◎戦前の福岡県の会議資料
◎コリアンが侮蔑と感じる言葉は?
◎コリアンが「差別」と感じる意外な意味。
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
私は1950年代から80年代までの
朝日新聞の韓国関連の記事を、全て目を通しました。
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◎徴用工判決!
韓国で徴用工の判決が相次いでいる。
10月30日には新日鉄住金へ、11月29日には三菱重工業への判決が出た。これは韓国の最高裁である大法院判決なので、確定判決となる。
韓国では引き続き、同様の裁判が続いており、約70社が対象となっている。これらも全て原告勝訴、日本側敗訴の判決が出ることは確実となった。
徴用工として日本で働いた人たちは口々に日本への恨みを述べていた。その中には日本の差別的な扱いを批判する向きもあった。
このような発言を聞くと、韓国人(日本統治時代は「朝鮮人」)は日本への差別を恨んでいるのだと思うかもしれない。
実はここに誤解がある。
当時の朝鮮人は日本への差別を別の意味で使っていたのだ。
※筆者は韓国人ではなく「コリアン」という言葉を使う。これは朝鮮半島出身者の民族的性格を指摘するのに「韓国人」だと、北朝鮮などが入らず不適切だからである。
そして「朝鮮人」と書くと、「侮蔑の言葉」と捉われる可能性があるので、コリアンという言葉を使っている。
ただし今回は内容に支障をきたすので「朝鮮人」を使用する。
※以下は朴慶植編「在日朝鮮人関係資料集成 第四巻」より引用。
※以下の赤字は筆者
◎「朝鮮人」は侮蔑の言葉!
まだ太平洋戦争も始まっていない1939年(昭和14年)。福岡地方裁判所である会議が行われた。
目的は朝鮮人と日本人のトラブルを無くすため、両者がうまくやっている箇所の責任者を呼んで、そのケーススタディをヒアリングすることだった。
会議には福岡県の特高警察や県の職員、工場、農村、小学校の校長などが参加した。
この参加者は福岡では、比較的朝鮮人と関係の深い人たちで、特に民間人は日鮮の融和ができている箇所の人たちだった。
会議は朝の10時半から夕方4時半まで、休憩を挟んで行われた。その中には当時の日本にいる朝鮮人の言動が、日本側関係者の証言として取り上げられており、非常に興味深い。
特に民間人は日常から朝鮮人と接しているので、参考になる話がたくさん含まれている。
先に福岡県のことを書くと福岡県は朝鮮半島から来日する朝鮮人の入口で、1939年当時の朝鮮人人口は60,105名。全国で5番目に多い県だった。
そこでは多くの朝鮮人と日本人が共生しており、成功例も多々あった。
そこでこのような話があった。
彼らは「朝鮮人」を侮蔑の言葉と思っているのだ。
例えば八幡協和会館長の木戸重光氏は
「朝鮮人」と云ふことを一つの侮蔑言語として使って居る向があります。
と述べており、また貝島鉱業の羽田野重徳氏も
幹部の者に内地の者が使ふ言葉で一番癪に障る言葉は何かと聞いた処が、「朝鮮人」「半島人」と云はれるのが一番癪に障ると云ふ
と述べている。
彼ら朝鮮人は、内地人(日本人)から「朝鮮人」「半島人」と言われるのが頭にくるのだ。因みに北九州では鉱山も多く、一緒に居住している。そのため日本人と朝鮮人がいがみ合っていてはよろしくないので、その調整が図られている。
◎当時の朝鮮人の差別意識!
このように朝鮮人は、日本人から「朝鮮人」と言われるのが癪に障る。これは朝鮮人には「差別」だと認識される。
この差別とは、現代の我々からすると、日本人が見下していることへの差別意識だと思うかもしれない。
実はそうではない!
先程の「朝鮮人」という言葉を聞いた彼らは、別の意味で「差別」を感じていた。
それは日本人から除外されているという意味だ。
先程の貝島鉱業の羽田野氏によると、朝鮮人は「日本人から除外されていると思う」そうだ。彼らはこう言う「同じ天皇陛下の赤子ではないか」と。それなのに「異国人の様に」呼ばれることに腹を立てるのだ。
日本人から差別されているとは、同じ天皇陛下の赤子であるのに、「朝鮮人」とは日本人から除外された風に感じるので、怒っているのだ。
つまり彼らは“立派な皇国臣民”であると認めてもらいたかったのだ。
◎対策は「の」を入れること!
このような朝鮮人の要望を聞いて、羽田野氏は彼らに対策を聞いた。そうすると意外な回答があった。それを以下に引用する。
では一体どう云へばいいのと云へば、その間に「の」を入れればいい。内地人でも朝鮮人でも同じ陛下の赤子である。我々を呼ぶのに何か異国人の様に「朝鮮人」「半島人」と云はれることは一番癪に障る。
この間に「の」と云ふ字を入れて「朝鮮の人」「半島の人」と云って呉れればいい感じを持つと云ふことを聞かされたのであります。それで我々の部落では「朝鮮の人」「半島の人」と呼ぶことにして居ります。それ非常に喜ばれて居ります。
何と朝鮮人は、間に「の」を入れればよいという。「朝鮮人」ではなく、「朝鮮の人」と云えば、それは地域を指すので問題ない。「朝鮮出身の人」という意味だ。
しかし朝鮮人では「日本人ではない」と受け止められるので差別と捉える。それ故に天皇陛下の赤子である自分達も、同じ日本人を受け入れて欲しいので地域を指す「朝鮮の人」と「の」を入れることを求めたのだ。
因みにこの話を聞いた福岡県特高課長の後藤氏は「いいことを承りました」と感心していた。
この事例だけで判断するのは危険だが、少なくとも福岡の一部の朝鮮人は「天皇陛下の赤子」と呼ばれることを喜んでいた。
今回の徴用工判決では、多くの原告が日本への恨みを述べていた。しかしこれを見る限り、当時の朝鮮人は「日本人になりたかった」のではないか?
今回は文字の制限からほかの事例を引用できないが、仲良くやっていた事例も随分ある。このようなことをマスコミはなぜ報道しないのだろうか?
1939年の福岡県検察資料のもう少し詳しい内容はこちら
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