沈丁花の「反日は差別なり」

なぜ日韓関係が悪いのか?その原因は韓国の反日にある。 そして反日とは差別であるということを説明します。 その他中国を始めとする国際ネタ。国内政治ネタも少し触れます。 沈丁花(ちんちょうげ)とはブログ主の子供の頃のあだ名です。それ故に決して(じんちょうげ)とは読まないでください。

朝鮮人

沈丁花の名前で動画チャンネルもやっています。
2月17日更新 ぜひご覧ください。

日本共産党の松竹氏への除名処分は47年前に予言されていた。
「(共産党)松竹氏の除名処分は47年前に予言されていた!」
https://www.youtube.com/watch?v=gaRaQkd_wCY

関東大震災における朝鮮人虐殺が起きた朝鮮人側の要因(1)

関東大震災の2年前に起こった事件

日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件

 

<ポイント>

・関東大震災時の朝鮮人虐殺のキッカケ

・李判能事件を知っているか?

・日本人16人を殺傷した朝鮮人

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

関東大震災の朝鮮人虐殺のキッカケ
東京市電運転手連続殺傷事件(李判能事件)

 通常、筆者は朝鮮半島出身者を「コリアン」という言葉で記載する。
  ただし今回は「朝鮮人虐殺」がほとんど固有名詞になっているので、
  煩雑さを避けるために「朝鮮人」で統一する。もちろんそこには差別的意図はない

 

 

 「関東大震災における朝鮮人虐殺が起きた朝鮮人側の要因(2)」に続く



1923年9月1日 東京を中心に巨大地震が襲った。
関東大震災である。今年は関東大震災から100周年となる。

この地震では多くの被害が出たが、それにもまして恐ろしかったのは
行政機関が一時的にマヒしたことだ。
そのため治安が一時的に乱れることになった。

この時に起きたのが朝鮮人虐殺である。


これは治安秩序が乱れた中で、「朝鮮人が犯罪行為をしている」という噂が立ち、
それに対して日本の民衆が作った自警団等が暴走して、朝鮮人を殺傷したという事件だ。

 

巷ではこの朝鮮人虐殺はデマであるという説もあるが、
これは反日メディアだけではなく、当時の資料にも載っており、
多数の目撃証言もあるので間違いのない事実である

 

 

しかしこの事件を巡っては
“現代において”釈然としないものがある。

 

というのはこの事件が起きた要因を指摘するのではなく、
ただ単に「日本が悪い」という文脈“のみ”で使われているように思うからだ。

 

そう思うのは関東大震災における朝鮮人虐殺に対して、
日本側を非難する言説は溢れているのに、
朝鮮人側の要因を指摘することはほとんどないからだ。

事件には色々な要因がある
それなのにこの問題を取り上げる人たちは
「日本人=加害者」「朝鮮人=被害者」という関係のみを強調し、
それ以外の要因には目を背けようとしているように見える。

まるで現在の日本人を糾弾するために、事件を利用しているかのようだ。

このような事件が起きた日本人側だけではなく、朝鮮人側の要因も理解すべきだ。
そう…この事件が起きたのは朝鮮人側にも要因はあるのだ。


誤解されたら困るが筆者は朝鮮人虐殺を正当化しようとは思わない

しかしこの事件に関しては朝鮮人側の要因があまり指摘されていないと思う。
それ故にその観点から記事を書く。



それでは虐殺が起きた時の朝鮮人側の要因とは何か


 それは
日本人の恐怖だ!

当時の日本人は朝鮮人に対して恐怖心を持っていた。
彼らのことを恐れていたのだ

それ故に巨大地震が起きて、行政機能が停止し、治安に対する不安が起きると、
日本人は自警団を作り、過剰なまでの“防衛をしたのだ。

 

そして日本人(特に東京方面)が朝鮮人に恐怖心を持つには理由があった。

その理由とは何か?

 

そこで今回日本人が朝鮮人に対して恐怖するキッカケとなった
16人もの日本人を死傷した事件李判能事件について記す。
日本人は16人で、李判能の妻(朝鮮人)が被害者になっているので全部で17人である。

 

 

 

 

関東大震災前夜の朝鮮人の状況!

 1910年日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。

その数は関東大震災の直前の10年間で20
(3,635→80,415)にもなる急増ぶりを示している。

 

<日本国内における在日朝鮮人数>
(警察資料「朝鮮人概況」より、数字は12月末)

            (在日朝鮮人数) (増減)

 1913年   3,635人

   14年   3,542人(   ▲93)

   15年   3,917人(   375)

   16年   5,624人( 1,707)

   17年  14,502人( 8,878)

   18年  22,411人( 7,909)

   19年  26,605人( 4,194)

   20年  30,189人( 3,584)

   21年  38,651人( 8,462)

   22年  59,722人(21,071)

   23年  80,415人(20,693)

   24年 118,152人(37,737)

   25年 129,870人(11,718)

   26年 148,015人(18,145) 

 

 このように朝鮮半島からの来日数は急激な上昇を示していた。
これは日本人の中に警戒心を引き起こす
それは欧米の状況を見ればわかる。

 アメリカではトランプ政権時代、メキシコからの移民流入を阻止するため
「国境に壁を作る」と公約した。
また欧州で極右政党が台頭しているのは彼らが移民排除を訴えているからだ。

 このように従来住んでいた人々にとって外国人の急激な流入は社会に不安を起こす。
朝鮮人の急激な人口増加は日本人の警戒を引き起こした。

 

 

 

 

当時の日本人の朝鮮人に対するイメージ!

 当時の日本人の、朝鮮人に対するイメージはどうか?
日本人は朝鮮人に対して暴力的なイメージを持っていた。

 

 例えば関東大震災が起きる4年前、1919年には三一独立運動が起きた。
これは大韓民国の独立運動だったが、日本国内では“暴動”と見られた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%AE%87%E5%A5%8E

 また同じ1919年には朝鮮総督斉藤実が現在のソウル駅で爆弾テロにあった

幸い斉藤総督にケガはなかったが、死傷者37を出す惨事となった。

 更に約10年前には初代総理大臣の伊藤博文テロにあって殺されている

 

このような事件が繰り返されることによって日本人には
朝鮮人に対して暴力的なイメージを持っていた。

 

 

 

 

犯罪者数と種類!

