関東大震災の2年前に起こった事件
日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件
<ポイント>
・関東大震災時の朝鮮人虐殺のキッカケ
・李判能事件を知っているか?
・日本人16人を殺傷した朝鮮人
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関東大震災の朝鮮人虐殺のキッカケ
「東京市電運転手連続殺傷事件(李判能事件)」
※通常、筆者は朝鮮半島出身者を「コリアン」という言葉で記載する。
ただし今回は「朝鮮人虐殺」がほとんど固有名詞になっているので、
煩雑さを避けるために「朝鮮人」で統一する。もちろんそこには差別的意図はない。
「関東大震災における朝鮮人虐殺が起きた朝鮮人側の要因(2)」に続く
1923年9月1日 東京を中心に巨大地震が襲った。
関東大震災である。今年は関東大震災から100周年となる。
この地震では多くの被害が出たが、それにもまして恐ろしかったのは
行政機関が一時的にマヒしたことだ。
そのため治安が一時的に乱れることになった。
この時に起きたのが朝鮮人虐殺である。
これは治安秩序が乱れた中で、「朝鮮人が犯罪行為をしている」という噂が立ち、
それに対して日本の民衆が作った自警団等が暴走して、朝鮮人を殺傷したという事件だ。
巷ではこの朝鮮人虐殺はデマであるという説もあるが、
これは反日メディアだけではなく、当時の資料にも載っており、
多数の目撃証言もあるので間違いのない事実である。
しかしこの事件を巡っては
“現代において”釈然としないものがある。
というのはこの事件が起きた要因を指摘するのではなく、
ただ単に「日本が悪い」という文脈“のみ”で使われているように思うからだ。
そう思うのは関東大震災における朝鮮人虐殺に対して、
日本側を非難する言説は溢れているのに、
朝鮮人側の要因を指摘することはほとんどないからだ。
事件には色々な要因がある。
それなのにこの問題を取り上げる人たちは
「日本人=加害者」「朝鮮人=被害者」という関係のみを強調し、
それ以外の要因には目を背けようとしているように見える。
まるで現在の日本人を糾弾するために、事件を利用しているかのようだ。
このような事件が起きた日本人側だけではなく、朝鮮人側の要因も理解すべきだ。
そう…この事件が起きたのは朝鮮人側にも要因はあるのだ。
誤解されたら困るが筆者は朝鮮人虐殺を正当化しようとは思わない。
しかしこの事件に関しては朝鮮人側の要因があまり指摘されていないと思う。
それ故にその観点から記事を書く。
それでは虐殺が起きた時の朝鮮人側の要因とは何か?
それは日本人の恐怖だ!
当時の日本人は朝鮮人に対して恐怖心を持っていた。
彼らのことを恐れていたのだ。
それ故に巨大地震が起きて、行政機能が停止し、治安に対する不安が起きると、
日本人は自警団を作り、過剰なまでの“防衛”をしたのだ。
そして日本人(特に東京方面)が朝鮮人に恐怖心を持つには理由があった。
その理由とは何か?
そこで今回日本人が朝鮮人に対して恐怖するキッカケとなった
16人もの日本人を死傷した事件「李判能事件」について記す。
※日本人は16人で、李判能の妻(朝鮮人)が被害者になっているので全部で17人である。
◎関東大震災前夜の朝鮮人の状況!
