憲法改正しなくてもそれほど問題ない。
憲法9条は守ってはいけない。無視しろ!
<ポイント>
・憲法9条は自衛のための一切の戦力を持たない。
・それは日本国民の自然権を侵害する。
・我々には抵抗権がある。だから憲法9条は無視すべき!
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◎岸田首相が改憲に前のめり?
岸田首相が国会において、来年9月までに憲法改正を目指すと述べた。
「自民党総裁として申し上げれば、党内の議論を加速させるなど
改憲の課題に責任を持って取り組む決意だ」
※2023年10月24日日経新聞
また先日は来年9月までに改憲を目指すと踏み込んだ。
岸田首相、改憲目指す「総裁任期中」は来年9月までと明言
※2023年11月22日 産経新聞
このように改憲に前のめりになるのは岸田政権の支持率が低迷しているからだろう。
来年9月には自民党総裁選がある。つまり自身の総裁任期が切れるのだ。
総裁再選のためには少なくとも保守系の支持を繋ぎ止めなければならない。
そのために憲法改正をぶち上げたのだろう。
しかしその言葉とは裏腹に、岸田首相のやる気には疑問符が付いている。
例えば保守系ジャーナリストの櫻井よしこ氏は以下のように言う。
「この段階になって条文の整理もできていない。
なんで今ごろになってこういう要望をわれわれがしないといけないのか」
※2023年11月28日 夕刊フジ
このように改憲の作業が遅れていることに苦言を呈している。
また護憲派の立場からは立憲民主党の辻元清美氏も、
岸田首相自身が憲法改正に熱心でないとして、
辻元氏は、衆院憲法審査会やその前身となる衆院憲法調査会が
23年前に設置されて以来、岸田首相は所属したことがないと指摘。
※2023年11月27日 産経新聞
つまり右からも左からも「岸田首相は改憲に熱心ではない」と思われている。
事実そうなのだろう。
確かに岸田首相は改憲に熱心であるというイメージはない。
それ故に指摘されているように、来年の総裁選で再選を目指すためのアピールであろう。
うまくいくかどうかはわからないが…。
ところで筆者はもちろん憲法改正には賛成である。
それ故に本当に岸田首相が憲法改正を目指すのであれば支持するが、
現実にはやる気が感じられない(実際やる気が無いだろう)ので支持はできない。
ところで憲法改正の話が出る度に筆者は思うのだ。
本当に憲法改正の必要はあるのか?
こう言うと特に保守的な改憲論者に大いに怒られそうだが、
別に冗談で言っている訳ではない。
筆者は、憲法は無視して構わないと思っている。
というより、無視すべきなのだ!
それ故に憲法を改正しなくても別に不都合はないのでわざわざ改憲する必要はない。
ここで対象とすべきは憲法9条である。
日本国憲法は基本的に守るべきである。故に他の条文は守るべきだ。
しかし憲法9条は無視すべき!
それがこのブログ記事で主張したいことなのだ。
◎憲法改正の必要性!
なぜ改憲する必要があるのか?
それは憲法9条によって日本の軍事が縛られているからだ。
憲法9条により、自衛のための必要最低限の武力しか持てない。
そのため例えば敵基地攻撃能力などは持てなかった。
※岸田政権では敵基地攻撃できるミサイルを保有することを決定した。
また各国が当然保有している集団的自衛権も憲法9条が邪魔をして行使できなかった。
そのため安全保障の議論でも多大な時間を要する。
もちろん安全保障は重要なので時間をかけて議論するのは望ましいが、
神学論争のような議論を永遠と続けているのは無意味である。
それ故に憲法9条を改正してまともな安全保障の議論を進めたい。
そういう保守派等の考えもよくわかる。
しかし筆者は思うのだ。
憲法9条は無視すればイイのでは?
どういうことか?
その通りの意味だ。
憲法9条は無視すべきなのだ。
しかし憲法は日本の最高法規だ。
それを無視するのは許されるのか?
筆者は断言する!
許される!
憲法9条を無視しても近代憲法の原則として全く問題ない。
◎日本国憲法第9条の意味!
ところで日本国憲法第9条とは
どのような意味があるのだろうか?
ここで憲法9条の条文を示す。
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
これが憲法9条である。
第1項で戦争の放棄をし、第2項でその担保として戦力の不保持を宣言する。
そのような構成となっている。
その中で現在では与党はもちろん野党の一部でも
必要最低限度の戦力は持てるが
それ以上の戦力を持つことはできない…
そのように解釈する人が多いように思う。
例えば野党第一党の立憲民主党でも安全保障政策は
我が国周辺の安全保障環境を直視し、専守防衛のための自衛力を着実に整備して
国民の生命・財産、領土・領海・領空を守ります。
※赤字は筆者
上記のように“専守防衛のため”との枕詞が付いているが、
自衛力を前提にしている。
つまり自衛力=自衛のための戦力を持つことを容認しているのだ。
しかしそれは間違いだ!