さらに来日朝鮮人を警戒する2つの理由があった。
一つは彼らの犯罪者数の多さだ。
もう一つは来日した彼らが定住しなかったことだ。

 

先に「定住しなかった」ことを説明しよう。

彼ら朝鮮人は朝鮮半島から来日したばかりだった。それ故に身軽だった。
そこで現在勤めている職場より、条件の良い職場があればすぐに異動した。

彼らは日本に来たばかりでそういうことができるのだが、
日本人からすると、隣に住んでいる人が急にいなくなり、
別の得体のしれない人物が住み着くことになる。
そういうことからも警戒感が高まった。

 

 

そして犯罪者数だが、
 少々時代は下るが、震災から4年後
(1927年12月)の資料
「内地に於ける朝鮮人と其犯罪に就て 昭和2年12月(司法省)」によると、
 「在日朝鮮人関係資料集成(1)」 P277より

内地に於ける朝鮮人は近来年毎に激増しつつあることは

 既に記述した処なるがその犯罪者も激増しつつある。

赤字は筆者

と記述しながら、内地の朝鮮人犯罪と半島の内地人犯罪を比較している。
因みに「内地」とは日本列島のことで「内地人」とは日本人のことである。

まず朝鮮人犯罪者数について引用すると、

 

        (犯罪者数)   (朝鮮人総数)    

1915年    44人      3,917人    

  16年    68人      5,624人     

  17年    72人     14,502人     

  18年   145人     22,411人    

  19年   237人     26,605人    

  20年   233人     30,189人

  21年   235人     38,651人

  22年   302人     59,722人

  23年   448人     80,415人

  24年   455人    118,152人

  25年   660人    129,890人

 

 このように朝鮮人の犯罪者は10年間で
44人から660人に激増している。

震災年1923年)に関しても448人と
1915年と比較して
10にもなっている。

 

確かに人口が激増をしているので、犯罪者が増えることも当たり前かもしれない。
しかし他方、朝鮮半島にいる日本人の場合は

         (犯罪者数)  (朝鮮半島内の日本人総数)

1915年    1,139人    303,659人

  25年      360人    424,740人

 

 と、人口が4割ほど増加しているが、犯罪者数は減少している

朝鮮人は人口増加とともに犯罪者数も増加している。
しかし日本人は人口の増加に関わらず犯罪者数は減少しているのだ。
大体、日本人は人口で3倍以上(約13万人対42万人:1925年時点)なのに、
犯罪者数は朝鮮人の半分程度(360人対660人)なのである。

如何に朝鮮人の犯罪者が多かったかわかるだろう。

 

 そして朝鮮人の犯罪の種類だが、
先の資料(「内地に於ける朝鮮人と其犯罪に就て 昭和2年12月(司法省)」)によると
一番多いのは窃盗で、2番目は傷害だった在日朝鮮人関係資料集成(1)P278

 例えば震災から2年後の1925年の数字では
「窃盗」が396件、「傷害」が137件となっている。
その他では「殺人」が10件、「猥褻・姦淫等」が6件となっている。

 このように窃盗が多いとはいえ、朝鮮人に犯罪者が多かったのは事実だ。

 

 ところで朝鮮人の犯罪の種類を見て意外に感じるところは、
いわゆる「婦女暴行」にあたる「猥褻・姦淫等」が意外に少ない

これは震災時の流言飛語で「朝鮮人が婦女暴行をしている」という
デマが広がったこととは整合性がとれない。

それならそのようなデマが吹聴される下地はあったのではないか?
実は犯罪事実が少ないが、それに類することが当時はあったのだ。

それは…姦通罪だ!

 

 

 

 

朝鮮人間の姦通罪!

実は数字には表れないが、
来日した朝鮮人間では女性の取り合いが多かった。

そして当時の日本では姦通罪という刑法上の罪があった。

姦通罪とは、婚姻している者が、他の者と姦通することにより成立する犯罪である。
この“犯罪”は、戦後には廃止された。
現在でいうと「浮気」である

 その姦通罪が朝鮮人間では多かったと思われる

 彼らは日本の警察に訴えないので数がわからないのだ。

 しかし1924年(震災の翌年)の大阪市社会部調査課による「朝鮮人労働者調査」では、
「在日朝鮮人関係資料集成(1)」P393より

親告罪であるが故に、この犯罪統計表には表はて居ないが、彼等の間に縷々行はるる

犯罪事実がある。それは、私通、姦通の類である。

赤字は筆者

と指摘している。

 

大阪市が指摘する理由は、朝鮮人間の男女バランスの歪みである。
基本的に来訪する朝鮮人は男性の…それも比較的若い男性が多かった。

つまり朝鮮人間では女性の数が極端に少ないのだ

 

上記調査によると
朝鮮人は男性が74,605人、女性が11,011人となっている。
つまり男女比は7:1となる。

また都道府県別では和歌山県、兵庫県、岐阜県、愛知県などは朝鮮人女性の方が多いが、
これらはみな女工として働いている。故に寄宿舎生活をしており、通常男性に接しない。

それ故、朝鮮人男性にとって数字より女性が不足しているのだ。

当然トラブルも多くなる

この大阪市の調査員も調査の過程で聞いた話として

より有力なる仲間の為めに、妻を犯され、或は、奪はれて、相手が有力者であるてふ事実

の為めに、泣寝入りしたといふ物語りは、調査中、幾度か耳にしたところである。

 と記している。 
「在日朝鮮人関係資料集成(1)」P393より

 

もちろんこれは朝鮮人同士の話で、日本人女性が対象になることはほとんどなかった。
しかし日本人はそのような状況を知らなかったのだろうか?