1910年日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。
その数は関東大震災の直前の10年間で20倍
(3,635→80,415)にもなる急増ぶりを示している。
<日本国内における在日朝鮮人数>
(警察資料「朝鮮人概況」より、数字は12月末)
(在日朝鮮人数) (増減)
1913年 3,635人
14年 3,542人( ▲93)
15年 3,917人( 375)
16年 5,624人( 1,707)
17年 14,502人( 8,878)
18年 22,411人( 7,909)
19年 26,605人( 4,194)
20年 30,189人( 3,584)
21年 38,651人( 8,462)
22年 59,722人(21,071)
23年 80,415人(20,693)
24年 118,152人(37,737)
25年 129,870人(11,718)
26年 148,015人(18,145)
このように朝鮮半島からの来日数は急激な上昇を示していた。
これは日本人の中に警戒心を引き起こす。
それは欧米の状況を見ればわかる。
アメリカではトランプ政権時代、メキシコからの移民流入を阻止するため
「国境に壁を作る」と公約した。
また欧州で極右政党が台頭しているのは彼らが移民排除を訴えているからだ。
このように従来住んでいた人々にとって外国人の急激な流入は社会に不安を起こす。
朝鮮人の急激な人口増加は日本人の警戒を引き起こした。
◎当時の日本人の朝鮮人に対するイメージ!
当時の日本人の、朝鮮人に対するイメージはどうか?
日本人は朝鮮人に対して暴力的なイメージを持っていた。
例えば関東大震災が起きる4年前、1919年には三一独立運動が起きた。
これは大韓民国の独立運動だったが、日本国内では“暴動”と見られた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%AE%87%E5%A5%8E
また同じ1919年には朝鮮総督の斉藤実が現在のソウル駅で爆弾テロにあった。
幸い斉藤総督にケガはなかったが、死傷者37人を出す惨事となった。
更に約10年前には初代総理大臣の伊藤博文がテロにあって殺されている。
このような事件が繰り返されることによって日本人には
朝鮮人に対して暴力的なイメージを持っていた。
◎犯罪者数と種類!
さらに来日朝鮮人を警戒する2つの理由があった。
一つは彼らの犯罪者数の多さだ。
もう一つは来日した彼らが定住しなかったことだ。
先に「定住しなかった」ことを説明しよう。
彼ら朝鮮人は朝鮮半島から来日したばかりだった。それ故に身軽だった。
そこで現在勤めている職場より、条件の良い職場があればすぐに異動した。
彼らは日本に来たばかりでそういうことができるのだが、
日本人からすると、隣に住んでいる人が急にいなくなり、
別の得体のしれない人物が住み着くことになる。
そういうことからも警戒感が高まった。
そして犯罪者数だが、
少々時代は下るが、震災から4年後(1927年12月)の資料
「内地に於ける朝鮮人と其犯罪に就て 昭和2年12月(司法省)」によると、
※「在日朝鮮人関係資料集成(1)」 P277より
内地に於ける朝鮮人は近来年毎に激増しつつあることは
既に記述した処なるがその犯罪者も激増しつつある。
※赤字は筆者
と記述しながら、内地の朝鮮人犯罪と半島の内地人犯罪を比較している。
因みに「内地」とは日本列島のことで「内地人」とは日本人のことである。
まず朝鮮人犯罪者数について引用すると、
(犯罪者数) (朝鮮人総数)
1915年 44人 3,917人
16年 68人 5,624人
17年 72人 14,502人
18年 145人 22,411人
19年 237人 26,605人
20年 233人 30,189人
21年 235人 38,651人
22年 302人 59,722人
23年 448人 80,415人
24年 455人 118,152人
25年 660人 129,890人
このように朝鮮人の犯罪者は10年間で
44人から660人に激増している。
震災年(1923年)に関しても448人と
1915年と比較して10倍にもなっている。
確かに人口が激増をしているので、犯罪者が増えることも当たり前かもしれない。
しかし他方、朝鮮半島にいる日本人の場合は
(犯罪者数) (朝鮮半島内の日本人総数)
1915年 1,139人 303,659人
25年 360人 424,740人
と、人口が4割ほど増加しているが、犯罪者数は減少している。
朝鮮人は人口増加とともに犯罪者数も増加している。
しかし日本人は人口の増加に関わらず犯罪者数は減少しているのだ。
大体、日本人は人口で3倍以上(約13万人対42万人:1925年時点)なのに、
犯罪者数は朝鮮人の半分程度(360人対660人)なのである。
如何に朝鮮人の犯罪者が多かったかわかるだろう。
そして朝鮮人の犯罪の種類だが、
先の資料(「内地に於ける朝鮮人と其犯罪に就て 昭和2年12月(司法省)」)によると
一番多いのは窃盗で、2番目は傷害だった(※在日朝鮮人関係資料集成(1)P278)。
例えば震災から2年後の1925年の数字では
「窃盗」が396件、「傷害」が137件となっている。
その他では「殺人」が10件、「猥褻・姦淫等」が6件となっている。
このように窃盗が多いとはいえ、朝鮮人に犯罪者が多かったのは事実だ。
ところで朝鮮人の犯罪の種類を見て意外に感じるところは、
いわゆる「婦女暴行」にあたる「猥褻・姦淫等」が意外に少ない。
これは震災時の流言飛語で「朝鮮人が婦女暴行をしている」という
デマが広がったこととは整合性がとれない。
それならそのようなデマが吹聴される下地はあったのではないか?
