沈丁花の「反日は差別なり」

なぜ日韓関係が悪いのか?その原因は韓国の反日にある。 そして反日とは差別であるということを説明します。 その他中国を始めとする国際ネタ。国内政治ネタも少し触れます。 沈丁花(ちんちょうげ)とはブログ主の子供の頃のあだ名です。それ故に決して(じんちょうげ)とは読まないでください。

コリアゲート事件

沈丁花の名前で動画チャンネルもやっています。
2月17日更新 ぜひご覧ください。

日本共産党の松竹氏への除名処分は47年前に予言されていた。
「(共産党)松竹氏の除名処分は47年前に予言されていた!」
https://www.youtube.com/watch?v=gaRaQkd_wCY

コリアゲート事件(番外編)  金炯旭氏の失踪!

 
 
・金炯旭氏は1年後に失踪する
・KCIAの殺されたというのが定説である!
・人間死ぬ時に真価が分かる!
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  「コリアゲート事件(6) アメリカ議会の幕引き」はこちら


 過去6回において、コリアゲート事件を取り上げた。コリアゲート事件とは1970年代に起きた韓国によるアメリカ議会の買収事件である。この買収には韓国人実業家がKCIAと結託して行っており、中には韓国の駐米大使が直接関係していたケースもあった。まさに韓国政府の国ぐるみの買収工作であった。


そしてその証言はアメリカ政府だけではなく、日本政府も揺るがせた。アメリカ議会における発言で数々の日韓癒着が暴かれたからである。しかしアメリカ議会と違って、日本の議会、特に自民党は疑惑の解明に後ろ向きな姿勢に終始した。
 
 
 そのことに関しては以下参照。
 
 
 
コリアゲート事件については、中間選挙を前にしたアメリカ議員の消極的姿勢によって、腰砕けで終わった。日本の議会に比べれば、はるかに仕事をしたとは言え、釈然としないものが残る
 
その理由の一つは、元KCIA部長で、アメリカへの亡命者である金炯旭(キムヒョンウク)氏の有罪判決あった。アメリカ議会証言で主導的役割を果たした金氏が関税法違反で逮捕され、多くの支持者が失望した。これがコリアゲート幕引きのきっかけの一つになったことは否めない。
 
 
ここではその後の金炯旭氏の動向を見ていこう。






金炯旭氏の失踪!
 
 実は金炯旭氏は失踪したのだ。

事件が起きたのはコリアゲート事件が幕引きされてから約1年後、1979年10月7日だった。金炯旭氏が失踪したのはパリ。彼は10月の初めごろからフランスに来ていた。かれは年に数回フランスに行っていた。どうやらKCIA部長時代に蓄財した資金がヨーロッパにあるらしく、それを取りに来ていたのだ。そういえば彼が捕まった時も多量の資金を不正に持ち込もうとしたことが理由だった。
 
 
 
 彼の行動を、当時の新聞から追ってみると、10月の初めごろからフランスに入り、高級ホテルの「リッツ」や「インターナショナル」に宿泊していた。しかしなぜか7日朝になってシャンゼリゼにあるウエストエンドホテルに移動。そこに午前10時にチェックインした。このホテルは比較的目立たないホテルである。
 
 
 そのチェックイン直後に金炯旭氏は別のアジア系人物と接触しているのをホテルのメイドが確認している。ホテルの部屋にはスーツケースとゴルフバッグがおいてあり、戻る予定だったことを伺わせている。
 
 
 その後、パリ市内のカジノ「「ル・グラン・セルク」に行き、午後7時ごろまでいたことが確認されている。このカジノは金氏のおなじみの場所で、カジノマネージャーも「常連であった」ことを認めている。今回のパリ来訪でも何度か来ている。
 
 
 その後の足取りはつかめていない。そして家族からの問い合わせで、パリ警視庁が捜索をすることになった。
 



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謎のアジア系人物!
 
 ホテルのメイドが見たアジア系人物とは誰なのか?
 