大阪市の調査はその点は指摘していない。しかし噂で広まっていた可能性はある。
むしろこの手の話は広がりやすいのではないか?
 

それ故、行政機関が停止するという震災パニックの中で、
「朝鮮人が婦女暴行をしている」という流言飛語が広がった時に
「さもありなん」と思ったのだろう。
 少なくともそういう可能性があるのではないか?
 ただしこの考えは筆者の推測が入っていることを断っておく。

 

 

先に書いたように当時の日本人の中には朝鮮人に暴力的なイメージがあった。
そのような中で朝鮮人に対する恐怖心を決定付ける事件が発生する。
それが東京市電運転手連続殺傷事件。通称「李判能事件」だ。
事件が起きたのは関東大震災の2年前である。



 「関東大震災における朝鮮人虐殺が起きた朝鮮人側の要因(2)」に続く


(マスコミが報道しない事実)戦前、日本軍人の妻が朝鮮人の毒牙にかかっていた。

 

 

戦前、日本人妻が朝鮮人に狙われた

日本のマスコミが書かない事実を書く

「報道しない自由」を許してはならない

―――――――――――――――――――――――――――――――

 約7,000文字 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

<目 次>

  1. 韓国批判はダメだが、日本批判はOK

  2. 戦後の風潮=戦前の日本を「絶対悪」とする風潮

  3. 偏った情報提供 韓国の犯罪行為は報道されず

  4. 戦前の朝鮮人が、日本軍人の妻を毒牙にかけた。

・単純な不倫(姦通)事件

・不倫(姦通)事件によるトラブル

・強姦および強姦未遂

5.報道しない自由 だからここに書く!

 

 

 

1.韓国批判はダメだが、日本批判はOK!

 現在日韓関係は最悪の状況になっている。

 韓国が反日行為を行い、それに対して日本が反発して
日韓関係は悪化の一途を辿っている。
ワイドショーでは嫌韓報道が行われ、雑誌でも嫌韓特集をされる。
また韓国への厳しいコメントが流通して、日本全体が嫌韓一色になったかのようだ。

 

こういう中で最近では日本の嫌韓を諫めるような発言も出ている。

 

 

 例えば週刊ポストの事件だ。

 週刊ポスト9月13日号(9月2日発売)で「韓国なんて要らない」という特集を組んだ。
それに対して批判が殺到した。最初は一部の作家が声を上げたのだが、
その意見が広まり、メディアでも取り上げられるようになった。

 そして遂に週刊ポストは謝罪する羽目になった

 

 

 筆者は週刊ポストの特集自体何も問題だと思っていない。
「韓国は要らない」という観点から記事を書いても何も問題ない。

 

なぜこれがヘイトになるのだろうか?

 

 

またこういうことを批判する人は、むしろ日常的に「表現の自由」や
「言論の自由」を吹聴している人だ。しかしこと韓国への批判に対しては、
その日頃の主張をかなぐり捨てて、「表現」や「言論」を制限する方向に動く。

 

こういったダブルスタンダードが行われているのが現在の日本だ。

 

 

 実はこれこそが問題なのだ。現代の日本では韓国の批判(嫌韓)が
蔓延していると思われるかもしれないが、実は問題は
そこには無い

むしろ逆に韓国の批判ができなかったことが問題なのだ。

 

 

 

 

2.戦前の日本を「絶対悪」とする風潮

日本では韓国に対する批判がタブー視されている。その代わり日本批判は
何でも無制限にできる。こういう風潮が一般的であり、
そしてその風潮に流されてきたのが戦後の日本なのだ。

 

 

例えば「韓国は嘘つきだ」と書けばヘイトと言われるが、
韓国が「日本は歴史を偽造している」と書いても
全く問題がない

 「歴史を偽造」とは“嘘をついている”ということだ。
つまり「韓国批判=ヘイト」であり、「日本批判=正しい」ということだ。
これが普通行われてきたのが戦後日本の風潮なのだ。

 

 

 なぜこういうことになるのかというと、
戦後の日本は戦前の否定から出発しているからだ。

 戦前を否定し、戦後の自民党政権をその引継ぎと見做し、
それを批判することが絶対に正しいという考え。それが戦後の思想だったのだ。

 

 それ故に日本を否定し、その被害者?である韓国を持ち上げることが常態する。
日本を批判することは良いが、その被害者?である韓国を批判するのはまかりならん。
そういう風潮が一般化するのだ。

 

 

 

 

3.偏った情報提供 韓国の犯罪は報道されず

 戦後の風潮としては戦後を否定することが正しい。
そのため戦前の日本の被害者?である韓国を持ち上げる報道が一般的になる。
「日本は悪く」「韓国は正しい(もしくは可哀そう)」という
情報ばかりが流通することになる。

 

 こういう状況は何を生むのだろうか?

 

 それは韓国もしくは戦前の朝鮮の不利なことは報道しないという風潮になるのだ。
事実、戦後の報道でも在日コリアンの犯罪は日本名を報道し、
本名である朝鮮名を報道しないことが一般化した。

 最近では韓国擁護がしにくくなったという意見が散見されるが、
むしろこれまでは「韓国擁護しか許されない」という風潮があったのだ。

 

日本が「こんなに悪いことをやった」という報道は多いが、
こんなに貢献したという報道は皆無だ。事実、戦前および戦後の朝鮮半島では、
多くの日本人が貢献していたが、それに触れられることは全くない。

この一事だけ見ても、戦後の日本の風潮は異常だったと言わざるを得ない。

 

先の週刊ポストの記事を批判している人たちは、その戦後の風潮に流されている人、
もしくは積極的に取り入れてきた人だといえるだろう。

 

 

 そしてその異常な日本の風潮(特に言論空間)が何を生み出すのだろうか?

