反日を煽ってきたのである。
 
 
 フィリピン戦争未亡人の対応と比べると、格段の違いである。こんな国と仲良くできる訳がないだろう。


 日韓関係の悪化の原因は、韓国の反日政策である。そしてその責任は一方的に韓国側にある。日本ではない
 






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見習うべき国 アメリカと中国

 
 
・事大主義には誠意を示してはダメ
・2005年の3月に激烈な反日演説を行った。
・日本は誠意を示すから韓国からタカラレる
・日本はアメリカや中国に学ぶべき
 
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実家にて!
 
筆者は3連休の日曜日から月曜日と実家に帰った。
 
実家では犬を飼っている。室内犬である。われわれが食事をしている時には周りにいる。実家には老夫婦が2人(つまり父と母)いるが、私と母が食事をしていると、その犬は大人しくしている。しかし父親が帰ってくると、俄然ハッスルしだす。
 
 
「何か食べ物をくれ」という訳である。
 
 
 私や母親はくれないことが分かっているので、無駄な努力はしない。しかし父親は甘いのでねだればくれることを知っている。一生懸命主張してもくれない人には何もしない。でもくれそうな人には最大限努力をする。
  
 なかなか頭の良い犬である。
 
 というか普通の犬がやることだと思う。ましてや人間ならなおのことだ。
 
 
 
 
 
アメリカの対応
 
以前、筆者はアメリカの韓国への対応を記事にしたことがある。それは朝鮮戦争中のノグンリの虐殺についてで、無抵抗の老人や女子供を米軍が一方的に殺害した事件である。その死者は300人以上と言われる。
 
 
何の罪もない民間人を、全くの無抵抗であるにもかかわらず殺害した。まさにベトナム戦争のソンミ村虐殺事件を髣髴する事件である。
 
 
 
因みにソンミ村事件は明確な軍命令は出ていなかったようだが、ノグンリ事件は第25師団長のウィリアム=キーン少将による「戦闘地域に移動するすべての民間人を敵とみなして発砲せよ」という命令に基づいて行われた。
 
 
しかしアメリカは全く謝罪していない
 
 
 アメリカは独自の調査の結果、「軍命令は確認できない」として、韓国の要求する謝罪と補償を拒否した
 
 
 因みに「軍命令」は当時の兵士がアメリカのメディアに「命令はあった」と証言しているが、アメリカ政府は無視した。
 
これらの顛末は以下参照

「アメリカの対応(1)」

「アメリカの対応(2)」
 
 
 
 韓国の要求をアメリカは断ったが、現在の米韓関係は悪くない。
 
つまり韓国はアメリカには全く歴史を問題視していないのである。
 



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なぜアメリカには言わないか?
 
 なぜ日本には執拗に歴史問題を取り上げて、アメリカには取り上げないのであろうか?あっさり引き下がるのであろうか?
 
 
 それはこれが差別だからである。
 
 
 何度も書いているが、差別は楽しいのである。いじめは面白いのである。ジャイアンはイライラするとのび太をいじめる。そうするとスッキリするのである。
 
 
 韓国人は日常の不満をぶつける先に日本をターゲットにする。
それには元々あった日本に対す蔑視思想に、李承晩政権以来の反日教育が付加され、反日は国是となった。その図式に多くの国民は迎合し、「反日は楽しい」という娯楽化をするようになった。
 
 
それを良心的日本人が迎合することによって、楽しさを倍増させているのである。
 
 
 
 つまり日本に対して歴史問題を取り上げるのは、日本が譲歩するからである。だから取り上げるのである。
 
 
 逆にアメリカは全く譲歩しないからである。だから取り上げないのだ。
 


 
 
 歴史問題を取り上げても日本が譲歩するのは面白い。でも取り上げても「関係あるか!」と言われるのは面白くない。だから譲歩しない国には取り上げないのである。
 
 
 
 


 
中国でも!
 
 これは中国に対してもそうである。中国が朝鮮戦争時に参入しなければ、北朝鮮と韓国は統一できていたのである。そうすれば、北朝鮮人民は現在飢え苦しむことはなかったのである。
 
 
 しかし現在、韓国は中国に対して歴史問題を取り上げていない。今後も取り上げることはないだろう。それは、中国は反発するからである。
 
 
 実はこれは韓国だけではない。イギリスは以前チベットの最高指導者ダライラマと会談した。それに対して中国は激しく反発した。そして今年、中国に迎合して中英間で首脳会談を行った。イギリスは欧州で一番の中国の取引先である。だから金で転んだのである。
 
 
 首脳会談では中国の人権には一切何も言わず、バッキンガム宮殿に宿泊させたりもした。その見返りに多額の取引を成立させた。
 
 
 ノーベル賞財団は以前、中国の人権活動家にノーベル平和賞を送った。それに対して、中国は特にノルウェーに対して圧力を加えた。
 
 
 その結果、のちにノーベル文学賞をとり、今年はノーベル医学・生理学賞を獲得した。
 
 
 この2人は立派な業績があったのであろうが、それだけでノーベル賞をとったのではないと思うのは穿った見方であろうか。
 
 
 
