山口県美禰郡 集団暴行殺人事件

口論から朝鮮人労務者が日本人を殺害。

現代の我々の認識と違い、朝鮮人には甘かった

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筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 現在日韓関係は最悪の状況になっている。

 その理由は韓国側にあるというのが筆者の見解だが、他方日本側にも問題がある。

それは韓国側の反日行動に対して、これまで擁護してきた面があったということだ。

 

 その擁護には積極的に擁護する意見もあったが、むしろそういう意見は少数派であり、
大多数の擁護とは
黙認によるものである。

 

 つまり韓国側の反日行為に対して、「何も言わない」ということだ。

 

これは日本側の贖罪意識が影響しており、それは自虐的な教育によって
生み出されている。そしてそれは戦前のことを教えない教育界、
またマスコミの行動によって引き起こされている

 

 

以前、筆者は戦前のコリアンの猟奇的犯罪である李判能事件について書いた。
これはのちに関東大震災時の日本人による過剰な朝鮮人虐殺の
キッカケになった事件であるが、ほとんどの人はこの事件を知らなかった。

 

これはマスコミおよび教育界の怠慢というものである。

 

しかしそのことを嘆いていても始まらない。そこで筆者はその反省に立ち、
戦前のコリアンの犯罪行為およびその他の行動を事実として提示する。

 

この事実をご覧いただき、そして日本人としての贖罪意識を解消する一助となれば幸いである。

 

 

現在からは差別的な表現がありますが、時代上そのままの表記とします。

犯罪者の個人名については伏字とします。

長い文章については適宜、句読点を補い、読みやすくしました。

旧字については現代風に直している場合があります。

漢数字は、算用数字に変更する場合があります。

 

 

 

山口県美禰郡 移入労務者集団暴行事件

・日 時  昭和十八年八月十六日

・場 所  山口県美禰郡大嶺町 日鉱山陽無煙鉱業所 桃ノ木区事務所

・事 件  集団暴行殺人事件

・被害数  内地人 四名(うち死亡一名)、朝鮮人六名(うち重傷者四名)

 

 

(概 要)

被害者(死亡)○○(筆者注:日本人)は同県下船木町(筆者注:別職場)に於て
炭鉱夫として稼働中の者なるが、、盆休みを利用し、実父の居住せる大嶺町桃ノ木に帰省し、
八月十六日現住地への帰途、知人宅へ立ち寄り飲酒中、
同席せる加害者××(筆者注:朝鮮人)に対し、
「お前は兵隊に行ったとか、行かぬとか謂ふが朝鮮人だらう」と
侮蔑的言辞を為したるに端を発し、両者に論となりたるを、

 

 

付近に居合わせたる同鉱業所移入朝鮮人が加わり○○に加害するに至り、
之を聞知したる労務係内地人が之を鎮撫せんとしたるも平素労務係に
好感を有せざりし朝鮮人は、益々激昂、集団を以て労務係三名に負傷せしむ等、
形勢悪化しつつありたる折柄、所轄署員が到着し、之を鎮撫したる結果、
事件は鎮静に帰する如く見受けられたり。然るに同社同社警備員等が
「トラック」にて現場に到着せる為、移入労務者は再び激昂
警備員と対立し、衝突乱闘するに至りたるものなり。

 

 

 

(発生原因:近因)

 本事件の直接原因は被害者○○が飲酒中同席せる加害者××に対し、
「お前は兵隊に行ったとか、行かぬとか謂うが朝鮮人だらう」との
侮蔑的言辞に端を発したるものなり。

 

 

 

(発生原因:遠因)

事業の拡張生産増強に伴ひ、要員の枯渇充足の為、昭和十五年以来
移入鮮人労務者に依存し、其の移入総累計1,434名、現在員数580名あり。
試に従業員中鉱内労務者の実情より見るに内地人582名に対し、
朝鮮人686名(内移住労務者580名)に達し、更に鉱内採炭現場に
在りては
内鮮人比率は1対5となり居れる為、鮮人労務者は数に依る優越感より
漸次増長の傾向ありて、幹部の指示注意等をも軽視し、
集団的反抗的態度を以てする事例もありたり。