 この人物は当時の駐フランス公使李相烈と思われる(メイドが写真で確認)。現在ではこれがほぼ定説になっている。李相列はKCIAの一員であり、実は金炯旭氏の直属の部下であった。そして今回のパリ旅行中に3回会っていることが確認されている。そしてその疑惑が報道されると、李相烈は韓国に帰国した。
 
 
 現在ではKCIAによる謀殺であることがほぼ確定している。KCIAの後進組織である韓国国家情報院が2005年に報告した内容ではそうなっている。しかし肝心の人物の証言が取れなく、少数の証言を重要視しすぎている部分があり、完全に信頼できる報告書ではない。しかしほぼ間違いないだろうというのが現在の状況である。
 
 
 しかし韓国は他国に工作員を送り込んで勝手に殺害したり、拉致をしたりとやりたい放題である。そういう意味では北朝鮮と変わらない
 


 
 
 
 
家族の依頼!
 
 しかし当時、金炯旭氏の生死はまだわからなかった。金氏は家族とともにアメリカのニュージャージー州に住んでいた。
 
 
 家族はパリに出向き、パリ警視庁に捜索を依頼。そして心当たりも独自に探している。しかし結局居所がつかめないまま、アメリカに帰国している。
 
 
 それからこの事件は取り上げられなくなった。しかし事件から1年半後、急に金炯旭氏の名前が新聞紙上に現れる
  
 それは金炯旭氏の死亡宣告であった。
  
 
 ニュージャージー州の法律では失踪後5年で死亡宣告が出る。
しかし裁判所は
1年半で認めた。それはなぜか
 
 
 
実は遺産相続が絡んでいたのだ。
 
 金氏はKCIA時代の蓄財で約2千万ドル(約40億円)の財産がある。それを奥さんと3人の子供で分けたいのだ。
 
そのため早く死亡宣告をする必要があったのだ。

 
しかし5年待てば自然に死亡宣告ができるのに、1年半で…とは。
 
 
なんか日本人には信じられない感覚だ。
 
 
 
そしてこの蓄財のおかげで韓国系の中では非常に評判が悪い
 
 
人間は死ぬ時に真価が分かるという。


全くその通り






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コリアゲート事件(6) アメリカ議会の幕引き

 
・金炯旭の有罪判決で潮目が変わる
・米議会は中間選挙モードに入る!
・結局、コリアゲートは闇のままだった!
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 過去5回において、1970年代の韓国によるアメリカ議会の買収事件を取り上げた。これは「コリアゲート」事件といわれ、当時のアメリカだけでなく、日本の政界をも揺るがした事件であった。
 
 
そして前回は国際的に孤立する韓国政府。その中で唯一韓国に気を使っていた日本に対して、韓国のとった行動は反日政策(領海の3カイリから12カイリへの拡大)であったことを書いた。
 
 
今回は約1年半アメリカ議会を騒がせた「コリアゲート事件」の幕引きの様子を見てみよう。
 
 
 
 
 
金炯旭の有罪判決!
 
 1976年10月 ワシントンポストが「朴東宣の疑惑」を報じた。その後12月にアメリカの若手議員が徹底調査を要請。その後、約1年半に渡って議会は調査を主導してきた。
 
 
 1978年6月になると潮目が変わる。そのきっかけになった事件は元KCIA部長金炯旭(キムヒョンウク)氏の有罪判決だった。
 
 
金炯旭氏と言えば前年の6月アメリカ議会で証言し、金大中事件はKCIAの謀略であることを暴露した張本人である。その発言にアメリカはもとより、日本の政財界は騒然となった。
 
詳しくはコリアゲート事件(2)を参照のこと。
  
 
 金炯旭氏はアメリカ議会の活動に協力していた。証言もたくさんした。
その金氏がアメリカで有罪判決を受けた。
 
 それはどういうことか?
 
