・金炯旭氏は1年後に失踪する
・KCIAの殺されたというのが定説である!
・人間死ぬ時に真価が分かる!
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私は1950年代から80年代までの
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過去6回において、コリアゲート事件を取り上げた。コリアゲート事件とは1970年代に起きた韓国によるアメリカ議会の買収事件である。この買収には韓国人実業家がKCIAと結託して行っており、中には韓国の駐米大使が直接関係していたケースもあった。まさに韓国政府の国ぐるみの買収工作であった。
そしてその証言はアメリカ政府だけではなく、日本政府も揺るがせた。アメリカ議会における発言で数々の日韓癒着が暴かれたからである。しかしアメリカ議会と違って、日本の議会、特に自民党は疑惑の解明に後ろ向きな姿勢に終始した。
そのことに関しては以下参照。
コリアゲート事件については、中間選挙を前にしたアメリカ議員の消極的姿勢によって、腰砕けで終わった。日本の議会に比べれば、はるかに仕事をしたとは言え、釈然としないものが残る。
その理由の一つは、元KCIA部長で、アメリカへの亡命者である金炯旭(キムヒョンウク)氏の有罪判決あった。アメリカ議会証言で主導的役割を果たした金氏が関税法違反で逮捕され、多くの支持者が失望した。これがコリアゲート幕引きのきっかけの一つになったことは否めない。
ここではその後の金炯旭氏の動向を見ていこう。
◎金炯旭氏の失踪!
実は金炯旭氏は失踪したのだ。
事件が起きたのはコリアゲート事件が幕引きされてから約1年後、1979年10月7日だった。金炯旭氏が失踪したのはパリ。彼は10月の初めごろからフランスに来ていた。かれは年に数回フランスに行っていた。どうやらKCIA部長時代に蓄財した資金がヨーロッパにあるらしく、それを取りに来ていたのだ。そういえば彼が捕まった時も多量の資金を不正に持ち込もうとしたことが理由だった。
彼の行動を、当時の新聞から追ってみると、10月の初めごろからフランスに入り、高級ホテルの「リッツ」や「インターナショナル」に宿泊していた。しかしなぜか7日朝になってシャンゼリゼにあるウエストエンドホテルに移動。そこに午前10時にチェックインした。このホテルは比較的目立たないホテルである。
そのチェックイン直後に金炯旭氏は別のアジア系人物と接触しているのをホテルのメイドが確認している。ホテルの部屋にはスーツケースとゴルフバッグがおいてあり、戻る予定だったことを伺わせている。
その後、パリ市内のカジノ「「ル・グラン・セルク」に行き、午後7時ごろまでいたことが確認されている。このカジノは金氏のおなじみの場所で、カジノマネージャーも「常連であった」ことを認めている。今回のパリ来訪でも何度か来ている。
その後の足取りはつかめていない。そして家族からの問い合わせで、パリ警視庁が捜索をすることになった。
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◎謎のアジア系人物!
ホテルのメイドが見たアジア系人物とは誰なのか?
この人物は当時の駐フランス公使李相烈と思われる(メイドが写真で確認)。現在ではこれがほぼ定説になっている。李相列はKCIAの一員であり、実は金炯旭氏の直属の部下であった。そして今回のパリ旅行中に3回会っていることが確認されている。そしてその疑惑が報道されると、李相烈は韓国に帰国した。
現在ではKCIAによる謀殺であることがほぼ確定している。KCIAの後進組織である韓国国家情報院が2005年に報告した内容ではそうなっている。しかし肝心の人物の証言が取れなく、少数の証言を重要視しすぎている部分があり、完全に信頼できる報告書ではない。しかしほぼ間違いないだろうというのが現在の状況である。
しかし韓国は他国に工作員を送り込んで勝手に殺害したり、拉致をしたりとやりたい放題である。そういう意味では北朝鮮と変わらない。
◎家族の依頼!
しかし当時、金炯旭氏の生死はまだわからなかった。金氏は家族とともにアメリカのニュージャージー州に住んでいた。
家族はパリに出向き、パリ警視庁に捜索を依頼。そして心当たりも独自に探している。しかし結局居所がつかめないまま、アメリカに帰国している。
それからこの事件は取り上げられなくなった。しかし事件から1年半後、急に金炯旭氏の名前が新聞紙上に現れる。
それは金炯旭氏の死亡宣告であった。
ニュージャージー州の法律では失踪後5年で死亡宣告が出る。
しかし裁判所は1年半で認めた。それはなぜか?
しかし裁判所は1年半で認めた。それはなぜか?
実は遺産相続が絡んでいたのだ。
金氏はKCIA時代の蓄財で約2千万ドル(約40億円)の財産がある。それを奥さんと3人の子供で分けたいのだ。
そのため早く死亡宣告をする必要があったのだ。
しかし5年待てば自然に死亡宣告ができるのに、1年半で…とは。
なんか日本人には信じられない感覚だ。
そしてこの蓄財のおかげで韓国系の中では非常に評判が悪い。
人間は死ぬ時に真価が分かるという。
全くその通りだ。
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