それは情報の偏りである

 

 

 日本を否定する意見だけが流通し、肯定する意見は無視される。
そして我々日本国民はそれを知らない。

 そしてそういう状況を日本のマスコミが積極的に作っているのだ。

 

 

 本来は自由な報道により、そして多様な言説により、
異なった考えを提示するはずのマスコミが、むしろ単一の
「日本が悪い」という報道のみを報道する。ここには多様な言説の圧殺があり、
大本営発表がある。

 

 そういう風潮に異議申し立てをするために以下に戦前の社会問題を記す。

 

 

 

 

4.戦前の朝鮮人が、日本軍人の妻を毒牙にかけた

 日本は昭和12年(1937年)から日中戦争に入っていった。
そして多くの日本人が徴兵され、大陸に渡っていった。
兵される日本人は独身者もいたが、妻帯者も大勢いた。

 そして大量の男性が大陸に渡るのと反比例して、日本の内地では
大勢の日本人妻が留守を預かることになった。

 

 日本人男性が減るのを尻目に、朝鮮人男性は徴兵や徴用の義務はなかった。
そのため貴重な男性の労働力として、入り込んできた。

 

 夫が大陸に赴任している日本人妻と、半島から内地に渡って来た朝鮮人男性。
そこで色々なトラブルになっていった。

 中には単なる不倫事件もあったが、不倫をキッカケとした犯罪
(金品要求、DV、家庭不和)、更には強姦事件などが起きていた。

 

 事件は大別すると3つに分けられる。「単純な不倫事件」と
「不倫関係から犯罪若しくは家庭不和」になる場合、そして「強姦および強姦未遂事件」。

 

 ここに、それぞれ主に目についた事件だけを記す。
以降の引用については朴慶植編「在日朝鮮人関係資料集成」より抜粋した。

 

 

 

 

現在からは差別的な表現がありますが、時代上そのままの表記とします。

犯罪者の個人名については伏字とします。

長い文章については適宜、句読点を補い、読みやすくしました。

旧字については現代風に直している場合があります。

※赤字は筆者

 

 

 

 

単純な不倫事件

 これは単純な不倫事件の場合である。日本人女性と朝鮮人男性の不倫だ。
現代では不倫というだけでは刑事事件にはならないが、当時は「姦通罪」
という犯罪があり、妻が不倫をした場合は相手男性も含めて刑法犯となる。

 これは親告罪なので、夫の告発が必要だが、警察が動く罪で会ったことは事実だ。
また戦争中であり、兵士の動揺を抑えるために、当局は積極的に取り締まっていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A6%E9%80%9A%E7%BD%AA

 

 

<福島県石城郡のケース>

・日 時  昭和十五年四月

・場 所  福島県石城群

・事 件  不倫事件

・概 要  以下

 

 本籍:忠清南道論山郡城東面 住所:福島県石城郡 
採炭夫○○(筆者注:朝鮮人名)当二十四年は、同町所在雑貨商某方に出入中、
同家長男が出征し居るを知り、其の妻に劣情を持ち、其の後同女に接近すべく
機を窺いひつつありたるが、遂に本年四月上旬同女と関係するに至り、
爾来不倫行為を継続し、居りたり。

 

 

 所轄署に於ては同人の行為は出征兵の留守宅を脅すものとして
看過し難きものあるを以て、同人を住居侵入罪として検挙取調中なるが、
処分の決定後本籍地に送還する筈なり。

 

 

 

 このケースは単純な不倫である。確かに朝鮮人男性は「狙ってはいた」。
しかし暴力や脅迫は行っておらず、関係している。

 ただし出征兵の士気を勘案して検挙しているが、なぜか「姦通罪」ではなく、
「住居侵入罪」で取り調べている。記事中にはそのような記述はないが、
なぜか姦通罪での取り調べはしていないようだ。

 

 

 

 

不倫関係から犯罪もしくは家庭不和

 キッカケは不倫であり、その点では犯罪ではない(姦通罪は除く)が、
其の後トラブルになったケースもある。

 例えば以下のケースだ。

 

 

<福島県八幡市のケース>

・日 時  昭和十二年八月

・場 所  福岡県八幡市

・事 件  不倫事件(一部強制)

・概 要  以下

 

 本籍:慶尚南道、住所:福岡県八幡市人夫○○(筆者注:朝鮮人名)
当四十四年は昭和十二年八月居町より出征せる某の妻女を誘惑せんと意図し、
種々甘言を弄し接近し、遂に同年十月中情交関係を結び、爾来不倫行為を
継続し居たるが、客年四月同女は妊娠するに至れり。

 

 而して当時八幡憲兵隊に於て右姦通事件を探知せられ取調べを受けたる結果、
本年一月中家族を同伴し所在を韜晦せり。然るに一方出征中の夫某は
本年三月召集解除となり、帰郷し、前記事実を知り激怒し、
四月七日妻女を正式に離婚の上、○○と共に姦通罪にして
所轄検事局に告訴を提起する所あり
。福岡県に於ては同人の所在捜査中なり。

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第4巻 P341

 

 

 

 このケースでは、最初は通常の不倫だが、女性は妊娠した。
そのため夫に知られ、離縁されてしまった。
さらに姦通罪で訴えられて、取り調べ中である。

 これは女性の側にも問題があるが、朝鮮人の誘惑により、
一つの家庭(夫婦)が破綻したケースである。

  

 

 同じように不倫として始まったが、妊娠したことで堕胎を強要したケースもある。

 

 

 

 

<大阪市住吉区のケース>

・日 時  年月日不明 

・場 所  大阪市住吉区

・事 件  不倫事件(一部強制)

・概 要  以下

 

 本籍:江原道、住所:大阪市住吉区阿倍野 写真技師の池田和夫こと
○○(筆者注:朝鮮人名)当二十二年は傷痍軍人を偽装し、
高額にて大阪府住吉区内に写真技師として就労し、且雇主義妹某二十八年に対し、
甘言を以て、之を籠絡せんとし、拒絶さるるや、
「自分が傷痍軍人として斯る行為に出づるからは、必ず一生其の責に任ずべし」
等の虚言を弄し、

 

 