 実は金炯旭氏はこの年の初め、関税法違反で逮捕されていたのだ。関税法違反とは何をやっていたのかというと、7万5千ドルもの金をパリから秘かに持ち込み、アメリカの税関で捕まったのだ。
 
 
 そしてその判決が6月にあった。当時の記事から引用する。 
 
1978年6月26日朝日新聞7面
 
金炯旭氏 米関税法違反で有罪 7万5千ドルを秘かに持ち込む
 
 
 記事によると、札束を足首に巻き付けて入国しようとしたようだ。その時の歩き方がおかしいことに気が付いた税関職員が発見し、逮捕となった。
 
  
この件では翌月来日した金明子氏が、
日本の議員に対して金氏の信用が失墜したことを証言している。
  1978年7月6日 朝日新聞3面
 
関税法違反の金炯旭氏 信用まったく失墜
  
 
 事実、この時から議会の潮目が変わる
 



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アメリカ議会の変化!
 
 7月15日の報道では「4議員を懲戒審判へ」となっている。
 
 
 一時は100人以上のアメリカ議員の関与が疑われたのだが、
たった4人でお茶を濁そうとしている。この変化は何を意味するのか。
 
 
 実は金炯旭氏の有罪判決はキッカケに過ぎない。事実、金氏の証言自体は何ら間違っていないのだ。金大中事件はKCIAの謀略であることは、本日確定している。その指揮を執ったのが李厚洛(イ=フラク)であることもほぼ間違いないと言われる。
 
 
つまり議会証言については嘘ではないのだ。ただその立場を利用して、最低の行為をしていただけなのだ。
 
 
 まあコリアンらしいというべきか!
 
  
ではなぜアメリカ議会が変化したのかというと、それは中間選挙が近づいたからだ。
 
 
そのため身の潔白を早く晴らしたいという議員が続出したのだ。
  


 だからいつまでも調査を続けることには反対という雰囲気が醸成されていた。そこに飛び出したのが、金氏の有罪判決だった。
 
 
そしてジャウォスキ氏が辞任するという報道が出る。コリアゲート事件で追及の急先鋒だった法律顧問ジャウォスキ氏の辞任は幕引きの象徴となった。
 
 
そして1978年7月29日 朝日新聞夕刊2面に以下の記事が載った。
 
打ち切りを宣言 金東祥証言得られず。
 
 
 
そして8月3日朝日新聞夕刊3面には
 
対韓援助 原案通りに可決
  
 
 結局、韓国への経済援助案について、原案通りに可決させた。もうアメリカ議会はコリアゲートに熱心ではないのだ。
 
 
 秋には中間選挙がある。早く幕引きさせたいという意識が、この結果に繋がったのだ。事実、現職議員の3人が戒告という「極めて軽い(米紙の表現)処分になった。
 
 
 
アメリカの議員も痛い腹を探られなくなかったのだろう。しかしコリアゲートに全く触れなかった日本の議会に比べれば、一応調べたのだから評価できる部分もある。
  
 結論は全く物足りないが!
 



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コリアゲート事件(5) 国際的に孤立する韓国がとった行動とは?


・世界から孤立する韓国!
・追及を避け、韓国を支える日本!
・そんな日本に対して韓国が行ったことは!
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 過去4回において、1970年代の韓国によるアメリカ議会の買収事件を取り上げた。これは「コリアゲート」事件といわれ、当時のアメリカだけでなく、日本の政界をも揺るがした事件であった。
 
 
 
そして前回はアメリカ議会が経済援助の削減までチラつかせて、中心人物の朴東宣氏の議会証言を引き出したこと、そして元駐米大使の金東祥氏の喚問まで求めたことを書いた。
 
 
今回は当時の日本政府が何をやっていたのかを見ていこう。
 
 
 
 
 
日本政府の対応!
 