 

 

然るに炭鉱側にありては其の処置鮮人側に対し寛大にして、
不問に附する場合多く、幹部は事勿れ主義に鮮人の行動を黙過する傾向より、
その増長振り相当顕著なるものありたり。斯くの如き状況は勢ひ
内鮮人間に溝を生ずると共に炭鉱側の鮮人指導につき、
内地人労務者間には不満の感情醸成したるものにじて為に、
事件勃発後双方の雰囲気を極度に悪化せしめたるものと認められる。

 

 

 

(警察措置:事件発生当時)

 ~前略~

 而して今日に於て、所轄署長並に特高課員及び会社幹部に於て
移住鮮人約600名を各寮に集合せしめ、軽挙妄動を厳重訓戒せる処、
何れも就労を誓ひ、当日入坑予定数100名中69名の入坑を見るに至れり。

 

 

 尚一方内地人側に於ては翌十七日は取調の関係もあり、
数十名の入坑者ありたるのみにして事件直後内地労務者側に於ては会社側の慰撫に対し、
釈然たらざるものあるやの雰囲気察知されたるを以て、二十日会社側は
内地人労務者の前後措置に対する懇談を所轄警察署の指導に依り開催し、
所轄署長より今後安全保証並びに鮮人側の鎮撫態度に付き、状況を伝へ、
訓戒を与えたるに労務者側に在りては産業戦士として即日入坑を誓約し、
平常の通り、就労するに至りたり。

 

 而して今回の事件の遠因は会社側の拙劣に因る処少なからざるに鑑み、
会社側に対し、厳重警告を発したり。

 

 

 

(警察措置:その後)

 事件関係者中移入労務者12名を傷害致死罪として
移入労務者20名内地人11名(勤報隊員5名)を傷害罪として、
八月二十一日送局したる処、勤労報国隊員2名は九月八日に至り、
釈放せられたるが、他は山口刑務所に強制収容せられたり。

 

                      

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P220~227
※赤字は筆者

 

 

 

 

コメント

 これは終戦2年前の昭和十八年に山口県で起きた事件である。

 当時、戦争に激化により、多くの日本人男性が戦場に行っていたが、
他方、国内での労働力が足りなくなっていた。

 

 特に炭鉱や鉱業所などでは戦争遂行に必要な物資を手に入れるために
必須であったが、その労働力は足りていなかった。

 

 そこで朝鮮人の労働力に頼るようになっていった。

 

 現在問題になっている徴用工などはこの文脈で出てくる。
1938年に国家総動員法が通り、その後、朝鮮人に対しても
労働提供を求められるようになった。

 因みに日本人男性は「徴兵」が義務化されていた。

 

朝鮮人に対しては、最初は「募集」だったが、その後「官斡旋(1942年)」
そして徴用(1944年)」と適用されていった。
この事件は昭和十八年(1943年)なので、徴用の適用ではなかったが、
官斡旋であっただろう。

 

ここで「移入労務者」という言葉が出てくるが、これは半島出身の朝鮮人のうち、
実際に朝鮮半島から来た人をいう。
 同じ朝鮮半島出身者でも、当時内地(つまり日本列島)に住んでいる朝鮮人
(今でいう在日コリアン)に関しては、使っていなかった。

因みに日本にいる朝鮮人に関しては
1944年以前から徴用が適用されていたこともある。

 

 

 

この事件に関して言うと、まず朝鮮人の労務者に頼らなければならないので、
「朝鮮人を甘やかして管理していた」ことが指摘できる。

もちろん「甘やかせていた」といっても現代の観点とはケタが違うだろうが、
必ずしも「朝鮮人をこき使う」ものではなかった。

 

また会社側は「事勿れ主義」から朝鮮人に対して寛大に対処する傾向があり、
それに伴い朝鮮人側に「増長の傾向」があり、
それに対して日本人が不満を募らせていたことも指摘できる。

 

 

いずれにせよ、後年の我々が理解しているところとは
ずいぶん違う状況があった。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?