日本国憲法第9条とは
自衛を含めて一切の戦力を持つことができないのだ。
日本では自衛のためも含めて一切の戦力を持つことができない。
つまり「自衛のための必要最低限度の戦力」などは存在しない。
戦力そのものが、自衛を含めて違憲なのだ。
そしてその旨、当時の日本政府は答弁している。
自衛のための戦力を否定している政府の答弁はこちら。
※前振りが長いので後半部分をご覧ください。
つまり日本国憲法第9条の意味は
自衛のための戦力も一切が持てない。
それ故に他国から侵略されたら
日本国民は何も抵抗できずに一方的に殺されるだけなのだ。
そして自衛のための戦力が違憲であるにもかかわらず、
それなのに現実の日本では自衛隊が存在している。
つまり自衛隊は…違憲なのだ!
勘違いしてもらっては困るのだが、
筆者は自衛隊を支持している。
しかし支持しているか否かとそれが合憲であるか否かは違う。
自衛隊は支持するが、法的には違憲であるとは…十分成り立つ。
それ故に筆者は、自衛隊は違憲だと思う。
しかし筆者は自衛隊を支持している。
ところでここで再度強調しよう。
憲法9条は自衛のための戦力も一切持たない。
それが憲法9条なのだ…と。
◎憲法9条は自然権に違反する!
ところで筆者は憲法9条を無視すべきと主張する。
しかし憲法とは日本の最高法規である。
憲法以上の法的存在はない。
事実、憲法98条第1項には
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び
国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
※赤字は筆者
このように憲法と他の法律に齟齬があった場合、憲法が優先され、
他の法律の効力は無効化される。
これは法的には当然の考えであり、日本のみならず他国でも同様である。
その最高法規を無視することなど許されるのだろうか?
しかしそれは許される!
なぜなら日本国憲法は自然権に反するからだ
自然権とは何か?
自然権とは、人間が自然状態(政府ができる以前の状態)の段階より保持している
生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利。
つまり基本的人権など最も基本的な原理が自然権なのである。
ここでは細かい定義を差し置き、自然権を「生命・財産」の維持とする。
もちろんそれ以外もあるが、説明を単純化するために便宜上このように定義する。
このように「生命・財産」を守るのは我々個々人の自然権に属する。
そして日本国憲法は自衛のための戦力も持たないので、当然外国から侵略されたら
我々の「生命・財産」を守ることができない。
それは現在のウクライナの状況を見れば理解できるだろう。
ウクライナ人は平和な生活を破壊され、何の罪もない人々が無残に殺されている。
まさにウクライナ人の自然権は侵害されているのだ。
同様なことが憲法9条下の日本で起きる可能性があるのだ。
故に自衛のための戦力の保持を禁止している憲法9条は
我々の自然権を侵害しているといわざるを得ない。
大事なことなのでもう一度書く
憲法9条は日本国民の自然権を侵害している!
◎自然権と憲法の上下関係!
先に憲法98条第1項を取り上げ、
“憲法は日本の最高法規である”と書いた。
つまり日本国内では憲法と他の法律に齟齬があった場合、
憲法の方が優先されるのだ。
では自然権と日本国憲法の場合、どちらを優先すべきなのか?
自然権とは、自然状態の段階から保持している不可譲な権利のことである。
自然状態とは政府ができる前の、誰からも干渉されない完全自由な状態である。
その自然状態では個々人は自らの自然権を守るために、自ら自然法の執行が認められる。
つまり他人が自分の「生命・財産」に危害を加えようとした場合、
自らがそれを阻止するために行動することが許される。
簡単に言うと「殺されそうになったら、逆に相手を殺しても良い」のだ。
イギリスの哲学者ジョンロックは以下のように言う。
自然状態においては、自然法の執行は各人の手に委ねられているのであり、
これによって、各人は、この法に違反する者を、
法の侵害を防止する程度にまで処罰する権利を持つ。
※ジョンロック「統治二論」 P193
このように自然状態では、自然権を守るために自らが手を下すことを認めている。
しかしそうすると無秩序状態(北斗の拳のような世界)になる。
ジョンロックより少し前のトーマスホッブスによると、それは
万人の万人に対する闘争となる。
そのような混乱状態から逃れるため、人々は自らの手で自然権を守るのではなく、
政府を作り、その権利を政府に譲渡することとなる。
だから政府の役割は個々人の自然権の保全ということになる。
つまり自らの力で自らの自然権を守るのではなく、
政府(=国家)を作り、その政府に自らの自然権を守る権利を譲渡し、
代わりに個々人は自らの自然権を守る権利を抑制する。
それ故に自然権を守るのは政府としては当然の役割ということになる。
この考えは近代憲法にも生かされている。
そして日本国憲法にも自然権の思想は含まれている。
先程引用したジョンロックの思想は、アメリカ独立戦争の理論的正当性を与え、
その後、アメリカ独立宣言にも採用されている。
さらに日本国憲法の中にも(GHQを経由して)生かされているのだ。
例えば憲法11条は
~略~ この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
※赤字は筆者
このように「侵すことのできない永久の権利」との表現で人権を表している。
そしてその人権を守るのは政府の役割だ。
だから我々の「生命・財産」を守るのは日本国政府として当然の義務なのだ。
我々の自然権(=「生命・財産」)を守るために我々は政府を作った。
しかし憲法9条はその役割を放棄する。
つまり憲法9条は近代憲法の役割を否定しているといわざるを得ない。
つまり憲法とは国家が成立して初めて必要(政府を縛るもの)とする。
しかし自然権は国家が成立する以前に、個々人自らが保持している権利なのだ。
だからいかに日本国憲法といえども、
自然権を無視する憲法などあり得ない。
自然権 > 憲法9条 なのだ
◎抵抗権の発動!