 以前、コリアゲート事件で証言した元KCIA部長金炯旭(キムヒョンウク)について書いた。彼はアメリカ議会証言で、「金大中事件はKCIAの仕業であり、日本の警察もそれを知っていた」と述べた。
 
 
 
 
 それに対してすでに政治決着している金大中事件の蒸し返しを恐れる日本政府は「新たな証拠がなければ、政治決着の見直しができない(福田首相)」と述べて、見直しに後ろ向きな姿勢を示した。
  
 それ以外にも韓国地下鉄工事に絡むスキャンダルや日本の国会議員への買収疑惑が相次ぐが、日本政府の動きは重い
 
 
 それはアメリカと比べ物にならないほど、日本は韓国と癒着していたからである。金をもらっている人は枚挙にいとまがなく、さらに昔の満州人脈から日本の政財界との関係は深かった。例えば朴正煕大統領や丁一権元首相などは陸軍士官学校卒業であり、のちに満州軍に配属されている。旧日本軍人などとも知り合いだった。日本側も岸信介元首相を始め、満州人脈は多数存在する。
 
 
 このような「黒い人脈」は日本政府をして、韓国への追求を困難にさせていた。
 
 



米朝接近!
 
 韓国の国際状況は最悪だった。アメリカ議会でコリアゲート事件の追求が進み、米韓関係が悪化した。アメリカは援助全面削減まで言い出す始末である。そのため朴東宣氏の議会証言も韓国は飲まなけばいけない始末である。
さらに国際社会では民主化弾圧をする韓国を西側最悪の独裁体制と非難している。
 


 
そしてさらに韓国に追い打ちをかける事件があった。なんと不倶戴天の敵である北朝鮮とアメリカが接近したのだ。
 
 
1978年4月21日の朝日新聞に以下の記事が載った。
深まる韓国の孤立感 米・北朝鮮のピンポン外交
 

 
記事の中身は北朝鮮平壌で行われる卓球大会に、アメリカの卓球代表団が派遣されるというものであった。
これに韓国は抗議をした。コリアゲートへの意趣返しだろう…と。それに対してアメリカ側は「たまたまだ!」と返答したという。
  
 
 それはないわ(笑)!
 
 
こういう状況の中で、金大中事件や日韓地下鉄スキャンダルが発覚しても日本政府は韓国に遠慮して、追及してこなかった。
  
 それに対して韓国は何をやったのか
 
 
 
 
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12カイリへの拡大!
 
 韓国は領海を3カイリから12カイリへと拡大したのだ。 
 
 これはどういうことかというと、竹島沖の4カイリでは日本漁船が漁を行っていた。韓国の領海は3カイリだったので、領土問題云々はさておき、長年に渡って実施してきたのだ。
 