 遂に不倫関係を結び、妊娠するや堕胎薬の服用を迫り
峻拒さるるや自己の不正事実の発覚することを察知し、同家より解雇逃晦せんと企図、
其の手段として再度応召する旨、虚構の事実を流布し居りたるを、
大阪府特高課にて検挙、厳諭の上三月二十一日送還したり。

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P120

 

 

 

 

同じく不倫がスタートだが、自分の妻子と同居させ、
トラブルになるとDVを行っていた朝鮮人もいる。

 

 

 

<長野県松本市のケース>

・日 時  昭和14年1月 

・場 所  長野県松本市

・事 件  不倫事件(一部強制)

・概 要  以下

 

 本籍:慶尚北道金山郡、住所:長野県松本市、古物商○○(筆者注:朝鮮人名)
当四十五年は昭和二年住所地に渡来し古物商を営み居れるが、
性怠惰にして家庭には妻及三子あるに不拘家庭を顧みざる処より
常に家庭内に風波絶へざる状態にありたり。

 

 

 而して偶々同市内知人某女方に其の妹にして応召軍人の妻が同居し、
市内某製糸工場に通勤中なるを知り、之を誘惑せんと意図し、
姉と知り合ひなるを
奇貨とし、映画、演劇への同伴、
物品の贈与等種々同女の歓心を買ひ、遂に之を篭絡し情交関係を結び
本年一月二十五日以来は市内某所に同棲する等、不倫行為を反復し居りたり。

 

 

而も三月初旬よりは同女を自己の家庭の妻子と共に同居せしめ
周囲の諫言も耳にせざるのみか、剰へ妻子を虐待する等益々不倫行為を逞くし、
近隣より顰蹙さるるに至りたり。

 

 

 長野県に於ては銃後援護上看過し難きものあるを認め、
本月十八日○○及関係者を召致し、取調べの上厳重訓戒を加へたり。
而して○○及同女の姦通罪被疑事件は告訴権者(筆者注:夫のこと)の
帰還を待って措置する事となせるが、応召中の夫は右取調完了の直後、
公電により戦死せる事判明せり

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第4巻 P339~340

 

 

 

 このようなケースでも夫が戦死したため、姦通罪でも告訴されなくなった。
なんか居たたまれない事件だが、こういう事件も日本のマスコミは報道しない。

 

 

 

 

 

強姦および強姦未遂事件

 そして強姦事件も起きていた。

 下のケースは夜中に侵入したので夜這いのケースにも見えるが、
「不倫関係を強要し」とあるので、強姦の範疇に加えた。

 このケースは女性が妊娠し、なおかつ不幸な事故
(他人の子供を子守中、不幸から焼死させた)ため、自殺まで考えたケースだ。

 

 

<長野県上伊那郡のケース>

・日 時  昭和十六年年四月十日

・場 所  長野県上伊那郡

・事 件  強姦事件

・概 要  以下

 

 本籍:慶尚南道密陽郡、住所:長野県上伊那郡在住の
○○(筆者中:朝鮮人 36歳)は、昭和十六年三月頃より、
肩書住所地付近出征軍人妻某宅へ行商の為出入中、劣情を発し、
同人を姦淫する目的を以て接近し、客年(筆者中:昨年)四月十日夜
其の住居に侵入し、不倫関係を強要し、遂に同人と関係結ぶに至りたり

 

 

 之が為、同人は妊娠し、且近隣の風評も高まりたるを以て、
隣村知人方に移転同居する内、同家の長男某当年二歳を子守り中、
火炎によって誤って焼死せしめたる等の事あり自責の念に駆られ、
本年一月十四日縊死を企て居る
を家人に発見阻止せられ、
厳重なる看視と訓戒を受けつつあり。

 

 

 被疑者○○は住居侵入罪として送局中の処、
飯田区裁判所に於て同年一月十五日懲役六月の判決の言渡(確定)ありたり。

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P107

 

 

 

 懲役六か月の刑を受けているが、釈然としない。
相手の女性は自殺を考えるほどなのに。
確かに自殺の直接の動機は男の責任ではないだろうが、
そのキッカケは男が作っている。

全てはこの男の強姦事件から始まっているが、
その責任はたった六か月の刑でしかない。

 

 

 

そして動画でも紹介した強姦未遂のケースだ。

 

 

<大阪府大阪市の強姦未遂のケース>

・日 時  昭和十三年十月 

・場 所  大阪府大阪市

・事 件  婦女暴行未遂及び脅迫事件

・概 要  以下

 

 本籍:全南、住所:大阪市内、○○(筆者注:朝鮮人名)
当二十二年は昭和七年内地に渡来後、湯屋の三助として大阪市内を転々し、
昭和十三年九月より大阪市所在出征軍人留守宅湯屋営業某方に被雇稼働中に在りたるが、
留守営業中の主家女将三十五年を誘惑すべく意図し
遂に十月十五日午前二時頃店頭番台の側にて女将と雑談せるを好機となし、
卒然同人に接吻したる上暴行せんとするが、抵抗せられ未遂に終りたり。

 

 

 而して爾来同人は殊更自暴自棄になりたる如く装ひ、飲酒しては女将に対し
俺が店に居る間に必ず一度は自由にする」云々と暴言を吐き、主家に於て、
湯屋の慣例として雇人の意に反し解雇したる場合は、
他に就職する迄食費其の他の費用を支弁する事となり居る為、
止むなく雇用し居たるに増長し、遂に自己が女将と接吻せる事を
故意に友人知己に吹聴するに至り、女将が出征軍人の妻として斯る風評を恐れ、
極力隠蔽せんとするや、その弱点に附込み、洋服代、其の他物品購入を口実に
金銭の前借を迫り、前後七回に亘り計七十円を借受け、
十一月二十一日右借金を踏み倒し店を辞したり

 

 

 然るに其の後も時々来訪し、女将に対し情交を迫り、
或は金円を強要する等の非行を敢て為し、前後七回に亘り計百五十円余を領得せり。

 

 

 更に同人は同年十二月末大阪市所在出征軍人留守宅湯屋営業某方を物色し、
同家に被雇同家妻女に対しても同様手段に出でんと窺機中にありたり。
大阪府に於ては、同人を検挙取調べの上、叙上事実を究明し、
厳重戒◎の上本月十一日、本籍地に諭旨送還せり。

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第4巻 P336

 

 

 

 

5.報道しない自由 だからここに書く!

