◎政治学者 山口二郎
◎彼の寄稿文には無数の間違いがあった
◎だから勝手に訂正します。
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※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?
日本の政治に無知な政治学者!
◎山口二郎という政治学者!
山口二郎という政治学者がいる。
筆者は何度か彼に対する批判を書いている。
筆者がなぜ彼の批判を書くのかというと、
彼には左翼の悪い癖が現れていると思うからだ。
とにかく批判をすればいいという安易な考え、上から目線で見下す態度、
そして(一応)知識人に似つかわしくない感情的な物言い。
このような自分の憂さ晴らしのための権力攻撃をやっている人は
むしろ左翼の権威を落とすことにつながるのではないか?
ところで山口氏は韓国の左派系新聞「ハンギョレ新聞」に毎月寄稿している。
その最新の寄稿文(8月23日)がアップされていた。
筆者はこの文章を読んで仰天した。
そこには明らかな間違いがあるからだ。しかも彼の専門分野である政治分野で。
山口氏は政治学者を名乗っている。
その彼が日本の政治に関して無恥を曝け出している。
このような文章をアップするとは、どうやら山口氏の周りには
彼のミスを指摘してくれる人はいないようだ。
そのため筆者は“好意から”山口氏の寄稿文の間違いを指摘してあげよう。
◎ハンギョレ新聞の寄稿文!
山口氏が寄稿した文章は「[寄稿]日本人と道義心」である。
その中で山口氏は
・安倍首相は戦没者追悼式典でアジアの犠牲に言及しなかった。自己中心的だ。
・村山元首相は加害者責任を否定する風潮に警鐘を鳴らしている。
・この25年間に政治家の質が低下した。
・それは戦争を経験した人が減ったから
・「日本すごい」とは経済停滞、人口減少等で、特に若者が日本の将来を悲観したから。
・それは一時的な心理的補填にはなるが、現実の問題解決に役立たない。
・過去と向き合わず、自己正当化を続ければ、無責任な国になっていく。
などと主張している。
山口氏のような“左翼”には通常のことだが、彼らの発想は
「日本が悪い」「日本はダメだ」と言えばよいと思っている。
だから「否定するための理屈」を作り上げようとする。
しかしそれには大前提がある。
それはデタラメを前提にしない、ということだ。
いくら「日本が悪い」という否定するための理屈を作ろうとも、
そこには正しい事実を前提にしなければならない。
しかし上記の寄稿文には無数の誤りがある。
◎村山元首相の発言!
例えば村山元首相の発言だ。
確かに村山元首相は8月15日にあたって談話を発表している。
そしてその談話や25年前の村山談話について、山口氏は高く評価している。
戦後50年の節目で、村山談話を作成した。この談話は、侵略戦争と植民地支配について日本の加害責任を認め、アジア諸国に対する謝罪を述べている。それゆえ国際社会から高い評価を得た。
※赤字は筆者
しかしその村山政権は村山談話を出した直後(3ヶ月後)、
シンガポール紙から「右傾化政権」と批判されたことには言及がない。
それだけではなく、村山元首相は
・橋本首相が靖国参拝した時に「私的であれば…」と黙認。
・慰安婦に対する賠償を否定。
・先の大戦に対して「侵略戦争という言葉は使わない」と発言。
・日韓併合は合法だ。
などという発言をしている。
※上記の発言に関しては前回のブログをご覧ください。
つまり村山元首相は今と違って、当時(約25年前)には、
安倍首相もビックリの極右発言をしていたのだ。
そういう人の発言を引用して、
現在の政治家を批判するとは不適切ではないか?
◎戦没者追悼式典での安倍首相の発言批判!
そして山口氏は安倍首相が今年の全国戦没者追悼式での演説を批判して
政府主催の戦没者追悼式典の式辞で安倍晋三首相は、「300万人の同胞」の犠牲には哀悼の意を表したが、日本の軍事行動がアジアでもたらした犠牲には言及しなかった。彼の歴史認識における自己中心主義は幼稚極まりない。
※赤字は筆者
「幼稚極まりない」って言っているが
全国戦没者追悼式は「日本の戦没者を追悼する場」である。
例えば政府はこのように閣議決定している。
二 本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争による死没者(軍人、軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含むものとする。)とする。
※昭和38年5月14日閣議決定
この中には「外国の犠牲者」という範疇はない。
もちろん範疇外のことを言っても、主旨にあうのなら問題ないが、
必ずしもアジアの犠牲について言及する必要姓はない。
そういう意味では批判の内容自体が意味不明だ。
◎戦争経験者が減少し、政治家の質が低下した!