 
3月4月は禁漁期間なので、5月から禁漁明けになる。ここはイカが豊富にとれる場所である。それを禁漁明けの5月から領海を12カイリに広げると通告してきたのだ。
 
 
これまでも竹島周辺では日本漁船は操業していた。日本政府も
 
○恩田政府委員 従来からあの周辺では、相当数のイカ釣り漁船が接近して操業しておったわけでございます。  ~略~ 
 ※1978年5月9日 衆議院内閣委員会
 
 
 と…認めている。 
 
 
 それを一方的に12カイリに拡大し、日本漁船を占めだした。そのため軍艦まで動員したのだ。
 
 
韓国が国際的に孤立する中で、唯一日本だけが非難を抑えていた。その返礼がこれなのである
 
 
 アメリカは、コリアゲート事件の解決に非協力的な韓国に、経済援助の全面削減をチラつかせて圧力を加えた。
  
 対して日本政府はどうしたのか?経済制裁を求める一部議員に対し、 
 
 対韓援助は改めて交渉。官房長官(安倍)語る。竹島とは関係ない。話し合い続ける
 ※1978年6月19日朝日新聞夕刊2面  ※赤字は筆者
 
  
国際的に孤立している中でも反日は人気回復の手段である。国際的に孤立し、国内からの民主化要求も強まっている朴正煕政権は反日に活路を見出した
 
 
それに対して日本政府は経済援助停止のような強い手を打てなかった。
 
 
 だから韓国から甘く見られるのだ。
  
 因みに官房長官(安倍)とは現首相の父親安倍晋太郎である。
 

 
 コリアゲート事件に揺れる韓国に対して、アメリカと日本のとった対応は対称的である。そして韓国がとった行動も対称的である。
 
 
 強く出るアメリカには迎合し、迎合する日本に対しては強く出る。これこそがコリアンなのである。
 

しかし…そんなアメリカも幕引きをする。それもあっけなく。次回はコリアゲート事件を幕引きの様子を見ていこう。
 
 


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コリアゲート事件(4) 朴東宣証言と対韓援助全面削減!


・朴東宣氏の喚問を巡って米韓で綱引き
・朴東宣証言は個人的行為と主張!
・米議会は韓国援助を全面削減すると脅した。
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  過去3回において、1970年代の韓国によるアメリカ議会の買収事件を取り上げた。これは「コリアゲート」事件といわれ、当時のアメリカだけでなく、日本の政界をも揺るがした事件であった。
 
  
そして前回はコリアゲート事件の中でも当時の韓国駐米大使金東祥が直接金を運び、議員買収に手を染めていたことを書いた。 
 
今回はこの事件の火付け役 韓国人実業家の朴東宣氏の動向について書いていきたい。
 
 
 
 
 
米韓での綱引き
 
 朴東宣氏はそのとき何をやっていたのか?
 
 実は彼は韓国に帰っていた。アメリカ議会では事件の全容解明には朴東宣氏の証言が必要だと主張し、韓国とアメリカ政府の間で証言を「するか」「しないか」で綱引きが行われた。
 
 
 アメリカでは下院議会が韓国政府の調査協力を満場一致(賛成407、反対0)で決議した。しかし韓国政府は拒否。それはそうだろう。変な証言が飛び出しかねないから。
 
 
 しかも朴東宣氏のパートナーだった元議員ハンナ氏は裁判で有罪を認めてしまった。つまり韓国政府による工作であると認めたのだ。
 これは韓国政府としては痛い失点だった。
  
 
 最初は第三国や韓国内での秘密尋問が予定され、事実そのように行われたのだが、アメリカ議会は承服せず、公開された議会での証言を求めた。
  
 何とか拒否したい韓国政府。しかし遂に証言をすることになった。それは当時の韓国政府はアメリカの援助を望んでいたからであった。
 
 
 アメリカは援助の停止までチラつかせて韓国政府に迫ったのだ。これが効いたのか朴東宣氏の議会証言を認めた。
 
 


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朴東宣氏の米議会証言!
 
 先に書いたように、元米議員のハンナ氏は朴東宣のパートナーであった。そのハンナ氏がKCIAによる買収を裁判の場で認めているのだ。
 
 
 実は朴東宣氏の証言は、ハンナ氏の裁判に必要な証人だった。しかしハンナ氏は早々に買収工作自体を認めたので、朴東宣氏の証言は必要ない。そこで米下院は主客を逆転し、朴東宣氏の買収立証のために、ハンナ証言を使用した。
  
 
 そして朴東宣氏の議会証言が行われた。4月3日からである。
  
 そこで朴東宣の主張を要約して引用すると、
 
・約30議員に85万ドル配った。
 
・当時の大統領、ニクソン陣営も他議員を介して2万ドル配った。
 
・しかしKCIAとの共謀はない
 
・韓国政府も関係ない
 
・全てビジネスマンとして個人的に行ったことだ。
 
 

 
つまり朴東宣がビジネスを拡大させるために行ったもので、不正かもしれないが、全く個人的な行為である。
KCIAや韓国政府とは全く関係ない
 
 
というものだった。
 
 
 
 パートナーのハンナ議員や元KCIAの金相根氏が認めているのに、あくまで個人的な行為としらばっくれたのだった。
 
 
 
 
 
金東祥喚問と援助全面凍結決議!
 