 ここに書いた事例はほとんど知られていないだろう。
それは先に書いた戦前の日本を絶対悪とする風潮があるからだ。

 

 戦前の日本が悪いので、その被害者?の韓国(昔の朝鮮)は
擁護しなければならない。彼らを批判するのはヘイトである。差別である
こういう風潮が蔓延していた。

 

 しかし最近の嫌韓の雰囲気がそういう風潮に風穴を開けている。
それでマスコミをはじめとする知識人は危惧を感じて、嫌韓に対して攻撃を加えている

 

 その端的な事例が週刊ポストへの攻撃なのだ。

 

 我々は事実を知るべきだ。

 それはもちろん日本に対する不利な事実も含まれるが、
日本にとっての有利な事実も知るべきだ。韓国への加害的事実も知るべきだが、
韓国からの加害的事実も知るべきだ。

 そういう多角的な情報を把握することで、より正しい判断が導き出せる。

 

 しかし実際に行われていることは何かというと、
マスコミは
「報道しない自由」を発揮し、日本国民に知らせてこなかった。

 国民の正しい情報を知らせるための報道の自由が、
国民をミスリードするための情報提供のみが行われ、
なおかつ正しい情報を知らせると「ヘイト」のレッテルを貼って、
報道を圧殺する。

 

 日本のマスコミが行っていることは、言論弾圧である。

 

 我々日本人は事実を知らなければならない。

 それは不利な情報ももちろんだが、
日本の功績も、韓国の犯罪も、両方知るべきなのだ。

それをマスコミが報道しないのなら別の人が書くしかない。

 

 

 だから私は…沈丁花は書く!

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

山口県美禰郡の朝鮮人集団暴行殺人事件(1943年)

 

 

山口県美禰郡 集団暴行殺人事件

口論から朝鮮人労務者が日本人を殺害。

現代の我々の認識と違い、朝鮮人には甘かった

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 現在日韓関係は最悪の状況になっている。

 その理由は韓国側にあるというのが筆者の見解だが、他方日本側にも問題がある。

それは韓国側の反日行動に対して、これまで擁護してきた面があったということだ。

 

 その擁護には積極的に擁護する意見もあったが、むしろそういう意見は少数派であり、
大多数の擁護とは
黙認によるものである。

 

 つまり韓国側の反日行為に対して、「何も言わない」ということだ。

 

これは日本側の贖罪意識が影響しており、それは自虐的な教育によって
生み出されている。そしてそれは戦前のことを教えない教育界、
またマスコミの行動によって引き起こされている

 

 

以前、筆者は戦前のコリアンの猟奇的犯罪である李判能事件について書いた。
これはのちに関東大震災時の日本人による過剰な朝鮮人虐殺の
キッカケになった事件であるが、ほとんどの人はこの事件を知らなかった。

 

これはマスコミおよび教育界の怠慢というものである。

 

しかしそのことを嘆いていても始まらない。そこで筆者はその反省に立ち、
戦前のコリアンの犯罪行為およびその他の行動を事実として提示する。

 

この事実をご覧いただき、そして日本人としての贖罪意識を解消する一助となれば幸いである。

 

 

現在からは差別的な表現がありますが、時代上そのままの表記とします。

犯罪者の個人名については伏字とします。

長い文章については適宜、句読点を補い、読みやすくしました。

旧字については現代風に直している場合があります。

漢数字は、算用数字に変更する場合があります。

 

 

 

山口県美禰郡 移入労務者集団暴行事件

・日 時  昭和十八年八月十六日

・場 所  山口県美禰郡大嶺町 日鉱山陽無煙鉱業所 桃ノ木区事務所

・事 件  集団暴行殺人事件

・被害数  内地人 四名(うち死亡一名)、朝鮮人六名(うち重傷者四名)

 

 

(概 要)

被害者(死亡)○○(筆者注:日本人)は同県下船木町(筆者注:別職場)に於て
炭鉱夫として稼働中の者なるが、、盆休みを利用し、実父の居住せる大嶺町桃ノ木に帰省し、
八月十六日現住地への帰途、知人宅へ立ち寄り飲酒中、
同席せる加害者××(筆者注:朝鮮人)に対し、
「お前は兵隊に行ったとか、行かぬとか謂ふが朝鮮人だらう」と
侮蔑的言辞を為したるに端を発し、両者に論となりたるを、

 

 

付近に居合わせたる同鉱業所移入朝鮮人が加わり○○に加害するに至り、
之を聞知したる労務係内地人が之を鎮撫せんとしたるも平素労務係に
好感を有せざりし朝鮮人は、益々激昂、集団を以て労務係三名に負傷せしむ等、
形勢悪化しつつありたる折柄、所轄署員が到着し、之を鎮撫したる結果、
事件は鎮静に帰する如く見受けられたり。然るに同社同社警備員等が
「トラック」にて現場に到着せる為、移入労務者は再び激昂
警備員と対立し、衝突乱闘するに至りたるものなり。

 

 

 

(発生原因:近因)

 本事件の直接原因は被害者○○が飲酒中同席せる加害者××に対し、
「お前は兵隊に行ったとか、行かぬとか謂うが朝鮮人だらう」との
侮蔑的言辞に端を発したるものなり。

 

 

 

(発生原因:遠因)

事業の拡張生産増強に伴ひ、要員の枯渇充足の為、昭和十五年以来
移入鮮人労務者に依存し、其の移入総累計1,434名、現在員数580名あり。
試に従業員中鉱内労務者の実情より見るに内地人582名に対し、
朝鮮人686名(内移住労務者580名)に達し、更に鉱内採炭現場に
在りては
内鮮人比率は1対5となり居れる為、鮮人労務者は数に依る優越感より
漸次増長の傾向ありて、幹部の指示注意等をも軽視し、
集団的反抗的態度を以てする事例もありたり。