山口氏曰く、この25年間で政治家の質が低下した。
その理由は戦争を知っている世代が少なくなったからだ、という。
しかし先の村山元首相の首相時代の発言を見るだけでも、
戦争時代を知っている世代でも現在と同様な発言をしていることがわかる。
さらにこのような発言をする人もいる。
八月十日、就任をされた直後、総理は記者会見において、過般の戦争というものを一括して侵略戦争であった、間違った戦争であったという決めつけをなさいました。
~略~ 侵略戦争であったと決めつけられた直後、本当に多数の投書が届きました。そして、その八月十五日の追悼式のあなたの弔辞に対してすら、ここに一つの例がありますけれども、本当に情けない、憤慨にたえないという手紙が来ました。私は、素朴な国民の声のこれが一つだと思います。
※赤字は筆者 ※1993年10月4日衆議院予算委員会
これは1993年8月に就任された細川護熙首相が、記者会見で先の戦争を「侵略戦争」と明言したことに対する反発である。
そしてこの発言をしているのがのちの首相である橋本龍太郎議員である。
橋下氏は1937年生まれ。つまり戦争を知っている世代だ。
その世代が細川首相の「侵略戦争発言」を批判している。
そして今年8月15日に村山元首相が談話を出し、
侵略 ~略~ を認めないような姿勢こそ
と述べているが、その村山政権で閣僚をやっていたのが橋本氏だった。
例えば現在、先の戦争を「侵略戦争ではない」と発言すれば、
国内外から袋叩きにあうだろう。
しかし27年前(1993年)にはそのような政治家がおり、
なおかつその政治家はのちに首相になったのだ。
山口氏の言い分では戦争を知らない政治家が増え、それで政治家の質が低下し、
それが質の低下を防いでいたということだが、実際には全く違っている。
山口氏の基準では、過去の戦争を知っている政治家の方が、
よっぽど「質が低下」していたのではないだろうか?
※筆者は橋本氏の発言は「質が低い」と思わないが、ここでの評価は「山口氏の基準」による。
◎「日本スゴイ」?
山口氏はまた日本は経済停滞や人口減により、将来に不安感や不信感を持つ若者が増えている。それを振り払うために「日本スゴイ」という根拠のない優越感にすがるという。
なぜ自民党の政治家は変わったのか。戦後50年からの25年間、日本の経済は停滞を続け、人口は急速に減少し始めた。日本人、特に若い人々の中には明るい未来を失ったと感じる人が増えてきた。この不安感や不満感を取り払うのが、「日本スゴイ」という根拠のない優越感である。
※赤字は筆者
この手の発言をする人は多い。しかしその根拠を示したことは無い。
この発言は
「日本の未来が暗い」→「“日本スゴイ”と思いたい」
という考えからきている。
この考えが間違っているというのは簡単だ。
じゃあ日本の経済が良かった時は「日本スゴイ」はなかったのか?
例えば1979年に出版されたこれはどうだ?
このように山口氏の発言は何の根拠もない。
◎左翼の戯言!
それから山口氏は最後にこう結論づける。
現実の不安感や不満感を払拭するため、「日本スゴイ」という根拠のない優越感にすがるが、そのようなことは現実には役に立たない。それどころか事実認識を妨げ、問題を解決を深刻化させる、という。
この不安感や不満感を取り払うのが、「日本スゴイ」という根拠のない優越感である。
~略~ もちろん、そのような心理的補填は現実の問題解決に役立たない。それどころか、事実認識を妨げ、問題を深刻化させるだけである。
※赤字は筆者
この言葉はそっくり山口氏にお返しする。
山口氏のような左翼・リベラルこそ政治における敗北者の集団であり、
将来に対する不安感や不満感を持っている。リベラルは政治的にも行き詰まっており
(これは日本のリベラルのみの話)、政権交代など夢のまた夢だ。
昨今の政治情勢から自民党が破れることはあり得る。
しかしその後、野党が政権を取ったとしてもすぐに打倒される。
なぜなら政治的敗北者である日本のリベラルは「日本の悪口」を言うしか能が無いからだ。
将来への不安感や不満感から「日本スゴイ」という根拠ない優越感に浸るのも、繰り返し政治的敗北をし続けてその憂さ晴らしから「日本の悪口」を言いふらすのも同じだ。
そして「日本スゴイ」とは素直な感情であるのに対して、
「日本の悪口」は卑屈な感情の発露だ。
うまく行かない時に「他人の悪口を言う」人たちが
周囲の人たちから支持されることなどあるのだろうか?
日本政治に無知であり、日本の悪口を言って憂さを晴らしている山口二郎氏は
これからも政治的に敗北し続けるだろう。
そしてそのたびに日本の悪口を言って憂さを晴らし続けるだろう。
※筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
そんなお花畑が、目覚めるキッカケとは?