 その後、米下院倫理委員会は朴東宣に対して、元使用人や朴の秘密文書も証拠提出したが、「文書がどうしてあるのかわからない」などと言い、最後まで認めなかった。
 
 
 しかしその対応は米議会の心証を著しく悪化させた。下院倫理委員会で追及の急先鋒であるジャウォスキ法律顧問は「朴東宣氏は韓国の工作員」と断定する声明まで出した。
  

 そして前回取り上げた韓国の元駐米大使金東祥を議会に呼んで証言させるように主張した。
 
 
 そしてなんと米下院国際委員会が「金東祚の議会証言容認」を可決するのだ。外交官特権で守られた人物を議会に呼んで証言させるとはアメリカ議会も思い切ったことをしたものである。
これにはさすがのアメリカ国務省も遺憾を表明し、金東祚の議会証言を批判した。
 
 
 それに対して米下院は「対韓食糧援助の全面削減を決議した。つまり金東祥の喚問を認めないと援助の審議は拒否するとしたのだ。
 
  
「全面削減」とは…やるなぁ
   
 
 
しかし…さすがにこれはやりすぎだった。先に書いたように金東祚は外交官である。特権で守られている。
 
 
もしこれを強行すれば、アメリカの外交官も他国の議会で証言をさせられる可能性がある。そしてアメリカのCIAも外交官を隠れ蓑に、やりたい放題やっているのが実情だった。明日は我が身である。
  
 
だから金東祥喚問は元々無理筋だった。
 
 
しかしその甲斐あって金東祥は大統領特別補佐官を辞職することになった。アメリカは自国に加えられた反米行為に対しては徹底的に反対する。いい加減なところでお茶を濁すことをしないのだ。
  
 
しかしそういう国もある
 
 
我々がよく知る国で、韓国の不当な要求に迎合し、不正行為に一切モノが言えない国が。
 
 
 
 この時期日本政府はどういう対応をしていたのか?次回はその部分を見てみよう。
 
 



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コリアゲート事件(3) 駐米大使 直々の買収!



・元KCIAの金相根氏他の証言!
・KCIAは実業家を使って、買収していた。
・駐米大使も直々に買収していた。
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「コリアゲート事件(2) 日本への衝撃!」はこちら

 
 前回、前々回と1970年代に行われた韓国KCIA主導のアメリカ政界買収事件であるコリアゲート事件を取り上げた。

 前回は元KCIA部長の金炯旭氏の証言を見てきた。しかし彼はアメリカ工作が活発化した時には既にKCIAを去っていたので、詳しいことは知らなかった。
 
 
今回は実際にアメリカの議会工作をしていた人物を呼んで証言させた。それが前々回に書いた金相根氏である。彼はKCIAのNo.2だった。
 
金相根氏については前々回の記事を参照

 
 
 
 
白い雪作戦!
 
 では実際にKCIANo.2であった金相根氏はどのような証言をしていたのであろうか?1977年10月20日朝日新聞夕刊から証言を要約して引用する。
 
 
金相根の証言>
・1970年10月に一等書記官として来米。76年4月に参事官。
 
・彼の名目上の上司は在米韓国大使の金東祥であるが、報告をしたことはない。すべての報告はKCIAの上司にしていた。
 
・米買収工作は白い雪作戦と命名された。
 
・主として韓国人実業家 金漢祥を経由して買収工作をした。
 
金漢祥をスカウトしたのは朴大統領夫人。「国家のために働かないか?」と言われた。その後彼女が暗殺されたので、受けることにした。
 
・1974年9月11日にKCIAの会計課長が(金相根氏)の自宅を訪ね、25万6千ドルの金を置いていった。これは当時のKCIAの上司だった梁将軍の指示だった。
 
・翌9月12日に銀行に行き、自分の口座から4万4千ドル(小切手を証拠として提出)を下ろし、併せて30万ドルとして、金漢祥の自宅へ持っていった。
 
4万4千ドルは朴東宣からもらった金である。
 
30万ドルを受け取った金漢祥は「これでアメリカ議会での影響力を拡大できる」と言っていた。彼から領収書を貰う(証拠として提出)。
  
 
 