 

 

然るに炭鉱側にありては其の処置鮮人側に対し寛大にして、
不問に附する場合多く、幹部は事勿れ主義に鮮人の行動を黙過する傾向より、
その増長振り相当顕著なるものありたり。斯くの如き状況は勢ひ
内鮮人間に溝を生ずると共に炭鉱側の鮮人指導につき、
内地人労務者間には不満の感情醸成したるものにじて為に、
事件勃発後双方の雰囲気を極度に悪化せしめたるものと認められる。

 

 

 

(警察措置:事件発生当時)

 ~前略~

 而して今日に於て、所轄署長並に特高課員及び会社幹部に於て
移住鮮人約600名を各寮に集合せしめ、軽挙妄動を厳重訓戒せる処、
何れも就労を誓ひ、当日入坑予定数100名中69名の入坑を見るに至れり。

 

 

 尚一方内地人側に於ては翌十七日は取調の関係もあり、
数十名の入坑者ありたるのみにして事件直後内地労務者側に於ては会社側の慰撫に対し、
釈然たらざるものあるやの雰囲気察知されたるを以て、二十日会社側は
内地人労務者の前後措置に対する懇談を所轄警察署の指導に依り開催し、
所轄署長より今後安全保証並びに鮮人側の鎮撫態度に付き、状況を伝へ、
訓戒を与えたるに労務者側に在りては産業戦士として即日入坑を誓約し、
平常の通り、就労するに至りたり。

 

 而して今回の事件の遠因は会社側の拙劣に因る処少なからざるに鑑み、
会社側に対し、厳重警告を発したり。

 

 

 

(警察措置:その後)

 事件関係者中移入労務者12名を傷害致死罪として
移入労務者20名内地人11名(勤報隊員5名)を傷害罪として、
八月二十一日送局したる処、勤労報国隊員2名は九月八日に至り、
釈放せられたるが、他は山口刑務所に強制収容せられたり。

 

                      

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P220~227
※赤字は筆者

 

 

 

 

コメント

 これは終戦2年前の昭和十八年に山口県で起きた事件である。

 当時、戦争に激化により、多くの日本人男性が戦場に行っていたが、
他方、国内での労働力が足りなくなっていた。

 

 特に炭鉱や鉱業所などでは戦争遂行に必要な物資を手に入れるために
必須であったが、その労働力は足りていなかった。

 

 そこで朝鮮人の労働力に頼るようになっていった。

 

 現在問題になっている徴用工などはこの文脈で出てくる。
1938年に国家総動員法が通り、その後、朝鮮人に対しても
労働提供を求められるようになった。

 因みに日本人男性は「徴兵」が義務化されていた。

 

朝鮮人に対しては、最初は「募集」だったが、その後「官斡旋(1942年)」
そして徴用(1944年)」と適用されていった。
この事件は昭和十八年(1943年)なので、徴用の適用ではなかったが、
官斡旋であっただろう。

 

ここで「移入労務者」という言葉が出てくるが、これは半島出身の朝鮮人のうち、
実際に朝鮮半島から来た人をいう。
 同じ朝鮮半島出身者でも、当時内地(つまり日本列島)に住んでいる朝鮮人
(今でいう在日コリアン)に関しては、使っていなかった。

因みに日本にいる朝鮮人に関しては
1944年以前から徴用が適用されていたこともある。

 

 

 

この事件に関して言うと、まず朝鮮人の労務者に頼らなければならないので、
「朝鮮人を甘やかして管理していた」ことが指摘できる。

もちろん「甘やかせていた」といっても現代の観点とはケタが違うだろうが、
必ずしも「朝鮮人をこき使う」ものではなかった。

 

また会社側は「事勿れ主義」から朝鮮人に対して寛大に対処する傾向があり、
それに伴い朝鮮人側に「増長の傾向」があり、
それに対して日本人が不満を募らせていたことも指摘できる。

 

 

いずれにせよ、後年の我々が理解しているところとは
ずいぶん違う状況があった。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

宮城県で起きた朝鮮人の集団暴行事件

 

 

宮城県の飛行場建築工場のケース

朝鮮人労務者が集団で暴力沙汰を犯した。

キッカケはストーブの位置だった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 現在日韓関係は最悪の状況になっている。

 その理由は韓国側にあるというのが筆者の見解だが、他方日本側にも問題がある。

それは韓国側の反日行動に対して、これまで擁護してきた面があったということだ。

 

 その擁護には積極的に擁護する意見もあったが、むしろそういう意見は少数派であり、
大多数の擁護とは
黙認によるものである。

 

 つまり韓国側の反日行為に対して、「何も言わない」ということだ。

 

これは日本側の贖罪意識が影響しており、それは自虐的な教育によって
生み出されている。そしてそれは戦前のことを教えない教育界、
またマスコミの行動によって引き起こされている

 

 

以前、筆者は戦前のコリアンの猟奇的犯罪である李判能事件について書いた。
これはのちに関東大震災時の日本人による
過剰な朝鮮人虐殺のキッカケになった事件であるが、
ほとんどの人はこの事件を知らなかった。

 

これはマスコミおよび教育界の怠慢というものである。

 

しかしそのことを嘆いていても始まらない。そこで筆者はその反省に立ち、
戦前のコリアンの犯罪行為およびその他の行動を事実として提示する。

 

この事実をご覧いただき、
そして日本人としての贖罪意識を解消する一助となれば幸いである。

 

 

現在からは差別的な表現がありますが、時代上そのままの表記とします。

犯罪者の個人名については伏字とします。

長い文章については適宜、句読点を補い、読みやすくしました。

旧字については現代風に直している場合があります。

 

 

 

 

