1967年のサザエさん

現代では理解されないオチ

唱歌を日本国民に知らしめるべきだ。

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筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 サザエさんの現代では通用しないオチ!

 

朝日新聞の4コマ漫画

 新聞各紙では4コマ漫画が掲載されている。

 有名なものでは読売新聞のコボちゃん毎日新聞のアサッテ君、そして朝日新聞のフジ三太郎などがある。

 

 


その朝日新聞ではフジ三太郎の前に長きに渡って連載されていた4コマ漫画があった。

それがサザエさんだ。

 

 

サザエさんは長谷川町子氏が書いた国民的な漫画。
日本で知らない人はいない、フグ田サザエを中心とするホームコメディだ。

 

 

実は筆者もこの度知ったのだが、
サザエさんは朝日新聞紙上で初めて掲載されたものではなかった。

福岡の地方紙「夕刊フクニチ」にて1946年から掲載された。
その後、紆余曲折があり、1951年から朝日新聞紙上で連載された。

 

そして1974年まで続くことになる

 

 

4コマ漫画はその時の世相を反映している。

そして1967年2月に現代では通用しないオチの漫画が掲載された。

 

 

 それがこの漫画だ。

 1967年2月7日 朝日新聞11面

 きげんぶし

 

  

 

 これはサザエの父 波平と弟カツオの会話だ。


 波平が昔の歌を歌っていると、後ろでカツオが聞いている。

 浪平が振り返り「お前たちは知るまい」と言うと、

カツオは「紀元節(きげんぶし)」でしょ、と言うが、

それに波平は怒って「紀元節(きげんせつ)」と読むんだ、と言う。

 

 

しかし今の人たちが読んでも

何が面白いのかわからないだろう

 

カツオは波平が歌っているのを演歌か何かだと思ったようで、
「○○節」から「きげんぶし」と読んだが、実際は「きげんせつ」が正しい

 

最近(1967年当時)の若い者(カツオ)は、こういう常識がない。

 

こう言いたかったようだ。

 

 

紀元節を「きげんせつ」ではなく「きげんぶし」と読むのは
当時としてはおかしいことだろうが、現代では通用しない

なぜなら「紀元節(きげんせつ)」自体が知られていないからだ。

 

では、「紀元節」って何だろう?

 

 

 

 

 

紀元節の攻防!

 
 紀元節とは初代天皇陛下である神武天皇が即位をした日だ。

 

 毎年2月11日がその紀元節になっていた。
皇室を中心とする明治以降の行事では非常に重要な日とされ、
毎年盛大に祝っていたが、戦後になり、軍国主義との関係を疑われたため、
GHQが紀元節を中止させた。

 

 その後、紀元節を復活させる動きがあったが、おいそれとは復活しなかった。
それは日本国内の左傾化傾向があったからだ。

 

 

 終戦後、GHQ支配下で旧軍国主義的政策には逆風が続いていた。
また民間においても左傾化が進み、軍国主義的なものは排除される傾向があった。

 特にマスコミや教師などはその傾向を強めていた。

 

 

 GHQ支配下でも逆コース(つまり行き過ぎた左傾からの右への揺り戻し)があったが、
国民の間では軍国主義に対する批判は根強かった。

 

 そのため紀元節を復活させようとしても、大きな反発を喰らい、実現できなかった。

 紀元節は吉田政権の時に復活を目指したが、それでも実現できず、
 計9回も法律が廃案になった。

 

 それほどまでに反発が強かったと言える。

 

 

 復活を最初に検討されたのが1951年。そして法案が通過したのが1966年だった。
そして1967年2月11日が復活した最初の紀元節だった。

 
 つまり
この年だ!

 

 紀元節復活の経緯についてはこちらをご覧ください。

 

 

 因みに「紀元節」と言う名称では復活することができなかったので
「建国記念の日」として復活している。

この「建国記念の日」の「の」とは反対派の言い分が
「2月11日が本当に神武天皇の即位式かわからない」というものだったので、
「建国記念日」とはできなかった。

 

それ故に「2月11日に建国した」という意味ではなく、
いつだろうと建国したのは事実だから、建国を記念して記念日を作ろう、
として「の」を入れて「建国記念の日」とした。

 

その意味では妥協の産物だった。

 

 

 

 

 

今では全く忘れられている

 このような経緯があって、そして戦後初めての「紀元節(建国記念の日)」を
目前にして書かれたのが先に引用した4コマ漫画だった。

 

 そう考えるとこの漫画はよくできている。

 

 波平世代には常識だった紀元節の歌詞。
 それに対してカツオ世代(カツオは小学校5年生。この時点では戦後生まれ)では
紀元節自体を知らない。
 波平の歌った調子から「演歌」と認識し、「きげんぶし」と答えているのだ。

 

 

 そういう意味では当時、大人たちの中では喧々諤々に論争が行われていたが、
子供たちは全く与り知らぬことだった。

 

 そしてその傾向は現在でも続いている

 

 この漫画を読んで現代の人たちが、理解できるだろうか?

 

 紀元節を「きげんせつ」と「きげんぶし」と使い分ける意味が理解できるだろうか?

特に波平は正座をして歌っているが、カツオはそれを野球のボールを弄びながら、
ニヤニヤして聞いている。

 紀元節に対する姿勢が全く違っている。

 

 

 このような違いを現代人は理解できないだろう。

 

 

 

 

唱歌・紀元節!

 ところで波平が歌っているのは「唱歌・紀元節」と言い、戦前の生まれの人は小学生でも歌えた。

 そして当然、波平も歌える。

 

 その歌詞はというと

一、雲にそびゆる髙ちほの髙ねおろしに艸も木も

  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ


二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき

  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ


三、天つひつぎの髙みくら千代よろづに動きなき

  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ


四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき

  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ

 

 

こういう歌詞だ。因みにこのように歌う。歌っているのはダークダックスだ。

 

 

 

 

 しかしこういう歌が伝わっていかなくなるのは悲しい事だ。

 

 何でも無くせば良いというものではない。良いモノは良いのではないか。

 そして日本の歴史と伝統には天皇陛下の存在が欠かせない
その陛下と密接につながりのある「唱歌・紀元節」を
このまま廃れさせても良いのだろうか?

 

 

 もし(考えられないことだが)日本国民の心から
陛下への敬愛の情が無くなったのなら、自然に廃れていくのも仕方がないだろう。

 しかしそうではなく「歌わせない」ということで、伝統を断絶しようとしている。

 

 このような天皇陛下像とは明治時代からできたもので、
古代の天皇陛下はこういう存在ではなかったという意見もあるが、
沈丁花としては全く受け入れられない。

 

 形などどうでも良い。天皇陛下が存在し、我々日本国民との間に
敬愛の情があればそれでいいのだ。
そして天孫降臨から陛下の代々の治世を歌っているこの歌が
この「唱歌・紀元節」だ

 

 天皇陛下に敬愛の情を持っている日本国民が知らなくて良い訳がない。

 

 

ぜひ「唱歌・紀元節」を広めていきたい!

 

 そしてカツオのような子供を少しでも減らしていくべきだ。

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?