 結局、韓国や中国に対して、反論しないで迎合するというのが、物事を悪化させているのだ。特に韓国にとって、歴史問題などはどうでもいいのだ。慰安婦なんてどうでもいいのだ。ただ単に日本に因縁つけられれば何でもいいのである
 
 
 
 実家の犬もエサをくれるから吠えるのである。私や母親だけの時には大人しくしている。しかし父親は吠えるとくれるので、何度も吠えるのである。
 
 
 
 どこかの隣国も同様である。 
 
 
 
 
アメリカにはなぜ言わないか?中国にはなぜ言わないのか?
 
 我々は、アメリカや中国をもっと見習うべきだ






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韓国の要求にはイギリスの様に対応すべきだ。イギリスに学べ!



・大英博物館にあるロゼッタストーン
・エジプトの返還要求を拒否する。
・イギリスを見習い、韓国の要求を拒否しろ。
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世紀の発見
 
ロゼッタストーンというものをご存じだろうか? 
 
エジプトのロゼッタで、1799年に発見されたもので、エジプトの古代文字 ヒエログリフを理解する鍵になった巨石である。
 

 
このロゼッタストーンは元々フランスのナポレオンがエジプトの遠征した時に発見したものであるが、のちにイギリスが占拠し自国に持ち帰った。
  
現在では大英博物館に展示されている。
 
 
 


返還要求!そして拒否!
 
1996年7月10日 朝日新聞夕刊の14面に以下の記事が載った。
 
英「ロゼッタストーン返さぬ」 

エジプトから要求が出ていた大英博物館に所有されているヒエログリフが記された石碑「ロゼッタストーン」をイギリス側が返還を拒否した

ロゼッタストーンはナポレオンが1799年にエジプトに遠征した際に発見、紀元前196年に作られた。

19世紀初めに英軍に引き渡されて、現在、大英博物館に展示されている。
 ※赤字は筆者
 
 
エジプトから返還するように要求されているが、イギリス側がきっぱりとっていることが分かる。
ロゼッタストーンはナポレオン軍が見つけたものをイギリスが横取りしたものとはいえ、元々はエジプトのものである。
 
 
 
エジプト側は2003年にも返還要求をしている。その時には 
イギリスが歴史に見放されたくないならば、名誉を回復したいならば、自発的にロゼッタストーンを返還すべきだ!
 
という主張に対して、 
これらの博物館は一国だけではなく、世界中の人々に開かれている
 
と反論し、返還要求を拒絶している。
  
 
歴史に見はなされたくなければ……か!
  
なんかコリアンのセリフみたいだなぁ!


 
 
 

他方…日本は
 
2006年当時の廬武鉉政権下で、朝鮮王室儀軌に返還運動が行われた。そして民主党政権下の2010年。日韓併合100周年を記念して、朝鮮王室儀軌の引き渡しが行われた。
 
 実際に引き渡されたのは2011年10月19日で、当時の野田佳彦首相と李明博大統領の間で行われたが、
 
日本側は「日韓友好に資する」と朝鮮王室儀軌を引き渡したものの、当時の李明博政権は「取り戻した」として対日外交の勝利と位置づけた。
2014年1月22日 産経新聞
 
つまり日本側は1965年の日韓基本条約で終了しているので、返還する必要はないが、日韓友好のため「引き渡す」。しかし韓国側は「とり返した」と主張し、日本の主張を否定している。
 
こういう言動は韓国側に誤ったメッセージを与える。
 
 

 
 
エスカレートする返還要求
 
2012年5月19日 産経新聞では以下の記事が載った。
 
文化財「返還」要求相次ぐ 「朝鮮儀軌」引き渡し逆効果
 
 政府が昨年末、韓国政府の歓心を得ようと朝鮮半島由来の図書「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を引き渡したことが逆効果を生んでいる。これをきっかけに、韓国側から朝鮮半島由来の文化財「返還」を求める動きが相次いでいるのだ。菅直人前首相が平成22年の日韓併合100年の談話で日本側に何ら義務がないのに引き渡しを表明し、その路線を野田佳彦首相が踏襲した結果、かえって日韓間に新たな軋轢(あつれき)が生じる事態となった
 ※赤字は筆者
 
まったく馬鹿なことをやったものである。必要ないにもかかわらず、文化財の引き渡しを行い、ますます問題を大きくしている。
  
大体、こう言う発想には
  
日本が持っている半島由来の文化財はすべて日本が盗んだものである。
  
という偏見があるからできるのだろう。
  
 
コリアンは誠意をもって対応すれば必ず踏みにじるのだから、条約を盾にビジネスライクに対応するに限る。
 
 
我々はイギリスに学ばなければならない。
 





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