ところで自然権を守ることが個々人に与えられた権利であり、
しかし個々人が権利行使すると(万人の万人に対する闘争となり)無秩序状態になるので、
我々は政府を作り、その政府に自然権を守る権利を譲渡し、
政府の責任で我々の自然権を守ってもらうのだが、
それを政府が行わなかった場合、我々は政府に対してどうすべきか?
例えば政府が法律を(合法的に)作り、国民を弾圧し、国民の「生命・財産」を
危険に晒した場合、我々はそのような法律に従うべきだろうか?
先のジョンロックは、そのような場合、国民には抵抗権が発生すると述べる。
抵抗権とは
人民により信託された政府による権力の不当な行使に対して人民が抵抗する権利である。
政府による権力の不当な行使に対して、そのような権力には従う必要が無く、
我々国民としてはそれに抵抗することができる。
そしてむしろその場合抵抗権の行使は正しいのだ。
政府が不当なことをし、国民に被害を与えるのなら抵抗できるし、
抵抗する権利が国民にはある。
楚尿な抵抗権を前提にすると
憲法9条とはどういうものかというと、
直接国民に対して被害を加えるものではない。
例えば国民を捕らえて刑務所に入れたり、強制労働をさせたりするものではなく、
何もしないのだ。
ただ外国から侵略された時に政府は国民を守らない。
そういうものが憲法9条なのだ!
何もしない!
そう考えると憲法9条とは直接国民に被害を与えるものではなく、
いざという時に何もしないという消極的であり、不作為と言えるものだ。
それではそのような憲法9条に対して我々はどのように対処すべきなのか?
それは無視するということだ!
憲法9条を無視する!
憲法9条が国民の「生命・財産」を守らないのは、国民の自然権を無視しているのだ。
それなら国民の側もそんな憲法9条は無視して構わない。
事実筆者は、自衛隊は違憲だと思うし、集団的自衛権の行使も当然違憲だと思う。
つまり時の政府はその時々で憲法9条を無視してきたといえるだろう。
そのように憲法を無視してきた政府だからこそ、
筆者は明確に支持する!と言える。
積極的に憲法9条を廃止する必要はない。ただ無視し続ければいいのだ。
憲法違反と言われても…
「だから何?」
といっていれば良いのだ。
なぜなら我々には抵抗権がある。
国民の「生命・財産」という自然権を守らない憲法9条
それに対して我々は消極的な抵抗権を発動して無視する。
それは正当な権利の行使なのだ。
◎まとめ
今回書いてきたことは以下の通りだ。
・憲法9条とは自衛も含めて一切の戦力を持てない。
・つまり外国から侵略されたら防ぎようがなく、国民は殺される。
・我々には自然権(=「生命・財産」)があり、これは不可譲な権利である。
・個々人はその自然権を守ることが認められている。
・その自然権を守るために個々人は政府を作り、個々の権利を政府に移譲する。
・政府は個々人に成り代わり、個々の自然権を守る責任が発生する。
・もし政府が個々人の自然権を侵害すればそこに抵抗権が発生する。
・憲法9条は個々人の自然権を守らない。故に国民も憲法9条を守る必要はない。
・我々は消極的な抵抗権を発動させ、憲法9条を無視すべき。
これは暴論に聞こえるかもしれない。
しかし憲法9条という“自然権を無視した”条文が存在する以上、
我々はこのような抵抗は当然認められるべきだ。
だが、これは特別おかしなことではない。
これまで日本で行われてきたことなのだ。
つまり憲法9条を無視するとは、これまで日本の政治で行われてきたことを
そのまま続けるということだ。
だって自衛のための戦力も一切持たないのだ。
自衛隊の存在は憲法9条を無視するということ。
それを実践し続けてきた存在ともいえるだろう。
今後も日本の伝統に則り、憲法9条を無視し続けるべきなのだ