 
これが金相根氏の証言のあらましである。
 
 金氏は直接アメリカ議員に接して金を渡してはいないが、KCIAが金を調達し、議員買収する韓国人実業家に渡したことを克明に話している
 
 
 さらに証言を裏付けるため、4万4千ドルの小切手や、金漢祥からもらった領収書を議会に提出している。
 
 
これは間違いなく国家ぐるみの買収工作である。
 
しかし「白い雪作戦」って(笑)!
 
 



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韓国駐米大使の議員買収!
 
 ここに出てきた金漢祥は朴東宣と同様に韓国人の実業家である。韓国政府は彼ら実業家を使って、議員買収をしていたのだ。金や朴はその窓口の一つに過ぎなかった。因みに金漢祥は既に「不正行為共謀罪」と「偽証罪」の容疑で起訴されている。
  
 しかし…それだけではない 
 
 アメリカ議会証言では李在鉉が出席した。李氏は現在アメリカ西イリノイ大学の準(ママ)教授であり、当時は在米韓国公報館長を勤めていた。
  
かれは73年春、駐米大使の金東祚(キム=ドンジョ)が主催して、「アメリカの買収工作についての会議があった。それにはKCIAも参加していた。」と証言した。

 時の駐米大使が直接買収工作を行っていたのだ。
  
 因みに金東祚は日韓基本条約締結にも関与し、駐日大使も行い、のちに外相までになる大物外交官である。
 
 
 
李在鉉証言を1977年10月20日朝日新聞夕刊から要約して引用する
 
李在鉉の証言>
・73年春、金東祥が招集し、KCIAも参加した買収工作の会議が週2~3回あった。
 
・その会議では米議員買収を目的にし、文書に明記してあった。
 
・73年春に、金大使がアタッシュケースに100ドル札の束を詰めているのを見た。
 
・彼は「議会に持っていく」と言っていた。
 
 
因みにこの金は、先に証言したKCIAの金相根氏によると、韓国から送られてきたようである。
 
 
 
 
 
米議員秘書の証言!
 
 この金東祥の買収工作についてはアメリカ側の証言もある。下院議員のウィン氏の秘書エルダー夫人である。10月20日の朝日新聞から要約して引用する
 
 
エルダー夫人の証言>
・金東祥氏が事務所に現れた(写真で確認)!
 
白い封筒を事務所に置いていった。その中には大量の100ドル札が入っていた。
 
・ウィン議員が札束に気づくと「すぐに返すように」と私に指示した。
 
・韓国大使館に連絡すると「別の米議員を訪問中である」と告げられた。
 
・やっと連絡がついて受け取れないと返した。
 
 
 
札束を詰めるのを見た李在鉉証言、その札束が韓国から送られたことを確認した金相根証言、そして実際に金を渡され、それを返還したエルダー夫人証言。ほかにも多くの証言があるが全ては繋がっている。
 
 
 事件を調べていたホワイト首席法律顧問代理は「以上の証言で韓国の米議会工作計画が立証されたと述べている。
  
 
こういったことをKCIAという情報機関だけでなく、駐米韓国大使が直々に金を渡していたのだ。さすが買収大国である
  
 
 
 ところで事件の発端となった韓国人実業家の朴東宣氏は何をやっていたのだろうか?実は彼は一時イギリスに渡った後、韓国に帰国していた
 アメリカ議会では買収工作の全貌を暴くためには、どうしても朴東宣の証言が必要だと考えた。 
 
 しかし他方で韓国では朴証言が致命傷になりかねない。だから朴の出国に難色を示していた。
 
 
そこで米韓両政府の綱引きが激しくなる。その攻防を次回見ていこう!
 




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