多衆暴行傷害事件

・日 時  昭和十七年

・場 所  宮城県挑生郡

・事 件  集団暴行事件

・概 要  以下

 

宮城県挑生郡矢野本町所在松島飛行場建設工事場に於ては、
徴用鮮人労務者八百余名を就労せしめ居られるが、
本月八日午後八時三十分頃、右徴用鮮人に於てストーブの位置問題より発端し、
ストーブを破壊する等乱行ありたるを以て守衛二名は之を静止せんとし、

 

 

肯んぜざる鮮人徴用工を殴打せる処、
日頃守衛の取締態度に不満を抱き居りたる之等鮮人労務者は大いに憤慨し、
爾余の二百八十名も雷同し、約四百名は大挙して該守衛を袋叩きにし、
之に瀕死の打撲を與へたり。而して一団は更に守衛詰所を襲はんと職場に蝟集し、
鮮語にて扇動的演説を行ふ等相当険悪なるものありたり。

 

 

同飛行隊より武装せる水兵十八名出動し、鎮圧に努めたる結果、
同日午後九時十分一応鎮静に帰したり。

事件は石巻憲兵隊にて主謀者を検束の上取り調べ中なり。

 

 

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P134

 

 

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

 

福島県岩城郡 炭鉱での強姦事件等

 

 

福島県の炭鉱でのケース

朝鮮人男性による強姦事件等

多くのトラブルが発生していた

―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 現在日韓関係は最悪の状況になっている。

 その理由は韓国側にあるというのが筆者の見解だが、
他方日本側にも問題がある。

それは韓国側の反日行動に対して、これまで擁護してきた面があったということだ。

 

 その擁護には積極的に擁護する意見もあったが、むしろそういう意見は少数派であり、
大多数の擁護とは
黙認によるものである。

 

 つまり韓国側の反日行為に対して、「何も言わない」ということだ。

 

これは日本側の贖罪意識が影響しており、それは自虐的な教育によって生み出されている。
そしてそれは戦前のことを教えない教育界、またマスコミの行動によって引き起こされている

 

 

以前、筆者は戦前のコリアンの猟奇的犯罪である李判能事件について書いた。
これはのちに関東大震災時の日本人による過剰な朝鮮人虐殺のキッカケになった事件であるが、
ほとんどの人はこの事件を知らなかった。

 

これはマスコミおよび教育界の怠慢というものである。

 

しかしそのことを嘆いていても始まらない。そこで筆者はその反省に立ち、
戦前のコリアンの犯罪行為およびその他の行動を事実として提示する。

 

この事実をご覧いただき、そして日本人としての贖罪意識を解消する
一助となれば幸いである。

 

 

現在からは差別的な表現がありますが、時代上そのままの表記とします。

犯罪者の個人名については伏字とします。

長い文章については適宜、句読点を補い、読みやすくしました。

旧字については現代風に直している場合があります。

 

 

 

 

移入朝鮮人労務者の風紀問題

・日 時  昭和十四年十月~昭和十七年八月

・場 所  福島県石城郡

・事 件  強姦事件等 計13件

・概 要  以下

 

 福島県石城郡所在磐城炭鉱株式会社鉱業所に、
現在移入朝鮮人労務者4,179名ありて、休日には付近料理屋に至り、
遊興せんとするも其の執拗、不潔とより遊興を拒否せらるるより、
内地婦女子に対し醜行を企て、出征兵妻と不倫関係を結ぶあり、
其他の内地婦女子との不義事件或は強姦事件等何れも少なからざる状況なり。

 

 

 最近表面化せる事例(昭和十四年十月~昭和十七年八月)十三件を検討すれば、
(一)強姦二件(告訴事件化するもの一件)、
(二)出征兵妻との姦通三件(告訴事件化するもの二件、懲役に処せられたるもの一件)、
(三)寡婦との不義、
(四)後山婦との不義四件、
(五)未婚婦女子との不義一件あり。

 

 

而して之が風紀問題は、炭鉱地帯独特の婦女子の職業たる後山婦、選炭婦は、
男子と同一職業に稼働するを以て、彼等は媚態を以て其の歓心を購ひ、
或は不遇なる寡婦に対し、金品を贈興し、恰も同情し居るが如く装ひ籠絡し、
遂に同棲するに至る等、近時、斯種事例は漸増の傾向にあり。

 

 

一方、内地婦女子側に於ても移入当初は相当警戒し、之と接近を忌避し居りたるも、
期間長期に亘ると、且同一職場に稼働するに至り、漸次警戒心薄らぐと共に、
彼等の巧言に乗ぜらるる所となり、無批判的に醜関係を結ぶに至れるが如く認めらる。

 

 

福島県特高課に於ては、彼等の動向を視察し、指導取締を加ふる一面、
内地婦女子の教養にも留意し、諸紛議の未然防止に鋭意努力中なり。

 

 

参考:在日朝鮮人関係資料集成第5巻 P133

 

 

 

 

コメント

 実は戦争中に大きな社会問題となっていたのは、出征兵家族の留守宅の問題だった。

 多くの日本人男性は兵隊として戦地に行っていたが、当時の朝鮮人は徴兵の義務が無かった。
一部では志願兵があったが、ほとんどは戦地に行っていなかった。

 

 そこで留守宅の日本人妻と朝鮮人男性の間で、不倫問題が起きていた。

 

 今回は炭鉱の労働者が対象であるが、そこにおいても多いに問題となっていたようだ。

 

 

 因みにここで「後山婦」「選炭婦」という名が出てくるが、これは鉱山で働く女性である
。実際の炭を掘る山を先山、その後ろの炭を運ぶ山を後山と呼んだ。
「後山婦」とは、その炭を運ぶ女性である。

 また「選炭婦」とは、そのとった炭を選別する女性である。

 

 因みに男性と同様に、先山で炭を掘る女性もいた。

 

 

 

 

 

筆者は昔、朝日新聞のエース記者のファンでした。
 そんなお花畑が、目覚める
キッカケとは?

 

 

 

 

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