実は犯罪事実が少ないが、それに類することが当時はあったのだ。
それは…姦通罪だ!
◎朝鮮人間の姦通罪!
実は数字には表れないが、
来日した朝鮮人間では女性の取り合いが多かった。
そして当時の日本では姦通罪という刑法上の罪があった。
姦通罪とは、婚姻している者が、他の者と姦通することにより成立する犯罪である。
この“犯罪”は、戦後には廃止された。
現在でいうと「浮気」である。
その姦通罪が朝鮮人間では多かったと思われる。
彼らは日本の警察に訴えないので数がわからないのだ。
しかし1924年(震災の翌年)の大阪市社会部調査課による「朝鮮人労働者調査」では、
※「在日朝鮮人関係資料集成(1)」P393より
親告罪であるが故に、この犯罪統計表には表はて居ないが、彼等の間に縷々行はるる
犯罪事実がある。それは、私通、姦通の類である。
※赤字は筆者
と指摘している。
大阪市が指摘する理由は、朝鮮人間の男女バランスの歪みである。
基本的に来訪する朝鮮人は男性の…それも比較的若い男性が多かった。
つまり朝鮮人間では女性の数が極端に少ないのだ。
上記調査によると
朝鮮人は男性が74,605人、女性が11,011人となっている。
つまり男女比は7:1となる。
また都道府県別では和歌山県、兵庫県、岐阜県、愛知県などは朝鮮人女性の方が多いが、
これらはみな女工として働いている。故に寄宿舎生活をしており、通常男性に接しない。
それ故、朝鮮人男性にとって数字より女性が不足しているのだ。
当然トラブルも多くなる。
この大阪市の調査員も調査の過程で聞いた話として
より有力なる仲間の為めに、妻を犯され、或は、奪はれて、相手が有力者であるてふ事実
の為めに、泣寝入りしたといふ物語りは、調査中、幾度か耳にしたところである。
と記している。
※「在日朝鮮人関係資料集成(1)」P393より
もちろんこれは朝鮮人同士の話で、日本人女性が対象になることはほとんどなかった。
しかし日本人はそのような状況を知らなかったのだろうか?
大阪市の調査はその点は指摘していない。しかし噂で広まっていた可能性はある。
むしろこの手の話は広がりやすいのではないか?
それ故、行政機関が停止するという震災パニックの中で、
「朝鮮人が婦女暴行をしている」という流言飛語が広がった時に
「さもありなん」と思ったのだろう。
少なくともそういう可能性があるのではないか?
ただしこの考えは筆者の推測が入っていることを断っておく。
先に書いたように当時の日本人の中には朝鮮人に暴力的なイメージがあった。
そのような中で朝鮮人に対する恐怖心を決定付ける事件が発生する。
それが東京市電運転手連続殺傷事件。通称「李判能事件」だ。
事件が起きたのは関東大震災の2年前である。